第2話 「不穏への序奏」
日が昇り始めた頃、前日に言われていたとおり移動が始まった。
これまでに経験がない起床時間だったわけだが、寝る時間が早かったのが功を奏したのか眠気は歩き始めてすぐ消えた。
いきなり訳の分からないところに放り込まれた挙句、命の危険に晒されて負傷までしたっていうのに……俺は自分で思っていたよりも神経が太いのかもしれない。
「よく眠れましたか?」
話しかけてきたのはリーゼミレアだ。俺に向けてくれている笑顔を見ているだけで元気が湧きそうな気がするから不思議である。
ただリーゼミリアは兵士達の言動からして相当身分の高いと思われる。
また周囲にいる兵士達からは敵としては扱われていないが信用されているわけでもない。疑いの眼差しを向けられているのが現状だ。少しでも失態を犯せば死へと繋がるだろう。
「はい、ルシフェルさんの手当てのおかげで」
「私の手当てなんて大したものじゃありませんよ。でも眠れたのなら良かったです……あっ、それと私のことはリーゼで構いませんよ」
生徒会のメンバーとは離れ離れになってしまっているため、親切にしてもらえるのは実に嬉しいしありがたい。
だがしかし……その相手の身分が高いとなると困ることもある。
きちんと確認してわけじゃないが、リーゼミリアと話した瞬間に周囲からの視線が鋭くなったような気がする。
当然といえば当然の反応ではあるのだが。
周囲からすれば俺は突然現れた正体不明の男だ。そんな人間が彼女と親しげにしていたならば不安になるだろうし、心配もするはず。立場が逆だったならば、俺だって似たような感情を抱くだろう。
現状では周囲からの視線は甘んじて受けるしかない。
「それは……ちょっとさすがに」
「私のこと、リーゼと呼ぶのは嫌ですか?」
「いや……嫌とかじゃなくて」
周囲の人達に悪いというか反応が怖いから。
などと言おうものならば、きっとこの少女ならば兵士達に何か言うだろう。それはそれで嫌な展開だ。引き下がってくれないだろうか、と願っていると第3者の声が聞こえてきた。
「諦めろ。呼ばない限りリーゼは折れない」
会話に入ってきたのは、この場にいる人間で唯一少女と対等に話すことができるアスラだ。彼は助け舟を出してくれたのだろうが、個人的には助け舟になっていない。
だからといって文句を言うわけにもいかない……俺ができる選択はリーゼと呼ぶことを承諾する他にないのだろうか。
「折れないんですか?」
「ああ、折れないな」
「アスラ、人のことを駄々をこねる子供みたいに言わないでください」
アスラ達は、そこから痴話げんかのような会話を始めてしまう。
ふたりの仲に嫉妬めいた感情は抱きはしないが、近くにいるのは非常に気まずいというか場違いな気分になる。
とはいえ……このふたり以外と話したことはなく、また兵士達からは警戒や疑問を抱かれているのが現状だ。変に距離を取れば面倒な展開になるかもしれない。ここに来てからというもの、俺には選択肢がなさ過ぎる。
「確か……シンクだったな?」
「え、はい」
「お前が言っていた4人だが、出来る限り聞いてみたが見た者はいないようだ」
リーゼに用があって来たのだとばかり思っていたが、どうやら違ったらしい。
兵士の数だって見ただけでも3桁には上っているはずなのに昨日の今日でやってくれるあたり親切な人だ。まあ戦争が行われているここではこれくらいのことは出来て当たり前のなのかもしれないが。
「……そうですか」
「あまり気落ちするな。お前のように巻き込まれたのならば、あのへんにいたはずだ。目撃者がいないということは召喚が指定されていた場所に飛ばされた可能性が高い」
さらりと言われているが、俺のいたところに魔法のようなものは存在していなかった。常識のように言われてもきちんと理解できるわけがない。しかし、魔法の理屈が分からなくてもアスラの言いたいことは分かった。
――俺だけあそこに飛ばされて、他の4人は一緒にいる可能性が高いってことだよな。
4人がどこに召喚されたのはか分からないが、星也がいるのならば大抵のことは乗り切ることができるだろう。それに指定されていた場所が俺のように戦場だったとは考えにくい。彼らは俺よりも安全である可能性が高い。
きっと心配して……下手をすれば探し回っているかもしれない。俺もそうしたい気持ちはあるが、今俺が置かれている状況は迂闊な行動が死へと繋がる。下手に動けば、親切にしてくれているアスラやリーゼにも迷惑がかかってしまうだろう。
彼らは見捨ててもいいはずの俺を助けてくれているのだから、恩を仇で返すような真似はしたくない。
「もうアスラ、そこはきっと大丈夫だって言ってあげなきゃダメじゃないですか」
「無事が確認できていないのに言うのは間違っているだろ」
「シンクさんは見知らない場所に飛ばされて、お友達ともはぐれて不安なんですよ。余計不安にするようなことを言うものじゃありません」
「だったらお前が一緒に居てやれ。うろちょろされるよりずっと良い」
アスラはそう言い残すと、この場から足早に去り始める。
リーゼはそんな彼の背中に頬を膨らませた顔を向けているが、何か効果があるかと聞かれたら全くない。しいて言えば、彼女の意外に子供っぽい一面に俺の心が多少なりとも和んだくらいだろう。
「うろちょろって……シンクさん、私うろちょろなんかしてませんよね!」
「え……いや、その」
「あっ、すみません。昨日会ったばかりなんですから分かりませんよね」
顔を赤らめるリーゼは、正直に言って可愛らしい。
それだけに嫉妬めいた感情を抱いた者に何かされるのではないか、と不安になってしまう。
そっと周囲を確認してみると、俺の視線に気づいた兵士は一瞬だけこちらを見てきたが、すぐに前を向いた。見た限り、誰もが俺よりも疲労しており、無駄な行動をするような雰囲気ではない。
――……冷静に考えたら当たり前か。
リーゼが明るく話しかけてくるので忘れそうになるが、ここにいる人達は自国に撤退している真っ最中だ。昨日よりも前から出発していた可能性は十分にあるし、敵に追いつかれれば戦い、生き延びては野営の準備をする。鍛えているだろうが、それでも何もしていない俺よりも疲れているのは当然だろう。
戦場へと飛ばされた俺は、とても運が悪いのかもしれない。
だがそれでも……訳の分からない状況にも関わらず命を繋げたのだから運が良かったとも言える。星也達と再び会うにしても、まずは生き延び続けることが第一だ。たとえどんなに怪我をしても……生きていれば可能性はゼロにはならないのだから。
包帯が巻かれている左腕に触れながら考えていると、綺麗な手が視界に入り俺の手に触れてきた。意思を手の持ち主のほうへ向けてみると、心配そうにこちらを見るリーゼがいた。
「痛むんですか?」
「いえそれほど……ただこんな怪我を何度しても生き続けたいって思っただけで」
「……すみません」
俺がここに来てしまったことにリーゼは何も関係していない。彼女が謝る必要はないはずだ。
「何で謝るんですか? 俺がここに来たことにあなたは関係ないでしょう」
「確かにその点についてはシンクさんの言うとおりですが……怪我をさせてしまいました。……いえ、この争いに巻き込んでしまったのは私です」
これまでと打って変わって、リーゼは申し訳なさそうな顔で小声で話し始める。話によると
まずリーゼはルシフェル帝国の第1皇女だそうだ。身分が高いと思っていたこともあって、お姫様だと言われても何も疑問は抱かない。現状では彼女が国のトップとも言われたため、緊張感は急激に高まったが。
「えっと……ルシフェルさんが」
「リーゼで構いませんし、もっと砕けた話し方をしてくださいませんか?」
「でも……」
「あなたはすでに私のお友達です。周りが何を言っても、私がどうにかしますから」
個人的にはそういったことはせず、今の距離を保ってもらいたい。
というか、いつの間に友達になったのだろう……などと考えても仕方がないか。そうと思った俺は諦めて彼女の要求を飲むことにした。
「分かったよ……リーゼ」
「ふふ……すみません、アスラも昔似たような感じだったので。そういえば何か言おうとしてましたよね。続きをどうぞ」
「じゃあ……リーゼが上ってことはつまり」
「はい……すでに」
「その……嫌なこと聞いて悪い」
「いえ、気にしないでください。私のような若輩者が上の立場にいるのですから当然の疑問ですから」
にこりと笑うリーゼだが、その裏には悲しみが見えた。
会って間もないがリーゼは明るく振る舞い続けている。それはきっと、人の上の立つ者として本当に抱いている感情を表に出すわけにはいかないからだろう。
年は俺とそう変わらないはずなのに……この華奢な体にはいったいどれほどの重圧がかかっているのだろう。
いや、考えるのはやめておこう。
今の俺では到底理解できないことだ。下手な同情は彼女を傷つけるだけだろう。
他に聞きたいことがあるか、という問いに首を横に振ると、リーゼは先ほどの続きを話し始める。
ルシフェルは魔国――ここでは悪いという意味ではなく、人間だけでなく他種族も住んでいる国を指すらしい――の中でも小国だそうだ。加えて、人間のみが暮らす聖国に隣接している。
聖国の人々は、指導者の影響か他種族に偏見や嫌悪を抱いている者が大半を占めるらしく、中には魔国を滅ぼしたいと考えている者もいるだろう、とのことだ。今回の撤退戦は、聖国に近いが一応魔国に入っている隣国との会談が発端らしい。
「その会談、罠とは思わなかったのか?」
「もしかしたら……という思いはありましたが昔から交流があった国でしたので」
「可能性だけで断りにくいか」
「はい……皆から危険だから断るように言われましたが、変に疑いを持って剣を交えることになってしまえば犠牲者が増えるばかりです。それに私のような若輩者は、自分から動いて話し合わなければ手を取ってもらうこともできないでしょうから」
強い想いを感じさせられる言葉に、リーゼが本当に平和を望んでいるのだと理解した。
凛とした顔をしていた彼女だが数秒の後、力のない笑みを浮かべながら続けて言った。
「まあ……守られてばかりの私が偉そうに言えることじゃないんですが。結果的に……私のわがままのせいで多くの人々を死なせてしまいましたし」
「……死んでいった人達は別にあなた……リーゼのことを恨んでたとは思わない」
「え……」
「誰だって自分の命は惜しいはずだ。だけど……危険だと分かっていても今回のことに同行したんだろ? それは君の想いに賛同してたってことだ。そうでないなら、君を生かすために戦う道なんか選ばないはずだし。君のやろうとしてることは想いだけじゃ難しいことだろうけど、力だけでやるよりは遥かに立派なことだと俺は思う」
言い終わってから思ったのだが、俺は何を口走ってしまったのだろうか。
兵士達と触れ合ったどころか、ここの常識さえ俺にはない。話が話だけに、自分勝手な想像で返事をするべきではなかった。
「その……悪い。知らないことばかりなのに勝手なこと言って」
「いえ……ありがとうございます」
お礼と共に向けられた笑顔に胸が高鳴ったがリーゼにはアスラがいる。
それにここでの俺の立場は、おそらくだが平民と変わらない。彼女とは本来なら気軽に会話もしてはいけないはずだ。
おかしな感情を持たないように自制をかけていると、後方から爆発に似た音が響き耳を貫いた。反射的に振り返ると、「敵襲だ!」と兵士達が騒ぎ始めているのが見える。
「ルシフェルまでそう距離がないのに……」
驚きと悲しみに満ちた声に耳に届いた。
どうやら敵は、何が何でもリーゼを抹殺したいらしい。
国を動かしているのは若いリーゼだけの力ではないはず。彼女を殺したところでルシフェルという国は滅びない……いや血筋が途絶えてしまう可能性はある。そうなれば違った意味でルシフェルという国は滅んでしまうだろう。
「――っ!?」
この場に向かって何かが飛んできている。
そう思えるような音が聞こえた瞬間、俺は近くにいたリーゼを思いっきり突き飛ばした。
――直後。
目の前に何かが着弾し爆ぜる。発生した爆風によって、俺は後方へと吹き飛ばされた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます