第13話 どうも、やる気スイッチが入りました、犬君です。
桐壺帝の納得のあと数週間がたちました。
毎日の添削はさすがにこの時代、余裕がない感じがして無粋です。
そしてこの犬君は、歌に関するものはめちゃくちゃないのです。
結果添削されてから、どうやって直すかも自分で見つけられず、うんうんうなる毎日です。
そして三日かけてようやく、添削されたものから間違いだの直すべきところだのを、自分で見つけるのです。
それも相手は見透かしていたようで、遅かったとかそういう事を送ってきたりしません。
手紙だと、早さで思いの丈を測られるのですが、赤ペ〇先生は急かしたりしません。
これだけはかなり楽な部分です、急げと言われても、犬君に風流はわかりません!
「犬君は手跡がきれいじゃないのね」
姫様が、一緒にいるのですが。まじまじと私の書いた文字を見て辛辣な事を言います。
おっしゃる通りです、文字の綺麗さも大事なのに、この犬君は恐ろしくつなぎ文字が下手なのです。
これはですね、言い訳をするなら普通の鉛筆になれているから、筆がだめなんです。
……言い訳になりませんね……
「駄目よ犬君、もっときれいな文字をかける様にならなくっちゃ」
言ってくれたのは年上の方です。
どうしてでしょう、恋をするわけもないのですが。
「だって、姫様の代筆をする事もあるわよ、あなた」
思いもしなかった事です。私が姫様の代筆、代筆っ!?
でもそうかもしれません。
この時代、男が女に手紙を送った場合、女が最初からお返事をするわけじゃありません。大抵は。
身分が高いほど、侍女たちが返事を考えたり、します。
親たちが男の身元調査だのをしている間、女が手紙の返事を書くのは少ないです。
当然……侍女たちがお返事を書いたりします。
女が嫌だった場合、侍女にお返事を命じる事もあります、そうだ思い出した落窪物語!
そこではお姫様が、男の手紙を見るのもいやで(送ってきたのはスケベなお年寄り)侍女に、代わりに書くように頼んでました。
これは大変です、犬君は本気で歌に関して上達しなければ、姫様のお付きの侍女として失格です。
なんとなく、私の空気が変わったのに気付いた様子の先輩。
「大丈夫よ、犬君。今まで縁がない事って思ってたんでしょうけれど、姫様のためなら頑張れるでしょう?」
「はい! そうです、姫様に恥じなんてかかせられません!」
拳を握り締め、吼えるように言った私に、姫様が笑います。
「犬君って本当に、よくできた侍女だわ」
「姫様、犬君はお仕えする姫様が胸を張れるように、和歌も極めます!」
こうとなっては、蛍帥宮さまの赤〇ペン先生は願ってもないものに変わります。
やってやろうじゃありませんか。
犬君はまず、お手本をみます。蛍帥宮様は男文字です、いくらきれいでも女の文字の綺麗さとは系統が違います。
しかし。
お手本は彼の物しかありません、そして彼は極めている人でもあります。
私はぐっと気合いを入れ直し、捨てる寸前の紙に、彼の文字の形までそっくりにできるように、写し始めました。
そして一週間、添削のお返事を出さずにえんえんと、姫様と一緒にお勉強をしたり、お相手をしていたりする時間以外をそれに費やした結果、犬君は蛍帥宮様そっくりの文字を習得するに至りました。
周りはびっくりです。
「どこを見ても同じ手跡だわ……」
「犬君すごいわね……その集中する力が」
「というかすごくきれいだわ……蛍の宮様手跡がとっても美しいのだけれど、同じだけ綺麗って……」
「カタカナしか書けなかった犬君が……」
周りがざわざわしていますが、私はお使いの童を呼び、一週間の成果である、蛍帥宮さまそっくりの文字で、考えまくった和歌を綴り、届けるように指示を出しました。
指示を出して、一息ついているときです。
「お手本が素晴らしいのは事実だけれど、犬君、これじゃあすごく情熱的な物みたい」
「はい?」
「なんとなくなのだけれど」
姫様がはにかんだお顔で言います。
「あなたの文字以外によそ見しません、あなた以外によそ見はしないのです、って感じられそうだわ」
「先生のお手本を写しただけですよ」
「だって犬君、一週間であれだけ悲惨だった文字があんな素晴らしくなるって、普通思わないわ」
おっしゃる姫様の手跡は、大変に華やかな可愛らしい物で、上品で、これぞ藤壺様のお手本から習った物って感じです。
それでも姫様の愛らしさが、文字の個性になっておりますが。
「帥宮様は師事するにふさわしい、風雅なお方だと再認識しておりますので」
事実、今までうげーと思っていた朱色の添削も、やる気になって読み返すと意味が深く、はっとするものが多いのです。
犬君がいかに勉強不足で、嫌がっていたかがわかりますが。
私は姫様の代筆も可能なように、やれる限りのことはするのです。
さて、こんなそんなな毎日ですが、屑の動向はうかがえません。
屑はあれ以来近付きもしないのです。嵐の前の静けさの様で、藤壺様や姫様の近くで、いつでも反撃ができるようにしている毎日です。
しかし……情報が何もないのは不安ですね。
私は一計を案じる事にしました。
「と言うわけで、ちょっと手伝ってもらえないかしら」
私は近くで、半ば妖怪になっている蛙に聞いてみます。
ちなみに御簾の外の廊下に出ております。池がよく見える場所ですね。
屑の話を、自分から入手しなければならないのは嫌ですが、奴が何をしでかすかの方が問題です。
それに、どうもこの蛙は面白い事が大好きなみたいなので。
「いいけどさ。何を知ればいいんだい? わくわくするなあ!」
「光の君が最近どうしているか、よ。どんな女に執着してるかとか、女を渡り歩いているかとかいろいろ。女性関係がいいわ」
「おっと、よっぽど事情があると見た。カワズは探してやろうな、狗のお嬢ちゃん」
蛙……カワズさんは一っ跳びで、颯爽とどこかに去っていきました。
まさか生き物の会話を聞ける耳を、こうして使う事になるとは。
しかし。
原作のどの段階で、やつが藤壺さまを襲うかよく分かっていないので、情報は出来る限り集めなければならないのです。
心をしっかりと締め直し、私はひらひらと現れた胡蝶を見ます。
「あら、こんな時に珍しい」
「狗のお嬢さんは光の君の話が欲しいと聞えてね、ヒトで言葉が分かるなんて珍しい、ちょっと皆、聞いてもらおうよ」
そう、胡蝶が言ったとたんにわらわらっと蝶々が私に寄ってきました。
彼等はお喋りなようです。
そしてこのあたりの、後宮の話にとっても詳しかったのです。
私はそこで、他の殿舎の事や、注意するべき弘徽殿のお方の事などを聞いていました。
その時なのです。
「不用心ではありませんか?」
不思議と心地よい声が私にかけられました。
その声で、はらはらと蝶々が去っていきます。またね、という声もしました。
そこでそちらを振り返り、目を見開きました。
そこには、えらいイケメンが驚いた顔で立っていました。
顔立ちはどことなく、桐壺帝を連想させます。
でも、屑のような、なよなよと女みたいな感じではありません。
かといって、ごつごつの男って感じでもないです。
すらりと優美で、はっとするほど凛々しいイケメンであります。
誰ですこの方。
相手が全然わからないのですが、彼は呆気にとられた顔で自分を見ている私に笑います。
「顔を隠しなさい、扇でも袖でも。だらしないですよ、犬君」
「あの……どなたでしょう」
慌てて扇で隠しつつ、私は相手を見ます。相手は私の隣に腰かけ、言います。
「あまりにも手紙の手跡が私と瓜二つになったので、放棄して誰かに代筆させたのだと思って、叱りに来たのですよ」
「え、あの、蛍帥宮さま……?」
何と言う事でしょう、この凛々しすぎるイケメンが先生です。
「人はそう言いますね。さて、犬君。言い訳するなら今のうちですよ」
「一週間時間が空けば練習をし続けて、そっくりになるように文字を鍛えました」
私の返答に、彼が噴出しました。
「今までの面倒くさいとありありと透けて見える返事からは、想像もできない言い訳ですね」
いって、私の頬をびいいと引っ張ります。いた、いたい!
「本当です、いつか姫様の代筆をするかもしれないと思い至り、姫様の恥になるわけにはいかぬと」
痛いながらも言い訳をすると、手が止まりました。
「それは残念、和歌に興味が出たのかと思ったのに」
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