犬君です、どうにかロリコンマザコン野郎から、姫様を守りたいです!!

家具付

第1話 どうも初めまして、犬君です。

……ぶっちゃけ皆さま、どれくらい私の事を存じていらっしゃいますでしょうか。

ええご存知ですとも、基本高校生くらいまでだったら

「犬君が雀の子を逃がしたりつる」

と私のお仕えしている姫様がおっしゃる事くらいしか存じて、いらっしゃいらないのではありませんでしょうか。

ええ、そうですとも。

「何がかなしくて源氏物語に転生してんだ俺は」

それもメインの人間どころか、若紫が運命を決めてしまう一瞬の、ぴいぴいと涙を流して泣いているその瞬間のために、いるような登場人物。

そう、若紫にお仕えしている犬君という少女こそ、この私なのだ。

見た目平凡、中身も平凡、そして特徴もこれ一つない……といったいかにもモブ臭さの漂う私こそが、犬君なのである。

取りあえず言いたい。

「源氏の野郎絶対に許さねえ」

何故かって?

死ぬまで私の主を苦しめたからですよ。

は? 若紫は光源氏の生涯最愛の人として愛されていたって?

馬鹿言っちゃいけない。

それはお手軽な言い方をしているから、そう言われているだけなのだ。

若紫……姫様がいずれ名乗るだろう名前紫の上、彼女の立場は”妾”なのだ。

は? 妻だろって?

いいや違う。

すごい違う。

だって源氏物語の中で、一番に立場が危ういのが紫の上なのだ。

不義の子供を作っちゃう藤壺とか、女三宮なんて目じゃない位に立場が危ういのだ。

ひとーつ。

成人して、結婚を許されるための儀式、裳着。

裳着をしなけりゃ大人じゃない、正式に結婚もできない、さらに言えば裳着が無けりゃどんなに愛されても妻じゃない。

って位に平安時代には重要視されているとも言っていい、裳着。

この儀式を行う前に、若紫は光源氏に手を出されて……しまうのだ。

さらにふたーつ。

三日夜の餅は食ったが、ところあらわしをしていない。

ところあらわしそりゃなんぞ、答えは簡単結婚披露宴。は、砕けすぎ? これ位言わなきゃ現代日本で通じないでしょ。

さらに言えば現代日本で結婚披露宴しなくても、結婚できるが平安時代はそうじゃない。

平安時代は家同士のつながり云々が、きわめてものをいう時代。

ところあらわしをして、奥方の家に旦那が迎え入れられなければ正式な結婚でも何でもない、男がただ通っているだけの状態なのだ。

そしてその後に旦那の家に、奥方が迎え入れられたりして正妻となるわけだ。

ところがしかーし!

光源氏の家に既に、さらわれて監禁されて、洗脳されている状態の紫の上はその手順が踏めない。

この時代は手順がものをいう時代、そして手順通りの事をしなかったら認められない時代だ。

紫の上は裳着をしないで手を出され(体も法的にも未成年状態)、正式に結婚もできず(誰にも知られないで、さらに誰にも認められないで結婚の真似事をし、正妻であるようににふるまわされ、つまり愛人)、屋敷にさらわれてからそれら全てが行われ(この時点で彼女が正式な幸せを手に入れられない事が決定)、と立場がふにゃふにゃのヒロインなのだ。

内縁の妻なんてものですらない。

ぶっちゃけ家を回す愛人のトップ、でしかない扱いなのだ。

そしてその結果いらない気苦労に、世間の批判的な視線にと、心を苦しんで死んでしまう。

光源氏の最愛の女性だろ、何で世間が批判的なんだ? 

なんて思うんだったらお前は、現代語訳をよめ。もしくは新書版の専門書を読め。

女三宮が正妻だからな、そんな彼女を押しのけて愛された紫の上を、世間は立場が分かっていない奴扱いだぞ、光源氏が通ってんだっての!

一般的に、正妻ができたら妾愛人は、遠慮して控えるのが普通だと思われていたらしいからな、あの時代。

そんな時代と世界で、手順重視の世界で結婚手続きしないで、六条院(光源氏の邸だ、豪華な、な!)を支配する愛人なのである、紫の上は。

しかしそんな実質的正妻の立場も、女三宮が正妻になったから全部ぱあだぞ。

さらにひでえのは女たちのこれみよがしなお手紙である。

わたしはあきらめていたけれども、あなたはさらにおつらいでしょうねえ? ぶちぎれるぞ! 

身の程がわかってよろしいですね? 身の程の前に紫の上をそうしたのは光源氏の野郎だからな!

……ってなわけで、紫の上は非常に大変な身の上なのだ。

いくらお話のなかで、光源氏が愛しました、最愛です、生涯の人です、みたいな言い方したってひっくり返せばこの、女の事を何一つ考えないで、理想の女を欲しがって洗脳した、くそ野郎の被害者だからな、身代わりなんだからな!?

……ってな内容を、俺は暇つぶしで読んだ本で知ったわけだ。

うん。

ああ光源氏ころしてやりてえ! さらにイケメン爆ぜろ! イケメンだから何でも許されると思ってんなよ、老いにはてめえも勝てないんだぞ!

なんて思って何がいけない。俺はブサめん一歩手前を漂った男、さらに言えば可愛い女の子から話しかけられた事も一度もない人間だ!

……なんてことだ、せっかく十年ほど培ってきた私という一人称まで心の中ではがれる始末。

大変な無作法をお見せしました。

……取りあえず。

「何とか姫様が覗かれないようにしなければ」

出会わなければ、目を付けられないよな……?

なんて思った私が愚かでした。はい、愚か愚か!

雀を逃がさないでいれば、年上の女性がかわいそうだと雀を逃がしました!

おかげで姫様ぴいぴい泣きながら、おばあ様の所に駆け込んじゃいました!

私にできたのは、何とか姫様の顔が外に見られないように、体を張って隠す事くらいでした!

尼君……姫様のおばあ様に、変な目で見られましたけれどね。

その後くちくちと女性の皆様に、思慮深くないと怒られました。

でも、姫様の今後の未来のために、私はやらなければならない、と必死になったんですね!

たとえその結果継子いじめをしそうな、姫様の御父上の北の方の所に行かなければならなくとも!

ああ、姫様を庇護できる男性がどうしてどうして、立場の弱い男性ばっかりなんでしょ!

部屋で地団太ふんでも遅い遅い、若紫の段で有名な垣間見は気っと行われた、だって外からねちっこい視線感じた。

あれはストーカー一歩手前になりうる視線だった。

「犬君犬君、どうしたの? 顔が優れないわ」

ぐだぐだと考えていた私に、姫様が話しかけてくる。

「それよりも、おひなさまで遊びましょうよ」

「姫様、幼すぎますよ」

年上の方がたしなめてくれる。この時代名前は命をとられたも同じ、というわけでちゃんとした名前は家族位しか知らないのが常識だ。

そのためお姉様、と私たちは呼んでいる女性だ。

彼女は姫様の乳母なのだ。

姫様は、乳母やと呼んでいる女性でもある。

「だって好きな物は好きだもの」

頬を子供の膨らませ方で膨らませる姫様は、かわいらしいけれども。

その前に私は何とか、姫様がこのまま拉致監禁でストックホルム症候群で、光源氏の愛人という世間的によろしくない立場になる事を避けなければならないのだ。

だって。

「犬君、だったらお話をしましょうよ、この前のお話はとても面白かったわ」

なんて、夜着を引っ張ってきらきらとした目で見てくださる姫様を、ないがしろにできないのだもの!

「はい、次は何にしましょう、宇津保物語という物のお話も聞いた事がありますねえ」

「宇津保物語? 犬君お前はまた、女性らしくない物語を知っていますねえ、どこで聞いたのやら」

お姉様が言いながらも、私は記憶を探っていく。

まずは開けゴマ、と言いたくなる、蔵開きでも話そうか。




蔵開きを、眼をきらきらとさせて聞いていた姫様が眠ったので、私も眠ろうとしてごそごそと体を動かす。

その時だ。

小さな衣擦れの音がして、慣れ親しんだ尼君の香りが漂った。

暗闇の様な明かりのない場所では、嗅覚がものを言うのだ。

そして匂いの事を理解できないと、色々使用人としては危機意識が薄くなる。

変な野郎が忍び込んできても、撃退できないしね。

そう思っていれば。

「犬君、起きているかえ」

小さな声が私にかけられた。

おそらく夜更かしな私を知っているから、尼君が声をかけてきたのだろう。

「はい……」

ごそごそと起き上がれば、尼君が近くに座っているのだろう。

空気からそんな気配を察した。

何なんだ、こんな時に、と居住まいを正していれば、彼女が言う。

「若紫は眠っているかしら」

「はい、よく眠っていらっしゃいますよ」

くうくうと、あどけない位に。

「……そう」

尼君が息を吐きだした。溜息だ。この世の無情を感じるような溜息だ。

何も言えなくなりそうになり、しかし何か言わねばならぬと私は顔をあげる。

「尼君、どうしましたか」

「……きっと、わたしはもう長くない」

尼君が昼間、姫様に言った事のような事を言った。彼女は作中でも寿命の事を気にしていたし、この現実でも気にしている。

年の割にあまりにも、幼い若紫を心配して。

「だから犬君、お前だけが頼りなんだよ、お前だけが」

「乳母君もいらっしゃいますのに」

「あれはよくない、大変な事に対応できない。……犬君、お前がこの邸内で、一番さとい」

一回人生終わってますしね、と言えない空気になりながら、尼君が言う。

「お願いだよ、若紫を守ってほしい、お願いだから」

「何からお守りすればいいのでしょうか、尼君、何から?」

「わからない、昼間からずっと何かが迫ってきていて、私は恐ろしくてたまらないんだよ」

小さな声のやり取りだ。同じ部屋に眠る数人には聞こえていない位の、声。

「犬君、頼むから。……私が死んでから、若紫の事を頼んだよ。きっと若紫の父の所に行ったら、若紫はいじめられて心労で倒れてしまう。でも、どんな事があっても、若紫を守ってほしいんだ」

暗がりで縋り付く、皺皺の手がカタカタと震えていて、私は何も言えなくなってから、息を吸い込んだ。

「はい、三つ年上のわたしが、必ず姫様をお守りいたします。……姫様のご親族で、頼りになるお方はいらっしゃらないのでしょうか?」

「……中宮がたしか、叔母なのだけれども。そこまで手紙が届くかどうか……」

尼君が溜息を吐いたものの、私には一つの希望が見えた気がした。

一か八かかけてもいい物が、そこで見つかった気がしたのだから。

そうだ。紫のゆかりと呼ばれる、紫の上と藤壺のそっくり具合の理由は、叔母と姪という関係性なのだ。

そして藤壺は優しいという事になっている。

……いけるかもしれない。情に訴えれば。さらに、これまでの境遇とかを盛り込めば。

作文能力だけは人一倍、と呼ばれていたわたしを舐めるな!

読めば泣きじゃくって味方になるような、そんな文をしたためてやる!

私は尼君の手を握った。

「はい、もしも、尼君がお亡くなりになりましたら。……わたしが、姫様を何からもお守りいたします」

決意を込めて、言い切った。

色々言われている犬君だけれども、この私は絶対にロリコン野郎から、姫様を守り抜こうと決めた。




行動は早い方がいい、いいやそうじゃない。

何で保護者がいるのに苦境を訴えて来るんだ、と怪しまれたらいけないのだ。

最初は様子見、そしてあのロリコン野郎が動くのを待つしかない。

私はこそこそを動き回り、本当にあの野郎が尼君を訪ねてきたのを知った。

ちょっと対の屋にいる様にと言われたけれども、私は姫様を寝かしつけて様子をうかがいに行ったのだ。

胸騒ぎがしたから。

お姉様は姫様と一緒に昼寝しているし、ほかの女子たちものんびり空気、そして裳着も済ませていない子供だから、私は無作法を少ししても大目に見てもらえるとの計算で、母屋に行ったのだ。

出来る限り身軽にそして、衣擦れの音を立てないように動き、屏風の影に隠れる。そこからはあの野郎の、無駄な美声がよく聞こえた。

「ぜひとも、尼君。お孫さんを引き取ってよい教育をしたいのですが」

「まあまあ、急なお話だこと、それにあなたの邸に連れていくには、あの仔はまだまだ幼いものですよ」

その短い会話の中だけで、源氏の野郎が姫様を引き取りたいと申し出ているのが分かった。

尼君がそれを断っているのもわかる。

まさかいい歳の男、成人してモテモテの男が何を血迷って、まだ子供子供している女の子を、家に引き取りたいというのだ。

字面だけで言ったら結構な変態、である。

「聞けば尼君は、お体の具合が悪いそうで」

「ええ、この年ですからねえ」

軽くせき込んだ尼君は、本当に最近、喉の調子も悪いのだ。

色々加持祈祷をしていたって、抗生物質なんてないから治らない。

こんな暮らしをしていると、葛根湯だって手に入らないし、大体この時代に葛根湯なんてあったか?

一瞬考えこんでいる間に、尼君と野郎の会話が続く。

「もしも尼君がおなくなりになったら、どなたがあの子の面倒を?」

「あの子の父親が引き取ってくれることに、なっていますよ」

内心は不安だと私は知っているが、それをおくびにも出さずに尼君が言う。

「それでは心配でしょう、継子いじめもよく聞くお話です」

野郎が不安をあおる事を言う。

多分その言葉で、姫様を連れて行ってもいいと言質を取るつもりなのだ。

させるか。

私が動こうとした時だ。

尼君がぽつりとこう言ったのだ。

「あの子が、大人になっていれば良いお話だと思いますけれどね……」

私は、屏風の向こうのくそ野郎が、扇の向こうに顔を隠しながら、言質をとった、というような顔をしたのを、確かに見た。

変態ロリコン野郎め、あんたの魔手から必ず、姫様はお守りする!

私は決意を新たにした。



「最近おばあ様が、よくお客様とお話しているのね」

ヒナ遊ぶをしていれば、姫様が言い出した。

そこらへんはよく見ているのだ。

「お客様がこんなに何度も、同じころに来るなんて珍しいわ、一体何のお話かしら」

首を傾げた姫様に、お姉様が言った。

「いまをときめく源氏の君が、尼君とお話があるそうで、たびたび。尼君のお兄様の僧都さまとも、お話があるからたびたび」

「源氏の君、お話は聞くわ、とっても素敵な姿の人だって」

何も知らない姫様が言うが。あんな奴は最低だ、男の風上にも置けない野郎だ。

口が達者で自分勝手で、さらに自分の都合以外の事なんてどうでもよくて、世間体は気にして、うん。

愛する女に対する未練はマザコンの極みで、身代わりさえも手に入れて逃げないとわかれば、雑に扱う。

様は、自分の言いなりになる自分の都合のいい、自分に逆らわない女(見た目が自分の母親に似ている……つまり自分に似ている……うわ、ナルシスト……)が欲しいのだ。

身分が上だと逆らうから、身分が下で、頼る相手がいない弱い立場で、自分に縋って来る事しかできない女で、条件を満たせばだれだっていいのだ。

本当に屑やろうだ、こんな野郎がモテモテで大絶賛されるなんて、信じられないと私は思う。

「おばあ様が、大事なお話だからというけれども、おばあ様は毎日悩んで苦しんでいらっしゃるわ、仏様にお祈りしているし、眠れていなければ体の具合だって悪くなるのに」

心配しきりの姫様の言葉で、つまる所やつは、精神攻撃で尼君の寿命を縮めたいのだと推測した。

やろう……余計に許せない。

なんて、顔にはださないようにして、姫様とヒナ遊びにいそしむ。今日は雨だから庭を歩き回れないのだから。

「ねえ、犬君」

「何でしょう、姫様」

「この前乳母やが雀を逃がしたでしょ」

「はい。雀ももしかしたら、前世でつながりがあったかもしれません。そんな相手を籠に閉じ込めたら、良い報いがありませんもの、とおっしゃっていましたよ」

「だったら、お母様の生まれ変わった方がいればいいのに」

寂しそうな顔をする姫様に、私は言う。

「きっといますよ、ただ、名乗りをあげられないだけです。お母さまはお近くでもしかしたら、姫様を見守っていらっしゃるかもしれませんよ」

生まれ変わりなんてない、と前世の記憶もちの私が言えるわけがないので、苦肉の言葉となったわけだった。


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