たしかなこと

木谷さくら

たしかなこと

「高橋さん、落ち着いて聞いてください。」

神妙な顔で告げられたそれは僕が癌だということだった。

5年生きられるかわからないそうだ。

一度帰って入院の準備をしてきてくださいという医者のしゃがれた声がこだまする。

最初に家で結果を待っている妻の顔が浮かんだ。

彼女のことだから、なんにもないことを信じて今頃ごちそうでも用意しているだろう。

スマホを見ると、「どうだった?」とlineの通知が来ていた。すぐにでも電話しなきゃいけないことはわかっているのに手が震えて動かない。

とりあえず病院の近くの公園のベンチに腰を下ろして深呼吸をした。ブランコでは小学生くらいの子供たちが無邪気に立ち漕ぎで高さを競争していた。危ないぞと、優しく心の中でつぶやいてみる。

80歳のおじいさんにでもなったような心持ちだった。不思議と心は乱れていなかった。

スマホをもう一度取り出す。lineではなく、普通の電話で妻のスマホの電話番号をひとつひとつ押していった。

久しぶりに聞く電話のコールに何故か泣きそうになる。

涙が流れるのが悔しくて、上を見た。雲1つない空だった。いつか、こんな空のとき時を越えて君を愛せるか本当に君を守れるかと考えたことを思い出す。時を越えないまま、僕の体はボロボロになっていく。

プチッと音がして声がした。

「……もしもし?」

「もしもし、結?」

「そうだよ、どうしたの」

「いや、癌だったんだ」

少し沈黙が流れた。電話の奥の方から息をする音が聞こえる。

「うん、知ってる」

彼女が無理をして落ち着いた声を出しているのはわかりきっていた。僕も、同じようなものだったけれど。

「知ってる?」

「連絡遅かったし、」

泣いているのがわかった。

「うん」

「lineじゃないし、」

「うん」

「電話だし」

「ごめんな、」

「もうごちそう用意しちゃったんだから」

「うん、知ってる。」

「そっか」

息遣いで彼女が少し笑ってくれたのが分かる。あぁ、早く会いたいなと思った。

「早く会いに来てよ」

「もちろん、すぐ帰るから」

安心したようなため息をついた妻にまたねと告げて電話を切る。駆け足で駅に向かいながらもう一度空を見て時を越えることはできそうになくても残りの人生を全力で彼女に捧げようと決めた。それはひとつ何があってもたしかなことだ。


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たしかなこと 木谷さくら @yorunikagayaku

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