第275話 現状確認
「ヒト型」
ひとこと呟いて、智香子は左右の仲間たちの表情を確認した。
全員が、前後して頷いている。
この場ですぐ、未経験のヒト型の戦闘を開始するだけの心理的な準備を、智香子らはしていなかった。
二本足の、つまりシルエットが人間に近いエネミーとの戦闘は、最中と事後に心理的な意味で響いて来る。
先輩方からも、そう聞いている。
なんの準備もしないまま、この場で開始するよりは、いったん迷宮から出て仕切り直す方が、どう考えても無難なのだ。
「わかりました」
全員の反応を確認してから、智香子は〈スローター〉氏に告げた。
「すぐに迷宮を脱出しましょう」
「では」
〈スローター〉氏はそういった後、しばらく全身を硬直させた。
「……やばいな。
〈フラグ〉が使えない。
他に誰か、〈フラグ〉のスキルが生えている人いたら、迷宮入口まで移動してくれないか?」
「試してみます」
智香子は即座にそういい、その場で〈フラグ〉を使用する。
しかし、周囲の風景に変化はなく、つまり迷宮内での移動スキルは不発に終わった。
「〈フラグ〉、使ってみましたが、変化がありません」
智香子は〈スローター〉氏に事実を伝えた。
「スキルそのものが使用不能になっていると思います」
「ロックされているか」
〈スローター〉氏は、硬い声でそういった。
「何度か経験しているが、気分がいいものではないな。
いつもそう思うよ」
ロック。
特定のスキルが使用不能になる現象、だった。
迷宮内では、そういうことがたまに起こる。
と、智香子も以前から聞いていた。
実地に体験したのは、これがはじめてだったが。
「他に使用不能になっているスキルがないかどうか、すぐに確認をして!」
〈スローター〉氏は左右をゆっくり見回してから、大きな声を出した。
「まずは現状を把握すること!
エネミーが出て来てから戦闘用のスキルが使えないとわかったら、大変なことになる」
使用不能のスキルがないかどうか、確認する。
なにができてなにができないのか、把握しておく。
と、いうわけだ。
このような事態を何度か経験しているというだけあって、〈スローター〉氏の指示は的確だと、智香子も思う。
智香子たちはそれぞれ、その場で自分の所有スキルが使用可能かどうか、試しはじめる。
その時点で智香子たちに生えていたスキルはさほど多くはなかったので、そのテストはすぐに終わった。
見ると、〈スローター〉氏も自分で同じことを試しているようだ。
「〈フラグ〉以外のスキルは、使用できるようです」
他の五人い確認してから、智香子は〈スローター〉氏にそう告げた。
「では、戦えるってことだな」
〈スローター〉氏は、そういって頷く。
「なんらかの条件を満たせば、ロックが解除されるのか。
それとも〈フラグ〉を使わないまま、自力で迷宮から脱出するはめになるのか。
今のうちに体を休めて、飲食も軽く済ませておいてくれ」
飲食を勧められた、ということは、〈スローター〉氏は長期戦になる可能性が高いと、そう判断しているわけで。
智香子は、そう思った。
これは、大変なことになりそうだな、と。
熟練した探索者である〈スローター〉氏が同行していることが、かなり心強かった。
「よかったら、これ」
すぐに、その〈スローター〉氏が全員にある固まりを配り出す。
「糖分と植物性タンパク質の塊。
疲れた時には、これがいい」
ビニールでパッケージされた、小さな羊羹だった。
コンビニとかで売っているやつだな。
と、智香子は思う。
しかし、こんな時に、とも、思った。
この人、意外に天然なのかも知れない。
いや、パニックを起こして取り乱したりしているよりは、これくらい落ち着いている方が遙かにいいのだが。
「今後はどうするんですか?」
羊羹の包装を指先で剥がしながら、佐治さんが訊ねた。
「自分の足で迷宮を脱出する」
〈スローター〉氏は答えた。
「ここはそんなに深い階層でもないから、落ち着いて対処すれば可能なはずだ」
「でも、イレギュラーのヒト型がうろついているってことですよね?」
黎が、そう指摘をする。
「わたしたちにも対処できるエネミーですか?」
「対処して貰わないと、困る」
〈スローター〉氏は、しごく真面目な口調でそういった。
「おれだけでこの全員を守り続けるのは、物理的に無理だ」
「最低限、自分の身は自分で守れ、ってことか」
香椎さんが、そういって頷く。
「いきなりヒト型を相手にするのは、いろいろな意味できついとは思うけど」
〈スローター〉氏は、そう続けた。
「それができないと、全員で娑婆に帰れない」
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