第200話 一年の締め

 そんな感じで、智香子の二千十五年、学校での活動を無事に終了する。

 部活や委員会などの活動も毎日あるわけではなく、まして冬休みなどの長期休暇に入れば数日に一度あればいい方で、その日が智香子にとって今年最後の登校日になっていた。

 春から、つまり、松濤女子に入学してからこれまで、智香子はそれなりに目新しい体験をいくつも乗り越えており、客観的に見れば相応に充実した時間だった、といえる。

 渦中にある本人的には、ただひたすら慌ただしく、どうにか目の前の課題をこなしているうちに、こんな時期になってしまった、という感慨しかなかったが。

 そんな智香子にしても、入学して以来の時間が、普通の、平均的な日本の中学一年生女子の生活とは乖離していることくらいは自覚している。

 まず普通の学校に迷宮やら探索部やらがない、ということは前提なわけだが、それ以外に、扶桑さんの会社に乗り込んで直談判などするなど、校外の企業と直にやり取りをする中学生というのもほとんど存在しないはずだ。

 なんか濃い時間だったな。

 というのが智香子の率直な感想であり、しかもその濃い時間にした原因の大半は智香子自身の言動に起因をしている。

 学校から帰る電車の中でそんなことをいうと、黎は、

「チカちゃんは案外、直情的なところがあるよね」

 などという。

「直情径行、って、チカちゃんみたいな子のことをいうんだよ、きっと」

「うーん」

 そういわれた智香子は、返答に詰まった。

「そうかも、知れない」

 智香子自身は、これまで自分のことをどちらかというと内向的な、インドア人間だと思っていた。

 それ自体は間違いないと思うのだが、どうも入学してからこっち、智香子のこれまでに顕在化していなかった資質が、露わになって来た、ような気がしないでもない。

「チカちゃんはこれで、かなり考え深いところもあるんだけど」

 黎は、そう続ける。

「そういう人であり、同時に直情的でもあるってことがあるんだなあ、と。

 それまで直情的っていうのは、どちらかというと単細胞な、なにも考えずに感情のままに動いちゃう人のことをいうんだと思っていたからさ」

 ますます、智香子は言葉を失う。

 考え深い、直情系。

 思い当たる節が、かなりあるのだ。

 これまでそうした智香子の性質が露見していなかったのは、小学生の生活では、たまたま智香子が率先して動き出したくなるような局面が目の前に現れなかったから、なのかも知れない。

 あるいは、松濤女子のように、生徒の、つまり中高校生の自主性を重んじるような環境ではなかったからか。

 もちろん、松濤女子だって無制限に生徒たちのやりたいようにさせているわけではないのだが、それでも他の学校よりは遙かに生徒の自由度は高い。

 入学したばかりの、中学一年生でしかない智香子が、あれだけのことをやれたんだしなあ。

 と、今になって智香子はそんな部分に思い至る。

 校内に迷宮があること。

 この前提が、おそらくは一番の原因であり、そのおかげで松濤女子の生徒たちは、校外と直に交渉をする機会に恵まれている。

「校外」

 というのは、いいかえれば、実社会だ。

 普通、中学とか高校生の段階では、そうした実社会との接触はかなり限定されたものになりがちなわけだが、松濤女子の、特に探索部や委員会に属する生徒たちは、違う。

 かなりダイレクトに役所とか一般企業とかと交渉する機会を持っているわけで。

 うん。

 と、智香子は、内心で頷く。

 うちの卒業生の中から起業家がいっぱい出ているっていうのも、当然といえば当然なのかな。

 経験に勝る学習はない。

 おそらくは、そういうことなのだ。


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