第三章 暗転 9-4



9-4



 治安維持隊と正面から戦っても勝ち目がないことはわかっていた。


 あの三人は戦闘系超越者のうちの半分にすぎない。まだ超越者は存在するし、円卓に序列一位がいるというのは治安維持隊内部ではかなり有名な話だった。


 勝利条件は、ノゾムを連れて『聖域』に逃げ込むこと。だが、馬鹿正直に公理議事堂を目指せば、超越者たちと正面から戦うことになる。ゆえに、何らかのからめ手を用いる他なかった。


 よって、まずは『聖域』に行くと見せかけて逆に治安維持隊の本拠地へと殴りこむことを考えた。前述のとおりこれもまた無謀の極みだったが、案としては悪くない。まず間違いなく、相手の意表を突くことができる。簡単に捨てるのはかなり惜しい策ではあった。


 だからそれも、ブラフとして使うことにした。


 治安維持隊も、まさか本拠地まで攻め込んできた敵の目的が、元帥の首でないとは思わない。『聖域に向かう』という思い込みを利用された以上、『本拠地を落としに来た』という新たな誤解は、敵側にとってはより一層強固な『真実』となる。


 それ以外にも、エンパイア・スカイタワーという建物は、御影の目的を果たすのに好都合な点があった。まずは強固な防衛システム。これを乗っ取ることで、超越者の手から逃れることができる。内部でも隔壁を複数用意することで、追手が来れないようにすることも可能だ。


 そして何より、エンパイア・スカイタワーがトウキョウで、いや、世界で一番高い建物であることが重要だった。


 地上から『聖域』に向かうのは、超越者だけでなく、議事堂を囲むバリケードが厳重である以上不可能。地下のルートも議事堂周辺はさすがに抑えてくるだろう。


 ならば、取るべき道はただ一つ。空から『聖域』を目指すことだ。


「無理無理! やっぱり無理! 今からでも降参しよう!」


 エンパイア・スカイタワー屋上。


 エレベーターの上から屋上へと這い上がり、背負ったノゾムの重みで後ろに倒れそうになるのを、屋上のエレベーター用出入り口の縁を掴むことで何とか堪えつつ、御影はギャーギャーやかましいノゾムに怒鳴りつけた。


「いい加減覚悟決めろ! もうここまで来たんだぞ!」


「だって高いじゃん! 本当に! ここから飛び降りるとか、嘘でしょう?」


「飛ぶまでは正解だが降りはしねえよ! 少なくとも、すぐにはな!」


 方法としては、高速道路から脱出したときと同じだった。あのときは、バイクの爆発を目くらましに、突風で自らの体を道路の外へと吹き飛ばした。その後も自身を取り巻く空気を慎重に操り態勢を安定させ、超局所的な上昇気流を発生させて数秒の間『空を飛ぶ』ことで現場から離れた。着地の時は肝が冷えたが、初めての経験ではなかったのでなんとかなった。


 しかし今回は、一人ではなく二人。それもノゾムの方は、目を瞑っている状態でもこちらの能力をかき乱してくる問題児。地上からでは、距離にしてせいぜい十数メートル飛翔することが関の山だった。そうなると、議事堂を囲むバリケードを超えるには、まず議事堂の近くまでいかなくてはならないということになり、地上から行くのと大して変わらなくなってしまう。


 だが、最初に高度を稼いでしまえば話は別だ。古来、空を目指すときに高い場所から飛び降りるのは常套手段。そのほとんどがただの自殺に終わったわけだが、御影の場合は違う。この世全ての気体を操り、文字通り風に乗ることができる。


 高速から飛んだときに一般人から目撃されていた可能性はあったが、それによりこちらの思惑が読まれることはほぼないだろうと確信していた。そもそも、今この世界に空を飛ぶ乗り物は存在しないのだ。飛行するなど、発想としてまず浮かんでこない。


 御影は足を引きずるようにして近くにあったフェンスまでたどり着くと、乗り越えるためにその縁へと両手をかけた。背負ったノゾムの重みと、泣き叫びたいほどの痛みに全力で抗い、体を持ち上げ、フェンスの上にまたがる。


 下を覗き込んでしまったのか、ノゾムが後ろで悲鳴を上げるのが聞こえた。喧しいと言いたいところだが、今回ばかりは彼女だけを責めることはできない。御影自身ここまで高い場所に来たのは初めてだった。


「イヤァ! 死ぬ! 死ぬってこれ!」


「……………………大丈夫だ」


「その不自然な間は何? ここまで来てそれはないよ御影!」


 フェンスの向こう側、ビルの縁へと着地する。ここから一歩踏み出せば、地上五百メートル以上の場所から真っ逆さまだ。さすがに足がすくんでいるのがわかる。


「ねえ、本当に大丈夫? 死なないよね? 地上で真っ赤なお花が咲いたりしないよねえ?」


「生き延びたいなら、俺の背中でじっとしていろ! もう目は閉じるんだ! 絶対に開くなよ! 冗談抜きで死亡確定だからな!」


「……」


「……」


「い、行かないの?」


「うるさい! 俺だって人間だ! ぶっちゃけると超怖え!」


「最後の最後で御影が折れたーー!」


 ノゾムがたまらずそう叫んだところで、エレベーター横にある階段用の出入り口が勢いよく開け放たれた。


 反射的に、視線がそちらへと吸い寄せられる。屋上に真っ先に上がってきた彼女、治安維持隊元帥、ヴィクトリア・レーガンは、御影と目が合うや否や、手にした拳銃をこちらに向けようとした。


 だが、彼女が発砲するよりも、御影が最後の逡巡を捨て、大の字になって虚空に身を投げ出したのが一瞬だけ早かった。


 拳銃から放たれた弾丸が、つい先ほどまでノゾムがいた空間を抉っていく。まだ聞きなれないその銃声に背中を押される形で、二人の体は急加速しながら地上へと吸い込まれていった。


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