第一章 名もなき舞台の上で 2-2
2-2
御影は頬杖をついた状態のまま、そっと両目を閉じた。
自らの意識を、体の外側へと広げていく。その範囲は邸宅内部を超え、庭全体へと広がっていった。
大気が、揺れ動いている。空気中の微細な分子。その一つ一つが無秩序に動いているように見えて、全体では大きな流れをつくりだしているのがわかる。
それをかき乱すのは、個々の分子よりも、むしろ大気の流れの中に混入される異物だ。それは樹木でも、石像でも、そして生きた人間でもいい。
「隠しても仕方ないからな。俺は超能力者だ。というか、学校名を言った時点で察しろよ」
「ちょ、超能力者! すごいねミカゲン! スーパーマンじゃん! 全身青タイツじゃん!」
「だから何でお前は、そんなに古い作品を持ち出してくるかね。知っている俺も俺だが。あと、そのミカゲンっていう呼び方はやめろ。御影でいい」
「ええー。かわいいのに」
「だから嫌なんだよ」
気体の流れを把握すれば、どこに何があるのかを大まかに把握することができる。とくに生き物はわかりやすい。生きている限り呼吸せざるをえず、また体温が気温と異なれば、それだけで気流が方向を変える。
御影は目を開けると、不満そうに口を尖らせるノゾムに、少しだけ相好を崩した。
「いい加減コントをやめて真剣にいかせてもらうぞ。いつまでたっても話が進まねえ」
「あ、コントになっている自覚はあったんだ。案外空気も読めていたんだね」
「うるせえよ、クソアマ。聞きたいことは単純だ。てめえ、一体全体何者で、どうしてヤンキーに攫われるようなことになったんだ? 明らかに訳ありだよな」
ノゾムは少し顔を陰らせると、御影から目を背けて俯いた。肩口にかかっていた髪がその動きで下に落ちて、彼女の唇をかすめて揺れた。
「怒らないでね。正直ノゾムも、どう説明していいかわからないや」
「……どう説明していいかわからない、ねえ」
御影はノゾムの言葉を繰り返すと、右手を頬から離して、先ほどまで彼女が読んでいた本の上に乗せた。
「わかりやすく伝えようなんて考えなくてもいい。短くしようとする必要もねえ。だから好きなように話せ。疑問に思ったことは逐一聞いていく」
御影がそう促すと、ノゾムは小さく頷いて、御影の顔を見上げてきた。
「小さいころから、ノゾムは病院に預けられていた。理由はよくわからないし、両親についてもあまり覚えていないんだ」
右手を本の裏表紙から離して、彼は少し姿勢を正した。
「その『病院』とやらに、だいたい何年前からいたかわかるか? あと、その理由は?」
「多分だけど、七年前だと思う。病院の人たちは、ノゾムが頭の病気だからって言っていたけど、正直その実感はなかったかな」
「七年前、ね」
七年前の二三九二年といえば、御影が十歳だったときだ。超能力者に選出された御影にとっても特別な年ではあるが、それとは別に二三九二年には……。
「考えすぎか」
少々発想を飛躍させすぎたかもしれない。御影は今思いついたことについてはとりあえず棚上げすることにして、なぜか床で正座している彼女に続けて問いかけた。
「そうだな。『病院』内部に、お前に親切にしてくれる人とかはいたか」
「うん、一人いるよ。アリスさんっていう人。黒い服を着た眼鏡のお姉さんでね。よくノゾムの部屋に本を持ってきてくれたんだ。ビデオも見せてくれたし、たまに庭に連れ出してくれたりもしたんだよ」
「それは、本来許されていないことだった?」
御影の問いかけに、ノゾムは目を丸くして言った。
「よくわかったね。お姉さんはいつも、職員さんには秘密だって言ってたよ」
「……すごいだろ。昔からそういう勘だけは鋭いんだよね、俺」
軽い調子でそう応じながらも、ノゾムの言葉に御影は思わず天井を見上げてしまった。
物事を学ぶ上で必要不可欠な本ですらまともに与えられず、施設敷地外への出入りをさせてもらったことはない。
確定だ。ノゾムはその『病院』にいたのではない。彼女はそこに監禁されていたのだ。おそらく、一般に知られるわけにはいかないような理由で。
そう考えれば、外見に反して彼女の精神が異様に幼いことにも説明がつく。
「話を少し戻すが、病気の実感がなかったということは、具体的に病名を聞かされていたわけではないんだよな」
「うん、そうだね。食事の後に、薬はいつも飲まされていたけど」
はたしてその薬とやらは、どのようなものだったのか。ただの偽薬ならば問題ないが、最悪を想定してしまうときりがない。
「それでね。昨日の話なんだけどさ。ノゾムは病院の外に出されちゃったの」
「出された。どうして」
「うん。あのね、ノゾムが寝ていたときに、突然ビービーうるさい音がしたんだよ。警報ってやつだと思う。で、起きてみたら、病院が火事になっているって、大騒ぎしていたの」
「火事になっていた」
昨日の、あの学生警備との会話が脳内に浮かんでくる。もしかしなくても、ちょうどノゾムを保護したころに全焼してしまった施設が一つあったはずだ。
「うん、火事。どうしようかと思っていたら、なんだか会ったことがない職員さんが来てね。ノゾムを外に連れて行ったんだ。ノゾム一人で逃げなさいって」
怖かったよ、とノゾムは明るく言った。
「とっても小さいころに、ノゾムもお父さんやお母さんと町を出歩いたことがあるはずなんだけどね。病院の外は、やっぱりノゾムにとっては全部目新しかった。本物の車が走っているのは大迫力だったし、建物とかも映像で見たのとは全然違うからね」
黙ったまま身動き一つしない御影に対し、ノゾムはとても楽しそうに、御影と話していることを本当に楽しいと感じているかのように、終始笑顔で喋り続けた。
「でね、でね。街を歩いている間に、ヤンさんに捕まっちゃったの。ヤンさんだよね? アニメで見たのとそっくり」
「……いろいろと世紀末だな」
「で、目が覚めたら、なんかでっかいお屋敷で、でっかいベッドの上に寝かされていたというわけ。すっごいね。映画みたいだよね」
御影は彼女から目を逸らし、再びカーテンの方へと目を向けた。壁の向こう側で、風が穏やかに吹いている様子が、御影には手に取るようにわかった。
「で、俺の家を荒らしまわったというわけか」
「……いやでも、見知らぬ場所にいきなり連れてこられたら、そこがどういう場所か確認するのは当然のことじゃないかな」
「そうだな。当然だな。そのついでに、トランプで遊んだり、台所で食べ物を盗んだり、書斎で人の本を勝手に読んだりするのも当然のことだよな」
「……あう。ごめんなさい」
「何で謝ってるんだよ、お前。俺はお前に対して怒りなんて微塵にも感じていないし、お前の言い訳は百パーセント正しいと納得しているのに」
「うわあ! 確かに私が悪いんだけど、君の方は人が悪いような気がするよ!」
御影はカーテンに視線を固定したまま、彼女の抗議を無視した。
「確認したいんだけど、お前の友達って何人くらいいるんだ」
「へ? いや、アリスさんと、あと職員さんを合わせて三人くらいかな」
「そうか。実は……そうだな、十人くらい軍人のお友達がいたりしないよな」
「当たり前だよ。だいたい軍人さんなんて会ったこともないよ」
「だろうな。で、次が一番重要なことなんだが」
御影はもともときつい目元をさらに尖らせて、カーテンの『向こう側』を睨みつけた。
「とりあえず、お前の父親の名前がわかるなら、教えてくれないか」
「お父さんの名前? ええっと……」
ノゾムは人指し指を顎に当てると、しばらく考え込んだ後に、呟くように言った。
「確か……こんどうまこと、じゃなかったかな」
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