プロローグ 2





 現場の一帯全てが、黒と化していた。


 特別能力育成第一高等学校四年生、エボニー・アレインは、見知った少し猫背な人影を見つけて、そちらへと歩いて行った。


 カフェオレ色の健康的な肌をした、すらりと背の高い少女だった。かなりの長身で、身長は男性平均のそれを優に越えているだろう。黒人の血が入っているにしては癖のない長い黒髪は後ろで束ねられ、風に吹かれて夜闇にゆらゆらと揺れていた。蓬色のポロシャツに、タイトな紺のジーンズをはき、腰のベルト通しのところには銀のアクセサリー類を大量につけている。胸元には紅の十字架のペンダントが下げられ、耳には大きな輪の形をした金色のイヤリングがつけられていた。


 総じてどこか軽薄そうな雰囲気を醸し出す少女だが、右胸で銀色に輝くバツ印のデザインをしたバッチがその印象を吹き飛ばしていた。


 学生特別警備隊。通称学生警備のバッチだ。


 彼女の通う超能力者専用高校の一つ、トウキョウ特別能力育成第一高等学校は、治安維持隊直属の教育機関だった。卒業後には隊の何らかの職業につけることが確約されており、優秀な生徒には在学中に軍から階級と簡単な仕事が与えられる。彼女もそれに該当しており、主な仕事として週二、三回の市内警備と、第一高校にいる不良生徒の取締りを行っていた。


 そんな彼女も、本来真夜中には学生らしくベッドの中にいてもおかしくないのだが、緊急の仕事だと、隊員中唯一学生ではなく教員の隊長にホログラム通信で叩き起こされ現在にいたる。


「学生警備副隊長、エボニー・アレイン。ただ今到着しました」


 エボニーが背筋を正してそう言うと、対する男は眠そうにこすっていた目を少し見開いて、まじまじとエボニーのことを見つめて言った。


「なんだいエボちゃん? どうしてそんなに気合入っているわけ? こんな真夜中なのに」


「……こんな真夜中に呼び出した張本人が何を言っているのですか、地味な隊長」


 彼女の言葉に、男は少し微妙な表情を浮かべた。


「ねえエボちゃん。僕が、その、なんだ。少し地味なことは認めるよ。だけど僕にはちゃんとジミー・デュランっていう名前があるわけでね。いや確かに共通語だとどちらの発音も同じに聞こえるけど、ジミーと地味には天と地ほどの差があるわけで」


「無駄話はやめてください。状況の説明を、地味ー隊長」


「違ったよね。いや、確かにどっちもジミーだけど、今の絶対に漢字の方だったよね」


 ジミーは左手で無精ひげを撫でながら、近くにあった電信柱に寄りかかって胸ポケットからタバコの詰まった箱を取り、一本つまみ出して口に加えた。


 それに応じて、彼女はポケットからライターを取り出し右手に握ると、彼の方へと突き出し、


「未成年の私に汚い煙を吸わせる気なら……煙草ごと顔面焼き払いますよ?」

と言って、鋭い視線を彼に突き刺した。


 ジミーはくわえていた煙草をとり落とすと、若干顔を引きつらせて言った。


「気をつかってくれたわけじゃないのね。というか君が言うと洒落にならないよエボちゃん」


「ええ、そうでしょうね。だって本気ですから」


「そこは嘘でも冗談だと言ってほしかったかな!」


 かなり残念そうに煙草の箱を胸ポケットへと戻すジミーに、エボニーはフンッ、と鼻を鳴らすと、隊長から目を逸らして、問題の現場へと視線を向けた。


「……酷い有様ですね」


 エボニーがいる場所は、端的に言ってしまえば火災現場だった。


 どうやら放火であるという話はエボニーも通信で既に聞いていた。火がつけられたのはトウキョウ精神医療研究センター。かなり大型の建物で、かつ防火設備もしっかりと整っているはずであり、本来ならば火災になったとしても施設の一部が燃えるだけで済んだはずだった。


 それが、全焼していた。


 階数は五階。敷地の総面積もかなりのものであるはずなのに、施設のすべてが、炭と化した部分と煤とで黒に染め上げられていた。


「隊長。なぜこのようなことに? 国営の重要施設が、放火とはいえ全焼するなんて、ただ事ではありません」


「情報が錯綜していてねえ。どうにも状況がはっきり見通せないけれど、少なくともこれだけは言える。この一件、まず間違いなく、超能力者が絡んでいるね」


「超能力者が?」


 エボニーの問いかけに、ジミーはにへらと相好を崩して言った。


「ねえエボちゃん。もしかしたら君が犯人だったりしない? そしたら速攻君を治安維持隊に突き出して、出世の材料にするんだけど」


「こんなときに不謹慎な冗談を言わないでください。……しかしまあ、確かに、燃焼反応一般を操る私は、容疑者候補の一人ですね」


「……え? エボちゃんマジで犯人なの?」


「自分が怪しいと言う犯人が、どこの世界にいるのですか。そんなに怪しむのなら、私の行動記録を閲覧したらどうですか」


 エボニーの言葉に、「冗談なのに」と口を尖らせながら彼は胸ポケットの煙草へと手を伸ばし……部下にゴキブリか何かでも見るような視線を突き刺されて、しぶしぶと箱を戻した。


「僕も根拠なく、超能力者が関わっているなんて言っているわけではないよ。これだけの建物が全焼だなんて、普通ありえない。そして周囲の住人が爆発音のようなものを聞いたという報告もない。つまり、何らかの形で火が燃え広がるようにされていたと考えるのが適当だ」


「それこそ、常識の枠を超えた力が必要だと言うのですか?」


「そう考えるのが楽だね。それからあと、火災の報告が消防隊へと行くのがあまりにも遅かった。どうして通報が遅れたのやら」


 それはエボニーも疑問に思っていたことだった。研究センターが全焼したということは、火災時にはかなり派手に燃えていたはずだ。それなのに消防隊が駆け付けたときには、既に火は収まりかけていたのだという。


「それでもって最後に、火事による死傷者及び負傷者は一人もいないときた」


 一瞬、負傷者がいないことの何が問題なのかと言いかけたところで、彼女はジミーが言わんとしていることに気がついた。


「別の理由で負傷した人間がいるということですか?」


「さすがエボちゃん。察しがいいねえ。ちょっと違うけど、誤差範囲だ。ところで、煙草くわえちゃだめかな? いや、火はつけないからさ」


「それくらいならいいですけど」


 ジミーは嬉しそうに箱から煙草を一本取り出し、口にくわえた。健康云々の話を除けば似合っているかもしれない。それを口にだしたら、絶対に調子に乗るのでしないが。


「うん、やっぱり僕は、煙草をくわえていたほうがかっこいいよね」


 ……言わなくてよかったと、心底思った。


「負傷者はいない。死傷者もいない。だが、意識不明の人間ならたくさんいた。この研究センターで働いていた人間の何人かが、庭に寝かされていたんだよ。丁寧に並べてね」


「それは、煙を吸って気絶してしまった人を、施設の人間が運び出したからでは?」


「違う。彼らには外傷がないばかりか、服には煤すらついていなかった。火災とは別の理由で意識を失い、そして放火の前に庭に運び出されたんだ」


「……疑うわけではありませんが、本当ですか?」


 エボニーは眉をひそめてジミーのことを見つめた。


「もしそうだとするなら、それは明らかに放火犯がしたことです。ですが、犯人……いや、犯人たちにそのようなことをするメリットを見出すことができません」


「そうだね。僕にもわからないよ。放火なんて大それたまねはできても、人の命を奪うことには抵抗があったのか。それとも……何か、別の目的があるのか」


 それだけ言って、ジミーは腕組みをして黙り込んでしまった。


 エボニーは思わず舌打ちしそうになるのをなんとか堪えた。何か考えていることがあるなら、口に出して言ってほしいものだ。エボニーが話の先を促そうと口を開いた、そのときだった。



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