第17話 VS坂本龍馬②

「あ、あなたは……!」


 扉の向こうから現れたその男の姿を見て、坂本が目を見張った。

 腰に刀を携えた、その顔立ち。その佇まい。時代劇に出てきそうな着物に身を包んだその姿は、歴史の教科書で見る『坂本龍馬』そのものだった。


「初めまして。エントリーナンバー”三番”。坂本龍馬の生まれ変わりの、本名・佐々木小次郎です」

「坂本龍馬の生まれ変わりの、佐々木小次郎……!?」

「ややこしいな」

「座ってもよろしいかな?」


 坂本龍馬を名乗る男が、余裕たっぷりの仕草で無精髭を撫で上げた。坂本は玉坂少年とハイタッチを交わすの止め、慌ててパイプ椅子へと戻った。櫻子がちらと横を見ると、ひょろ長の探偵は大粒の汗を掻いていた。


「この威圧感……! 本物だよ。あの『見た目』は間違いなく、本物の坂本龍馬……!」

「さっきまで人は『心』だとか言ってたじゃねーか」

「ああ……だけどやっぱり、人は『見た目』だった……」

「最低だな……」


 自称・坂本龍馬は椅子に腰掛け、慌てふためく二人の様子を黙ってじっと見据えていた。エントリーナンバー”一番”と”二番”の坂本龍馬も、固唾を飲んで三番を見つめている。坂本が咳払いを一つして、震える指で彼の履歴書を捲った。


「そ、それでは佐々木小次郎さん。あなたはどこらへんが坂本龍馬なんですか?」

「はい。ご覧の通り、私は坂本龍馬の『体』……先生の『見た目』をそっくりそのまま受け継いでいます」

「確かに……歴史の教科書を見ているようですね」


 坂本の乾いた笑い声だけが、静まり返った事務所に虚しく響き渡った。


「あ……何か傷つけてしまったようなら、ごめんなさい」

「いえ……お気になさらず」


 もう慣れっこになってしまいました、自嘲気味に笑った後、佐々木は小さくため息を漏らした。


「実は……私自身は龍馬先生のような政治的な活動ではなく、どちらかと言うと宮本武蔵のような剣豪……剣の道に憧れているんです」

「ははあ。宮本武蔵に憧れる、坂本龍馬似の佐々木小次郎ですか」

「捻れすぎて余計分からなくなってきたな」


 佐々木が悲しげな表情で、親指と人差し指で目頭を押さえ頭を振った。


「何せこう言う風貌をしているものですから。名も知らぬ街の人々に『江戸時代に帰れ』だとか、『空気読め』みたいな誹謗中傷を受けることも……」

「それはまあ、好き好んでそう言う格好をしているあなたも悪いと思いますよ」

 金髪少女が、この現代社会で祭りでもないのに和服を着た三〇代をマジマジと眺めて言った。


「櫻子くん! あまり本当のことを言いすぎてはダメだよ。核心を突かれると、人は怒り出すものだからね」

「嗚呼! 私はただ、こう言う『体』に生まれた、ただそれだけなのに! そのせいか極度の人間不信になってしまい……『何故みんな分かってくれないんだ』と、夜な夜な枕を濡らしているのです!」

「子泣き爺かテメーは」

「櫻子くん! なるほど、とても苦労されているのですね。では次の方……」


 『体・坂本龍馬』が泣き止むのを待って、坂本が次の坂本龍馬を中に招き入れた。


「あ!」

「お……お前は……」

「こんにちは。お久しぶりですね、坂本先生」


 探偵たちが目を丸くした。

 四番目に入ってきたのは、櫻子の通う高校の風紀委員、田中美命だった。宇宙の誕生以来、全世界の生物は自分のせいで死んでしまったと思い込んでいた、自称・死神の少女だ。背筋をピンと伸ばす田中の姿を見て、坂本が顔を綻ばせた。


「田中さん! 久しぶりですね。今日は何故ここに……?」

「ええ。先生が新しい助手を探していると聞いて。是非私が次の坂本龍馬になろうと、そう思って参りました」

「なろうと思って、なれるものなのか? 生まれ変わりってのは」


 にっこりとほほ笑む同級生に、櫻子が眉をひそめた。


「大体お前、こないだまで死神になるとか言ってたじゃねーか」

「ええ、言ってましたけど。それはもう過去のことです」

「こいつ、完全に開き直ったな……」

「先生のためなら、私鬼にだって、坂本龍馬にだってなりますわ!」

「いやだから……なれるもんなの?」

「田中さん。あなたはどこらへんが坂本龍馬なのですか?」


 坂本が履歴書を受け取りながら尋ねた。田中は笑顔を絶やさず、胸の前で小さくガッツポーズを作った。


「ええ。私今日から『坂本龍馬になる』と。誰よりも固い決意を持って来たのです! 今はまだこれっぽっちも坂本龍馬ではありませんが……この『決意』こそが、私が坂本龍馬になる証です! 私、他のどんな坂本龍馬候補よりも……」

「なるほど、『決意』! それは確かに、何よりも大事なものかもしれない!」

「そんなこと言い出したら、もうなんでもありじゃねーか。『鼻が坂本龍馬』とか……」


 櫻子を無視して、又しても坂本が机を飛び越して田中の元へと駆け寄って行った。元死神少女の手を取り、坂本がやけに低音を響かせながら語り出した。


「田中さん。いや、坂本さん。アニメやゲームじゃないんだから、無理して他の誰かと争ったり、闘う必要なんてないよ。ただただ、自分との闘いなんだ。自分がそうなりたいと思ったのなら、焦らずじっくり前を見て進んで行けばいいんだよ。たとえそれが、人にはどんなに難しく思えることだって……」

「先生……!」

「だって無理だろ。完全に別物だもん」


 櫻子を無視して、坂本はエントリーナンバー”一”から”四”を引き連れて、事務所の外へと駆け出した。

「さあ皆さん。今日はお疲れ様でした! 新しい助手の誕生を祝って! 焼肉でも食べに行きましょう!」

「ありがとうございます!」

「ありがとうございます! 先生!」

「いやちょっと待てよ。終わり? 五人目は?」

「今日は朝まで、牛カルビを焼き尽くしましょう! あの坂本龍馬のように!」

「いいですね、先生! 麦酒をたらふく飲みましょうよ! 坂本龍馬のように!」

「ハッハッハッハッハ!」

「勝手に坂本龍馬像を捏造するなよ! おい!」


 櫻子を無視して、坂本達が扉の向こう側へと姿を消した。

 櫻子が踊り場へと顔を出すと、ちょうど坂本集団とすれ違いに、一人の男が階段を登ってくるのが見えた。男は櫻子を見上げると、気さくな笑顔を見せて手を振った。


「!」

「やあお嬢さん。遅れて申し訳ない」

「あ……あなたは……!」


 見た目が完全に『体・坂本龍馬』にそっくりな男が、金髪少女の前で丁寧に頭を下げた。


「私、今日五番目にお約束をしていた、坂本龍馬と申します」

「坂本龍馬……!?」

「中に入ってもよろしいかな?」


 興味深そうに事務所の中を覗き込む男を、櫻子はまじまじと眺めた。目の前に現れた男は、確かに坂本龍馬そっくりだ。一瞬、エントリーナンバー”三番”が帰ってきたのかと思った。脇に差してある刀もどうやら本物のようだった。何よりその顔……まるで歴史の教科書を見ているようだと思ったが、失礼に当たるかもしれないと思い櫻子は黙っておくことにした。


「ど……どうぞ」

「ありがとう」


 坂本龍馬は泰然として椅子に座ると、櫻子が用意したお茶を旨そうに飲み干した。しばらく櫻子は、黙って坂本龍馬を名乗る人物を見つめていた。


「…………」

「…………」

「あ……あの……」

「ん?」

「あなたは……もしかして、本物の坂本龍馬?」

「勿論。実はこの間屋敷で暗殺されかかったんだが、目の前が真っ暗になって、気がついたらこの辺りで目が覚めていたんだよ」

「えぇー……そんな……嘘だぁー……」

「フフ……信じられなくとも無理はない。証明なんて誰にもできやしないだろうからな。私とて、死後の世界と言うのはもっとハスの花とか、或いは煮えたぎる釜みたいなものを想像していたのだが……こんなにも人で溢れかえった世界だったとは」

「うーん。否定されても動じないところが、逆に本物っぽい……」


 坂本が戯けたように肩をすくめて見せた。櫻子が目を白黒させた。


「じゃ、じゃあ……本当にあるんですかね? 転生とか、生まれ変わりみたいなものが……?」

「それは私には分からないな。それで?」

「はい?」

「私に用があったんだろう? この紙を見てやってきたんだが……」


 そう言って男は、『坂本龍馬、求む!』と書かれた広告を着物の中から取り出した。一体いつ用意していたのか、それは坂本虎馬が配っていた助手募集のチラシだった。櫻子が目を逸らした。


「あー……。すいません。そちらの方は、こっちでもう解決しちゃったんス」

「なんだって?」


 櫻子が申し訳なさそうに頭を掻いた。 


「代わりの坂本龍馬、さっき見つかったみたいなんで……」

「なんと! 私ではなく!?」

「ええ。田中っていう、全然関係ない女子高生なんですけど」

「そんな馬鹿な! 坂本龍馬が女子に!?」

「残念ながら、事実です」


 口をあんぐりと開ける男に、櫻子は頭を下げた。


「そうか……それは、一足遅かったようだな……」

「申し訳ございません」

「いや、構わん。しかしどうしたものかな、これから……」

「じゃ、じゃあ、焼肉を食べに行きませんか?」

「焼?」


 首をかしげる和服姿の男に、櫻子は精一杯の笑顔を作った。


「ええ。そこで四人くらいの坂本龍馬たちが、馬鹿騒ぎしてると思うんで……」

「おお……私が四人も……。何とも奇怪な世界に迷い込んでしまった……!」

「大丈夫ですよ。すぐに慣れます」


 頭を抱えていた本物らしき坂本龍馬に、櫻子はにっこりとほほ笑んだ。



《続く》

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