第二幕
第16話 VS坂本龍馬
「櫻子君。君は坂本龍馬を知っているかい?」
「何だよ急に……」
昼下がりの午後。
突然声をかけられ、探偵事務所のソファで寝そべっていた金髪少女が顔を上げた。見ると、デスクの前でパソコンに向かっていた坂本虎馬探偵が、なぜか得意げに頷いていた。
「坂本龍馬。『日本の夜明けぜよ』。この国を改革した、歴史的な偉人さ。名前が似ているから、何だか親近感が湧くだろう?」
「いや特に……似てるのはお前だけだろ」
「実は最近、あまりに依頼がなさすぎて、近所で聞き込みに回ってたんだけど」
「…………」
「事務所の周辺だけでも、『私こそが坂本龍馬の生まれ変わりだ』と宣うご老人に、三人も遭遇してしまったんだ」
「なるほどヒマしてんなァ……」
途端に興味を無くし、櫻子は再びベッドに寝そべった。ひょろ長の探偵はおもむろに立ち上がり、引き出しの中から何やら電卓を引っ張り出した。
「仮にだよ。仮に半径五キロ以内に三人の坂本龍馬がいるとすれば……全国に換算すると、日本には約四八〇〇人の坂本龍馬がいることになる」
「多すぎだろ。そいつらで何回この国改革する気なんだよ。日本の闇だよもう」
「もし彼らが協力して日替わりで日本に夜明けをもたらしたのなら……今後十三年間以上、日本には夜明けしか来ない!」
「それはそれで、何か嫌だな……」
櫻子が赤いジャージのポケットからキャンディを取り出し、退屈そうに口に咥えた。坂本が電卓片手にソファを覗き込んだ。
「櫻子君は、生まれ変わりとか輪廻転生とか信じないの?」
「信じてねーよ。フィクションじゃねーんだから」
「櫻子君!」
坂本が仰々しく顔を覆ってみせた。櫻子が何事かと眉を吊り上げ、キャンディを噛み砕いた。
「君はまた、そうやって現実ばっかり直視する! もっとこう、ないの!? 漢のロマンとか、壮大な夢とかさあ……」
「テメーが夢見がちなことばっかり言ってるから、私が現実見てんだろーが!」
「実は今日、約四八〇〇人の坂本龍馬の中から、選りすぐりの五人を此処に招待してあるんだ」
「はあ? 何のために?」
少女がようやくソファから起き上がった。坂本探偵が小さく笑みを浮かべた。
「フフ……実はその坂本龍馬の生まれ変わりを、ウチの新しい助手にしようと思ってね」
「新しい助手?」
「櫻子君一人だと、やはり何かと負担がかかるだろう?」
「そりゃあ……」
櫻子は曖昧に返事をした。坂本は立ち上がり、壁に掛けられていた時計を見上げた。
「さて。もうすぐ坂本龍馬の生まれ変わり達が到着する頃だ。一体誰が”本物”の坂本龍馬の生まれ変わりなのか。探偵として、観察力と洞察力が問われるよ!」
「生まれ変わってる時点で、もう”本物”とは言えないだろ。つーか私ぶっちゃけ、坂本龍馬ってよく知らないんだけど……」
「観察力と洞察力が問われるよ。探偵として!」
その言葉が気に入ったのか、坂本は何度か『観察力』と『洞察力』というセリフを繰り返しながら踊るように台所へと走っていった。櫻子は冷え切った目でその背中をジッと眺めた。
坂本のお
そんな櫻子の胸中は露知らず、坂本はせっせと坂本龍馬たちを招き入れる準備を始めるのだった。
□□□
「それでは最初の方、中へどうぞ」
坂本がパイプ椅子に腰掛け、事務所の中央に陣取り声を張り上げた。
すると、扉が開き、一人の男がのっそりと事務所に入ってきた。年齢は五十代かそこらだが、上背があり筋肉質で、はち切れんばかりにTシャツが膨れ上がっている。手には何やら藍色の布で巻かれた棒のようなものを持っている。櫻子は坂本の隣に腰掛け、やってきた男をじっと眺めた。こんがりと焼けた黒い肌にゴツいサングラスは、幕末の武士というよりは映画のちょい役で登場するギャングに近かった。
「初めまして……。エントリーナンバー”一番”、坂本龍馬の生まれ変わりの、坂木平治郎と申します」
「何だかややこしいな」
坂木と名乗った男は見た目に似合わず畏まってお辞儀をすると、坂本と櫻子の前に用意されていた椅子に腰掛けた。坂本が手渡された履歴書に目を通しながら、坂木に質問を始めた。
「初めまして。ここで探偵事務所を開いている、坂本虎馬です。早速ですが坂木さん」
「はい」
「貴方が坂本龍馬の生まれ変わりだ、という証拠は何ですか?」
「はい。実は……」
そういって坂木は長物の布を解き、真剣を取り出した。櫻子が思わず仰け反った。
「うおお……!?」
「フフ……安心して下せえお嬢さん。ココじゃあ、やり合う気はありませんから……」
黒いサングラスを光らせながら、坂木が不敵に笑って見せた。よく見ると、彼の顔中には細かな切り傷がたくさん刻まれていた。櫻子はパイプ椅子に座り直しながら、驚いてしまった若干の恥ずかしさを誤魔化すために咳払いをした。
「ココ以外だったら、やり合う気あんのかよこのオッサン」
「坂木さん、その真剣は?」
「ええ。私はね、坂本龍馬先生から、剣術の技を会得したのです。いわば私は、龍馬先生の『技』の継承者。さあ、とくとご覧に入れましょう!」
坂木は奇怪な掛け声とともに、突如立ち上がり真剣を振り上げ、二人の前で自慢の剣術を披露し始めた。
「おお……!」
空気を切り裂く銀の刃の舞。およそ数十秒間、流れるように刀を振るう坂木に、坂本と櫻子はしばらく目を奪われた。
「ハァ……ハァ……」
やがて坂木は体力の限界に達したのか、大量の汗を床に滴らせながら真剣を鞘に収め、杖代わりにして片膝をついた。坂本が櫻子の横で息を飲んだ。
「おおお! すごい……! 坂木さん。その剣術は一体どこで?」
「ハァ……ハァ……はい。近所の剣道教室で……!」
ダラダラと滝のように流れる汗を拭いながら、坂木がサングラスを外した。坂木は強靭な見た目の肉体に似合わず、リスを思わせるつぶらな瞳をしていた。
「なるほど、そこで教わったのですね」
「いえ、教室に通っているのは中高生が主で。仲間に加わるのは恥ずかしかったので、外から毎日こっそり稽古場を覗き込んでいました」
「覗きかよ!」
「それから毎日大河ドラマを見て研究したり……技は教えてもらうのではなく、『見て盗め』と、それが先生の教えでしたので……」
「なるほど。良くわかりました。それではしばらく横の席でお待ちください。次の方をお呼びしますのでね。今の所、あなたが一番坂本龍馬に近いですよ!」
「どこが?」
坂木が丁寧にお辞儀をして横に退いた。櫻子の突っ込みを無視し、坂本は二人目の坂本龍馬を事務所に呼び込んだ。
次に入ってきたのは、いかにもひ弱そうな色白の、中学生くらいの少年だった。小さい。先ほどの坂木とは打って変わって低身長だ。まるでお化け屋敷にでも入ってきたかのように、ビクビクと身を縮こまらせていた少年が、蚊の鳴くような声で囁いた。
「こ、こんにちは……。えと僕、エントリーナンバー”二番”の、坂本龍馬の玉坂龍之介です」
「ややこしいな」
「落ち着いて、玉坂くん。大丈夫、君は坂本龍馬の生まれ変わりなんだから」
「勝手なこと言うなよ」
若干怯えた様子の玉坂少年を笑顔で迎え入れ、坂本が履歴書を捲った。
「それで玉坂くん。君は、一体何処らへんが坂本龍馬なんだい?」
「えーっと、その……恥ずかしいんですけど、僕はその、坂本龍馬の『精神性』を受け継いでいるんです」
「精神?」
顔を上げた玉坂少年は、照れているのかほんのり紅く頬を染めた。キラキラと光り輝く、希望に満ち溢れたその目つきに、櫻子は思わず目を逸らした。
「つまりその……龍馬の考え方や、行動そのもの……。日頃こうでありたいと言う、『心』そのものを……」
「心!」
「僕はその……見た目は弱っちいし。全然、刀とか握ったことないんですけど……」
「じゃあ違うじゃねーか」
「櫻子君は黙ってて!」
「でも、心だけは。心だけは常に先生のようにあろうと、そう思っているんです……!」
「なんてこった! 人は! 『心』じゃないか!」
「ウルサイな。一々立ち上がるなよ」
坂本の隣で櫻子が片耳を塞いだ。坂本は突如雄たけびを上げ、拳を天に突き上げ机を飛び越して行った。呆気に取られる櫻子の前で、探偵と少年が固い握手を交わした。
「君が! 君こそが! 真の坂本龍馬だ!」
「先生! 僕、僕……!」
「はい次ィ!」
感極まって涙ぐむ二人を強引に傍に避けながら、櫻子が三人目を事務所に呼び込んだ。
「こんにちは……」
「!」
ゆっくりと扉が開かれ、三人は息を飲んだ。
ゆらりと揺れながら中に入ってきたのは、まるで野武士のような見た目の、眼光を鋭く光らせた一人の男だった。写真に収め、そのまま白黒にして額縁に飾れば、歴史の教科書に載っていてもおかしくないような風貌だった。
殺気?
いや、その道を極めた達人だけが身に纏う
和服を身に纏ったその男が事務所に足を踏み入れた瞬間、途端に空気がピンと張り詰めていくのを、その場にいた誰もが感じ取った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます