頭ファンタジー探偵

てこ/ひかり

第一幕

第1話 VS天狗

「何だって!? トリックが解らない!?」

「そうなんスよ、犯人の田中さん」


 六畳一間の旅館の一室に、痩せた中年男性の叫び声が響き渡った。


 田中と呼ばれた男が、畳に正座したままあんぐりと口を開けた。彼の真向かいでは、鮮やかな金色に髪を染め上げた、眼光の鋭い、いかにもヤンチャしてそうな少女が申し訳なさそうに縮こまっていた。ところどころ重力に逆らったボサボサの金髪が、上下真っ赤なジャージに映えてよく似合っている。


 高校生くらいの若いその少女は、口にモゴモゴと棒突きキャンディを咥えたまま、丁寧に頭を下げ謝罪の言葉を口にした。


「あの野郎、ずっと奥の部屋に引きこもって、”天狗の仕業だ!”ってくり返すばっかで……。っんと使いもんになんねー……」


 深いため息をついた金髪少女の口調には、”あの野郎”に対する不満が有り有りと見て取れた。田中はずり落ちた眼鏡を元の位置に戻した。


「解らないって……彼は”名探偵”じゃなかったのか!?」

「私も最初はそう聞いてたんスけどねェ……ダメっスよアレはもう。せっかく田中さんが一世一代のトリック見せてくれたってのに、すっかりダマされちゃってて……。ホントスンマセン」

「ンな……!?」


 尚も謝罪を繰り返す不良少女の言葉に、田中は開いた口を塞げなかった。


□□□


 これじゃ、本末転倒もいいところだろう。


 この殺人事件の犯人である田中は昨日、眠れなかった。

 長年の復讐を遂げ、興奮の余り部屋を何十回も往復した。

 だがそれも次第に醒め、再び部屋を何十回も行き来した後、やはり当初の予定通り探偵に自首しようと、やっと覚悟を決めてこうして彼の部屋を訪れた。


 というのに……肝心の探偵が、犯人のしかけたトリックにすっかり引っかかっているだなんて。挙句、助手らしき十代の少女にまで呆れられている始末。

 ”探偵役”として、探偵を密かに自分が経営する”天狗旅館”に招待したのは、他ならぬ田中自身だった。だが、最後の最後でシマらない結末を迎えようとしている。田中は掠れた声で目の前で正座する少女に懇願した。


「そりゃ、困るよ……。事件を見事解決するのが、”探偵”の役目じゃないのか」

「なんスけど……」

「結構ありがちな、単純なトリックだったぞ?」

「当の本人がアレだから。……会って行きますか? あの”馬鹿”と」

「……そうしよう。早く捕まえてくれないと、私も決心が鈍ってしまう」

 田中はそう言うと、並々ならぬ覚悟で降ろしたはずの腰を上げた。少女が困ったように細い眉をひそめた。


「でも……ちゃんと推理してくれるかなぁ。あの馬鹿、すっかりトラウマになってるみたいだから」

「私からもお願いしてみるよ。何なら小学生にでも解るように、トリックを説明して上げたっていい」

「ホントっスか!? あざす、助かります! あ、飴食べますか?」

「ありがとう……でも、遠慮しとくよ」

「そっスか? 犯人がみんな、田中さんみたいに優しかったらいいんスけどねェ……」

「ハハ……」


 田中が苦笑した。小柄な少女が嬉しそうに破顔しながら、乱暴に奥の襖に手をかけた。

 スパーン! と小気味の良い音を立てて、襖が開け放たれる。

 仕切られた部屋の向こう側は、昼間だというのに灯りは消され、雨戸が締め切られていて真っ暗だった。部屋の中を覗くと、壁面に飾られた金箔の屏風絵の前の、巨大な布団の塊が田中の目に飛び込んできた。金髪の少女は部屋に入るなり、サッカーボールよろしくその布団の塊を蹴り上げた。


「オラッ! 起きろ!」

「!?」


 突然の出来事に、田中は思わず息を飲んだ。

 だが、かまくらのように積み上げられた布団の塊はうんともすんとも言わなかった。少女はパキン! と口の中のキャンディを噛み砕くと、布団の端っこを手に取り勢いよく引っぺがした。


「坂本ォ! 犯人の田中さんが挨拶に来てんぞ!」

「こんにちは。犯人の田中です」


 少女の怒鳴り声に合わせて、田中はそっと頭を下げた。重厚な花柄模様の掛け布団が金髪少女によって投げ出され、宙を舞う。


 しかし、野菜の皮むきよろしく引っぺがされた布団の中には、誰も入っていなかった。丸められた毛布が、身代わり人形のように中に置かれているだけだった。


「あれ……?」

「…………」


 少女は狐に抓まれたような顔で、後ろにいた犯人の田中を振り返った。それぞれの思惑が、しばらく沈黙の中を交差する。


「…………」

「…………」

「…………」

「……もしかして……アイツ殺しました? 田中さん」

「馬鹿な! 私は殺してない」

 田中が慌てて頭を横に振った。


「私が殺したのは、妻を医療ミスの名目で死に追いやった、あの佐々木と近藤の二人だけさ。坂本先生には……探偵役として、最後に私の罪を暴いてもらうつもりだった」

「それは、一体何のために……?」

「どうしても……自信がなかったからね。私は弱い人間だ。いくら自首しようと事前に決意していても、その瞬間になったら恐怖に駆られて逃げ出すかもしれない」

「…………」

「もし殺人鬼が野放しになったら、佐々木と近藤以外の人間にまで有らぬ迷惑がかかってしまう。復讐を誓ったとは言え、それは私の本意じゃない。捕まるまでが私の計画だったんだ。彼を殺すはずがないよ」

「じゃあ、あの野郎は一体何処に……?」


 少女が首を傾げながら、何気なく屏風の横の押入れを開けた。


「!!」


 その途端、田中は思わず悲鳴を上げそうになった。

 そこにいたのは、変わり果てた死体……のように青ざめた顔をした、名探偵・坂本虎馬だった。

 押入れの中で体育座りを決め込んだ坂本が、まるで生気のない目つきで、下ろした前髪の向こうから二人をじっと睨んでいる。暗がりの中ぼんやりと浮かぶそのやつれた姿は、知らない人が見れば、幽霊か何かと勘違いするに違いない。


「……何してんだ、オイ?」

 ジャージ姿の少女の低い声に、旅館の浴衣を身に纏った坂本が唇の端をヒクつかせた。

「フフッ……見ての通りさ。変わり身の術だよ。君たち、布団の中に僕がいると思っただろう? 思った通りだ! 君たちがもし天狗だったら、僕は今頃殺されていた!」


 坂本がヒステリックにそう叫んだ。少女は少し間を置いて、彼の胸ぐらを”愛情込めて”掴んで引っ張り出した。いくらヒョロっとした体つきとは言え、もう成人済みの男性が、さらに若い少女にいとも簡単に投げ飛ばされる。少女の腕っ節も強そうだが、男の筋力もよっぽどないのだろう。名探偵はそのまま宙を舞い畳の上に不時着し、その拍子に鼻を殴打して翻筋斗もんどり打った。


「ああっ」

「アホか、お前は。天狗なんていなかったんだよ。全ては犯人の田中さんが考えだした、巧妙なトリックだったの!」

「嘘だ! 人間にあんな曲芸ができるものか! 櫻子くん、君は騙されている!」


 櫻子と呼ばれた少女に凄まれ、坂本が怯えたように地べたで身を縮こまらせた。都会では名を轟かせていると言う探偵の、なんと惨めな姿なのだろう。これじゃどっちが年上か分かったもんじゃない、と田中は思った。”名”探偵……のはずの坂本が声を戦慄かせた。


「いいか! 死体は階段も窓もない、巨大な塔の天井に張り付いていたんだぞ! 道具もなしに、どうやってそんなことができる!? しかも翌日には、煙みたいに死体が消えてるし……」

「アホ! それを解くのがお前の役目じゃねえか!」

「ああっ」


 櫻子に足蹴にされ、哀れ天狗の恐怖に囚われた名探偵が、さらなる悲鳴を上げた。


「大体、この旅館に泊まってたのは私らと田中さんと、殺された二人だけじゃねえか。いい加減、もう解れよ」

「天狗だ……天狗の仕業なんだ……!」

「ハァ……。スンマセン田中さん、見ての通り、この人ずっとこんな感じで……」

「本当に天狗の仕業だと思い込んでいるのか……」


 櫻子が頷き、呆れたようにため息を漏らした。

 田中は呆然と、床を這い蹲る若い探偵を見下ろした。見えない何かに怯えた両目は、最早何も捉えてはいないように見えた。


 確かに山の中にあるこの旅館には、何十年も語り継がれた”天狗伝説”があった。だが田中は勿論、それを利用したに過ぎなかった。”天狗の仕業”に見せかけることで……今は亡き佐々木や近藤達に計画を悟られ、途中で逃げられるのを防ぎたかったのだ。

 だが肝心の探偵の方が、まさか本当に天狗が人を殺しただなんて信じるとは田中も思ってもいなかった。今時小学生にだって、そんなこと言っても笑われるだけだろう。それを、目の前のこの男は……。


「知ってるかい? 天狗は日本古来の転生者のハシリなんだよ。正体は外国人の見間違いだ、なんて説もあるけど。傲慢な者が死後魔物として蘇ったと言うのが、かつての一般的な天狗像だったんだ。因みに、傲慢な性格の女が転生したら”尼天狗”になる……」


 不気味に引きつった笑みを顔に貼り付けながら、坂本が金髪の少女をしげしげと見上げて呟いた。


「……だから?」

「ああっ」

 少し間を置いて、探偵のほっぺたが少女の白い靴下に暴力的なキッスをした。

「天狗になってるのはテメーだろ! ガキみてえに駄々捏ねてねえで、さっさと仕事しろ!」

「ハァ、ハァ……い、嫌だ! 天狗に殺されたくない!」

「バッカじゃねえの!? 天狗なんていねェーよ!」

「じゃあなんで……なんで死体が天井に張り付いていたんだい!?」


 引き続き靴下のキッスとともに、坂本の金切り声が部屋に響いた。櫻子は切れ長の目を釣り上がらせたまま、田中を振り返った。これ以上探偵の顔が変形してしまわないように、田中は慌てて助け舟を出した。


「あ……それは、死体を触られたくなかったから……」

「ほらぁ! 犯人の田中さんもそう言ってるからぁ!」

「そ……そんなに言うなら」


 浴衣が肌蹴て上半身が露わになった探偵が、弱々しく田中を指差した。


「もう一回……もう一回やって見せてくださいよ! 自分が犯人だって言うんなら! 天狗のように空を飛び回って、天井に死体を貼り付けるトリックを!」

「わ……私が?」

 探偵からの突然のご指名に、田中は面食らった。坂本の指は小刻みに震えていた。

「ぼ、僕は無理だって言ったんだ! でも”あの人”が……”あの人”が出来るって言うから!」

「”田中さん”、だろ! 犯人にはちゃんと敬語使え!」

「ああっ」

「いいでしょう。お見せしますよ」


 寝っ転がった布団を引っ張り寄せ、蝸牛のように怯え隠れようとする探偵役を見かねて、田中は思わず手を挙げた。櫻子が振りかぶった右足を、バランスを保ったまま空中でピタリと止めた。


「田中さん……いいんスか?」

 少女が申し訳なさそうに犯人を振り返った。田中は頷いた。

「ああ。このままでは、彼が可哀想だ。私が考え出した”空中浮遊”のトリック、今一度再現してみせようじゃないか」

「なんだって!?」


 坂本が驚いたように目を見開いた。田中は動揺を隠せないでいる彼を見下ろして宣言した。


「二人とも、今夜あの塔にお越しください。天狗の正体を、犯人である私が見事に暴き出して見せますよ」

「田中さん! あざす!」

「で……できるもんか……! 人間業じゃない……あんなもの……」

「では、失礼する」


 呆然と口から泡を吹く探偵に別れを告げて、田中は颯爽とトリックの用意に出かけて行った。


□□□


「天狗はいるに違いないんだ……。きっと……天狗は……!」

「坂本ォ……オメーいくつになったんだ?」


 部屋を出て行く間際、田中は後ろを振り返った。そこには、刺々しい少女に飴玉を差し出され、頭から布団を被り震える惨めな男の姿があった。田中は思わず苦笑した。


 これじゃどっちが探偵だか、分かったもんじゃない。

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