1-6
「
自分とは違い一切の緊張も見せない結芽が、今にもあくびをしそうな気だるげな表情で言った。二人組はわずかに苛立った様子を見せるものの、
「私ひとりに敵わなかったのに、無駄足もいいとこ……」
そのとき、
あまりの熱気に、達規は両腕で顔を
「熱っ……」
息をするたびに肺が焼けるようだ。結芽は大丈夫だろうか――腕をわずかにずらして隣を見た達規は、
彼女は炎から吹き上がる熱風に髪を舞わせながら、先ほどと何も変わらない様子で立っていた。一度だけ
直後。
ぶわりと、彼女から凄まじい殺気が放たれた。両腕で構えていなければ、達規は特訓のときのように卒倒していたかもしれない。
全身が恐怖するのを感じながらなんとか耐えていると、炎がしだいに消えていくのが腕の隙間から見えた。鎮火という消え方ではない。まるで、幻のような――
「あれ……?」
いつの間にか、炎は跡形もなく消え去っていた。結芽の殺気も収まっており、あるのは何も変わらない五月の日暮れの街並みだけ。
鳥の鳴き声ひとつ聞こえない静けさのなかで、数秒おいて御蔵が舌打ちした。
「隙すらつけないのか」
小声ではあったが、結芽の耳にもしっかりと届いていたようだった。結芽がゆるりと首を傾げる。
「今のは……あなた達の力じゃないわね」
彼女は二人組を見据え、静かでありながら威圧感すら感じさせる声で問いかけた。
「あなた達にそんな力があったら、先日使ってたはずだもの。……誰を連れてきたのかな」
二人組は答えない。もしかしたら答えられないのかもしれない。達規がそう思ってしまうほどに、今の結芽は周囲を圧倒する雰囲気を持っていた。
きっと、これこそが派閥の中心である香椎の当主たる振る舞いなのだろう。
「答えなさい」
尚も二人組は無言のまま――と、静寂の空間に拍手が響いて、二人組の背後の暗がりから男がひとり歩み出てきた。
一見、英国紳士という言葉が似合いそうな
「お見事です。幻といえど見破れなければそのまま
英国紳士がシルクハットをとり、軽く一礼した。口元に笑みをたたえているものの、その眼光の鋭さからは敵意がありありと伝わってくる。
「申し遅れました。私、馬野と申します。さすがは香椎のお嬢さんだ」
口だけの
「さすがその二人の上司ね。影からこそこそ狙うのが好きだなんて」
その言葉に、馬野は目を細める。気分を害したように息をはいた。
「勘違いしないでいただきたい。私個人としてはあなた方をどうこうするつもりはないのですよ、今回はね」
シルクハットをかぶりなおした馬野の口元に、再び笑みが浮かぶ。
「忠実な部下が
瞬間、達規と結芽を囲うように炎が天高く立ち昇った。炎の壁に阻まれて、周りの状況が全く見えなくなる。
幻とわかっていても、視覚というものは馬鹿にできない。結芽のように影響を受けずにやり過ごすことができず、達規は吹き付ける熱風に再び腕で顔を覆った。
「何度やったって一緒なのに」
結芽が呆れたように呟いてから前方を睨みつけて幻を掻き消そうとした――そのときだった。
達規のすぐ近くの炎の壁をつき破って、笠井が飛び込んできた。素早く振るわれた日本刀は達規を狙っている。
迫ってくる刃が、炎に照らされて
「達規!」
腕を掴まれ、思い切り引かれる。刃の切っ先が首の皮をかすめて、ひやりとした。
外れたと知った途端に距離をとった笠井への注意を
「……香椎さん?」
「っ、なんでもない」
倒れる寸前で片足を前に出して踏みとどまった結芽が、今度こそ馬野がいた方を睨みつけて幻を消す。掻き消えた炎の向こうで、御蔵がサイレンサー付きのハンドガンを構えているのが見えた。
慌てて結芽に視線を戻す。彼女の左肩でじわりと血が滲んでいて、それはどんどん服を染め上げていた。
「直前で気づいたんだ、すごいね」御蔵がにやりと笑う。「でも、これで左腕使えないでしょ」
「――なめるな!」
同時に二ヶ所での爆発。ひとつは笠井が構えていた日本刀、もうひとつは御蔵のハンドガン。ハンドガンのほうは内部から爆発しらたしく、粉々になったハンドガンは持っていた御蔵の手を傷つける。結芽は瞬時に御蔵との距離を詰め、衝撃で跳ね上がったその腕の付け根にそっと手を置いた。
「お返し、ね」
顔を近づけ、いっそ優しげな声で囁く。直後、触れた位置で御蔵の腕が弾け飛んだ。
「――ああああああ!」
ちぎれた腕を反対の手で押さえながら、御蔵は倒れる。
その一方で、無事に刀を折らずに済んだ笠井は達規へと再度狙いを定めていることを、達規は理解していた。
「弱いのがひとりでいるのは、やっぱりチャンスだと思うし」
だが、一ヶ月とはいえ何もしてこなかった訳ではない。
爆発によって奪われた笠井の視界が戻る頃には、達規はすでにハンドガンの銃口を笠井に向けていた。先日支給してもらったばかりの、小型で反動の少ないものだ。射撃の腕がある程度鍛えられたため、護身用に持たせてもらっていた。
誰かを傷つけることに戸惑いはある。この手にあるものは、簡単に人の命を奪えるものだ。
だから達規は、笠井の足を狙った。本来あまり狙うべき場所ではないが、爆発で足が止まったこの瞬間なら。
震える手を叱咤し、狙いを定めて。達規は引き金をひいた。
地面に崩れ落ちた笠井の姿。事実として認識してはいるもののまだ実感はなかった。
人を撃った。足とはいえ、この手で人を撃ったのだ。
「達規、もう大丈夫。みんな来てくれた」
いつの間にか側まで戻ってきていた結芽の言葉に、はっとして視線を上げる。見れば、十岐と氷雨、訓練のときには見かけなかった利津までいた。気付かないくらい必死になっていたらしい。すぐそばまで歩み寄ってきた利津が、結芽の肩を見て険しい顔つきになった。
「私の力を借りてなお、勝てませんか。使えない人たちだ」
香椎派が集まってきたことで分が悪いということもあるのだろう、それまでじっと佇んでいた馬野は笑顔を崩すことなく背中を向けた。
「部下は連れていかないのか」
その背中に利津が問いかける。馬野は肩越しに振り返り、
「ええ、彼らの扱いは好きにしてください」
こともなげに言い放った。
「こちらが和解を考えているとはいえ、当主を傷つけた奴を生きて帰すつもりはねーぞ」
「構いませんよ」
「……そうかよ」
そのまま立ち去る馬野の背中をしばらく眺めていた利津は、溜息とともに御蔵へと視線を向け、そちらへと足を向ける。御蔵はちぎれた腕から大量の血を流していたが、ぎりぎり意識は繋いていたようだった。しかし
「利津、それは私が……」
結芽が一歩前に出る。利津は足を止めて結芽に視線だけを向け、小さく笑った。
「お前にはまだ早い」
直後、彼は取り出したハンドガンで御蔵の眉間を
思わず、顔ごと目を逸らした。心臓が早鐘を打ち、呼吸が苦しい。
目を逸らしていたのに、今度は間近で響いた銃声に肩が跳ねる。
先ほど似たようなことを自分でしておきながら情けない話だが、達規はこの瞬間に本当の意味で自覚したのだ。
この因縁が渦巻く世界は、人がたやすく死ぬ世界なのだと。
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