偽愛


 私があの方を愛することは、運命だったのでしょうか。

 思えば初めて会ったあの日――馬車を追いかけたあの日から、私の恋は始まりました。花を受け取った時の、あの方の全く無垢な驚いた表情に、私は心を奪われたのです。



 孤児でありながら孤児の苦労を知らずに育ったのは、エーデム王の慈悲にあふれた政策のおかげ。そして、同じ年齢ということで王女シリア様の話相手として召し抱えてくださった王妃様のおかげ。

 私は、イズー城にある使用人たちの十人部屋で暮らし、朝早く台所の手伝いをし、まだまだ小さな子供たちの世話をして、学校へ行き、お部屋掃除をし、シリア様のお相手をし、また再び台所を手伝い……夜眠る前、大人たちの世間話を聞きながら、勉強する毎日でした。

 年上の下働きの人たちは、とても厳しかったのですが、私をかわいがってくれました。

 朝は叩き起こされることもありましたが、夜、うっかり本を読みながら眠ってしまうと、誰か彼かが毛布を掛けてくれました。

 重すぎるほど重たいイズー城の扉を開けると、中庭の花々の香りが飛び込んできます。暗闇を抜けると、いつもそこは明るいのでした。

 シリア様のお相手は、時に大変なこともありましたが、誰もが入ることのできない中庭に忍ぶことができました。


 忙しかったけれど、とても幸せ。


 そのようなある日、政略結婚でウーレン王に嫁いだ王妹フロル様が、夫の死により帰国すると聞いたのです。

 私は、エーデムとウーレンの架け橋として、身を犠牲にしてウーレンに嫁いだという王妹フロル様のことを、恐れ多くも身内の不幸のように、とても気の毒に思っていました。

「下手に王族になぞ産まれるものではないよ。赤い悪魔に嫁ぐなんて……ぞっとする話だね」

「その点、我々平民は楽だねぇ。気に入った人と所帯を持てばすむ話だから」

 お城の大人たちが語る話を小耳にしながら、政略結婚させられた女性の不幸に震えました。


 この世の中には、ふたつの恋愛があるのだと思いました。

 愛しあうもの同士の純愛と、駆け引きや打算で生じる偽愛と。


 あの頃の私はまだ幼く、誰かを愛するということは、とてもきれいなことで、純粋で、そして単純なものだと思っていました。

 そして、平民であり、孤児であり、何の取り柄もなく、得るものも失うものもないこの身であれば、身分相応な誰かと心から愛しあい、幸せな結婚をするのだと思っていたのです。

 あの日、フロル様と共にウーレンから帰ってきた王子――セルディ様に会うまでは。



 私は、あっというまにあの方に恋をしました。

 正しく言えば、少女らしい淡い憧れを抱いた……と言うべきでしょうか?

 おそらくそのまま時が過ぎれば、セルディーン・エーデム様は、影でお慕いするだけの、遠い王子様のままでした。

 事実、私はあの方の表面ばかりに目を奪われていたのですから。


 銀色の柔らかい巻毛と緑の温かな瞳。母親譲りの美しい顔立ちに、どこかはかなさを感じる……あの方はそういう少年でした。

 見ているだけで胸が締め付けられそうになりました。少し恥ずかしそうにお笑いになると、心がとろけてしまいそうでした。

 なんて美しくて優しい方……と、私は思い込みました。

 この時点で、私の恋は間違っていたのです。

 美しくて優しいのは、あの方のほんの表面の顔でした。あの方の本質は、エーデム族よりもむしろウーレン族であり、リューマ族でした。

 私には、わかりたくても理解しがたい、とても複雑な方なのです。


 エーデムとウーレンの同盟は、まだまだ堅固なものではなく、人々の間にはわだかまりがありました。

 あれだけエーデムの容姿を表したセルディ様なのに、赤い悪魔と揶揄された父・ウーレン王ゆえに、イズー城ではウーレンの血を引く者として恐れられていました。

 今から思えば、イズー城の多くの人が、あの方の本質を見極めていたのです。私だけが見誤り、あの方を気の毒に思い、そして……恋をしたのです。

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