チルドレン・ウォー

ミカヅキ

第一章:子供だけの世界

プロローグ

 いつから、誰が、言い出したのかは分からない。そんな、子供だけに伝わる都市伝説がある。

 大人は誰も知らない。子供だけが知っている。

 大人は忘れてしまったのか? 子供だけに伝わっているのはどうしてか?

 そんなことは、誰も知る由もない。



プロローグ



「深夜4時、地下鉄の線路の丁度四番車両の四番出口の真下の避難溝に小さな扉が現れる。そこは子供だけの世界につながる入口なんだ」

「……はぁ」

「反応薄っ」

 どこかドヤ顔でそう言う、真ん中わけの黒い髪――肩ほどまでの長さのそれを後ろで一つに括った、歳は17ほどの少年、弦切黒斗に、同年代らしい、前髪を適当に散切りにしたような髪の少年――千ノ宮結は興味なさげに空返事を返した。そんな結に黒斗が頬を膨らませる。

「そんな都市伝説どうせデマだろ。くだらね」

「結は夢がないなー。もしかしたら本当かもしれないじゃん」

 黒斗が貧乏な公立高校らしい粗末な木製の椅子にもたれかかる。黒斗の席は、丁度結の一つ後ろであった。

「だからさ、僕、今日確かめに行こうと思って」

「……確かめる?」

「深夜4時、本当に扉は現れるのか」

 黒斗は大きな丸眼鏡の下の、タレ目がちな緑の瞳を挑戦的に輝かせた。この友人は普段内弁慶でビビリのくせに妙なところで行動力がある。結は黒斗に訝しげな目を向けた。

「駅員に見つかったらどやされるぞ」

「だーいじょうぶだって! 慎重にやるし確かめたらすぐ帰るからさ!」

 お前な、と結が言いかけた瞬間に昼休み終了を告げるチャイムが鳴る。黒斗が慌てて散らかしっぱなしだった弁当を片付け始め、結の言葉は結局タイミングを失って飲み込まれた。

 まあいいか。どうせ扉なんてなくて、骨折り損で帰ってくるに決まっている。そう溜息をついて、結も後ろに向けていた体を戻し次の授業の準備を始める。

 なんだか馬鹿らしくなった。明日、落ち込んだ黒斗の目元に隈があったら笑ってやろう――


 ――そう、思っていたのが、昨日の昼のこと。

「……子供だけの世界、ねぇ」

 うさんくせぇ、というのが、結の正直な感想である。しかし、朝いつも通りの時間に登校し、いつも通りの廊下を通って自身の教室に向かう間も、なぜか昨日の黒斗の話が頭から離れなかった。

 教室の扉を開けると、中には既に数人のクラスメイトが談笑や自習をしているいつも通りの光景が広がっている。ただ、案の定黒斗はいなかった。どうせ徹夜が響いて体調を崩したのだろう。馬鹿なやつ、そう、心の中で呆れながら自分の机に鞄を置いた。仕方がないからノートくらいは後で見せてやってもいいけど、なんて考えて。

 結が席に座って本を読みだした間にも、生徒はどんどん教室にやってくる。そのうち一人の女子生徒がやってきて、結の後ろ――黒斗の席に己の鞄を置いて、悠々と準備をし始めた。

「おい、そこ、黒斗の席だぞ」

 休みだからって、流石に勝手に席を変えてはいけないだろう。そう、結が眉をしかめて声をかけると、女子生徒が訝しげな顔をする。

「何言ってるの、ここ、私の席で合ってるよ? 千ノ宮くんの後ろでしょ。っていうか、黒斗って誰?」

「は?」

 今度は結が怪訝な顔をする番だった。何を言っているんだ。確かに黒斗は目立つタイプではないが、仮にもクラスメイトに誰、はないだろう。しかし、女子生徒は、変なの、だのと言って、何事もなかったかのように準備を再開する。

 ――俺が、間違ってるっていうのか?

 嫌な予感がした。弾かれるように立ち上がって、教卓に駆け寄る。委員が持ってきたらしい学級名簿をやや乱暴に鷲掴み、ページを捲った。

 出席番号を上からなぞり、下っていく。高木秀介、高橋陽太、津田勇樹――その次にあるはずの『弦切黒斗』を飛ばして、代わりに、鳥羽達也、という名前が結の指に触れた。

 どくり、と、心臓がやけに大きな音を立てる。いてもたってもいられなくて、教室から飛び出した。廊下を駆け抜けて、人のいない階段下の空きスペースに飛び込んだ。それからポケットから携帯を取り出して、電話帳をスクロールして、家の電話番号に迷わず決定ボタンを押す。校内での携帯使用は禁止だとか、そんなことは考えてられなかった。

≪どうしたの、結。忘れ物?≫

 数コールの後に、のんびりとした母の声が聞こえた。

「かあさ、母さん!」

≪何よそんなに慌てて。提出する紙でも忘れたの?≫

「母さんはわかるだろ、黒斗のこと、弦切黒斗だよ! 母さんも可愛がってるだろ!?」

 誰でもいい。誰でもいいから、黒斗を知っている人と話したかった。

 ――だってそうだろ、そんなものはあり得ない。なあ、そうだろう?

 祈るように、結は内心で叫ぶ。

≪……あんた何言ってんの?≫

 ――そんなのは冗談じゃない。

≪弦切さんのお宅に、そんな名前の人いないわよ≫


 ――黒斗が、この世界のどこにも、いないなんて。




「――冗談じゃない!」

 苛立ちのままに足を踏み込めば、冷たいコンクリートが鳴る音が暗い駅内の閉ざされた壁に虚しく反響する。

 時刻は深夜4時。人の気配のない暗闇を、結は一人懐中電灯を携え進んでいた。この駅の駅員は随分とずぼららしい。結が忍び込むのは、想定より簡単であった。誰もいない改札を飛び越えて、ホームに向かう。

 都市伝説を信じているわけではない。元来結は、幽霊も信じていない現実主義者であった。だが、現実に黒斗がいなくなった、これがタチの悪いドッキリでないとすれば、手掛かりは恐らく黒斗が昨夜忍び込んだであろう、この深夜4時の電車ホームにしか無いのである。階段を下りて地下ホームに着けば、電車もなく暗闇が広がっていた。懐中電灯が無ければ何も見えないだろう。

 躊躇わずに線路に降りる。屈んで避難溝に潜り込めば、存外煤っぽくて少し咳き込んだ。

 手を止めずに結は避難溝の壁に光を当て、四番車両の四番出口にあたる場所まで進んでいく。


 果たして、そこに、扉はあった。

 古ぼけた小さな鉄の扉が懐中電灯に照らされて確かに存在を主張する。人一人、屈めば潜り込めそうな程度の大きさのそれは酷く錆び付き、周りの壁よりも妙に劣化していた。

 扉を見つけて、そこでやっと、黒斗が消えた焦りや苛立ちに支配されていた結の脳に少しばかりの冷静さが戻る。都市伝説は本当だったのだろうか。いや、関係ないかもしれない。ただの扉に過ぎないかもしれない。これがもしも本当にただのタチの悪いドッキリで、黒斗が先生や親を巻き込んで、軽く流した自分への意趣返しをしたのであれば、どれだけいいだろう。この扉を開けば、黒斗が「ドッキリ大成功!」とでも言って笑っていてくれないだろうか。そう、願って。

 少し震える手で扉の円状の取っ手に手をかける。10月の風でも深夜4時は少し寒かった。

 古臭い扉は、ギギ、と嫌な音を立てて、しかし存外簡単に開く。

 扉の先に黒斗は居なかった。 

 あったのは、底の見えない、闇。

「……なんだ、これ」

 結の声は虚しく暗闇に消える。扉の先の黒に懐中電灯を向けても、光は吸収されてしまったように何も照らしてはくれない。

 この先に黒斗がいるのか?

 そう考えても、確証はない。しかし、他に手掛かりもない。なんだかんだと言って、結にとって黒斗は唯一無二の親友である。

 恐怖を押さえつけるように拳を握り、結は意を決して闇に手を伸ばす。

「――っ!!」

 闇に爪先が触れた瞬間に、引きずり込むような引力が結を捕えた。足掻く間もなく、扉に食われるように結の体は飲み込まれる。


 カタン、と、暗闇に小さな音がなった。

 人の気配はない。

 あるのは、光が灯されたまま線路の上に転がる懐中電灯だけ。

 その光が当たる避難溝の壁はどこまで見ても灰色のコンクリートだけである。


 時計の針が少し動いて、四の文字から滑り落ちた。

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