第20話 「帰還」

部下であるガイストの処分をするために送り込んだ影を操るために【魔王】は眼を閉じていた。【魔王】がいるその場所は見慣れた、己を主とする白を基調とした大理石が使われ、壁には燭台があり、中央の玉座へと至るまでの道には真っ赤な絨毯が布かれており、一段高い場所に鎮座する玉座には黄金を基調とし、随所に宝石をあしらわれており、【魔王】はその玉座へと背を預けていた。


「ふふ、あのような人間が居ようとはな‥‥」


玉座に背を預けた【魔王】の脳裏に浮かぶのは、先程の靄を通して見た、真っ黒、漆黒というべき見た事もない装束を身に纏った、元部下であった【魔王】が処断したガイストを圧倒した一人の人間。その人間から感じたオーラは、まさに人の限界を、いや、人の領域を超えていると思わせるオーラだった。


「あれほどまでのオーラを身に纏っているとはな。」


【魔王】が見た事もない黒の装束を身に着けたの男が纏うオーラを感じ取った時、黒装束の男はそのオーラをコートを纏うがごとく着こんでいた。


「だが、あの男はまだ、力を隠している様子だった…」


その中で【魔王】は不自然に感じたことがあった。それはオーラが制御されていなかった事だ。本来オーラとは、無意識の内に漏れ出る気迫の様なもので、優れた強者ほど己のオーラを手足の様に完全に操り、制御する。だが黒装束の男は、それが可能なほどの力を持っていると【魔王】は感じ取っていたが、その予想に反して、黒装束の男はオーラを完全に抑え込む、操作することが出来ていなかったのだった。

そこで考えられるのは、二つ。一つは【魔王】の眼が誤っていた可能性。これはあくまで可能性だが、相手を見測る【魔王】の眼が間違っていた可能性もあるのだ。そしてもう一つの可能性、【魔王】自身も後者ではないかと考えている可能性、それはあの男が外部から何らかの封印が施されている場合だ。そうであれば、あのオーラの乱れと制御しきれていないのにも納得がいく。だがもし封印が施され、その状態であれほどのオーラを纏っていたのだとすれば、黒装束の男の力は、【魔王】がみた力は氷山の一角にしか過ぎないという事だった。そんな存在に【魔王】思わず感嘆と呆れが混じったため息を吐いた。


「末恐ろしい者よな。‥‥だがもしかの者が我の手を取るのであれば‥…」


もし、あの男が自身の目的を理解し、協力関係を結べるのであれば、【魔王】の目的は格段と近道となるだろうと、再び思考へと意識を傾けた時、目の前で、極僅かではあったが、空間が歪んだと【魔王】は感じ取った。そして、このようにして「王の間」へと入って来る者は【魔王】が知る中で一人しかいない。


「おやおや、【魔王】様が笑みを浮かべておられるとは、珍しいですな?」


再び己の思考の中へと墜ちて行きかけた意識を引き上げ、【魔王】が眼を開くと、そこにいたのは老練というべき風格を身に纏った赤を基調とした貴族服を身に着けた初老の老人が音もなく立っていた。


「クルークか、貴様、また我の許可を得ずに「王の間」へと入り込んだな?」


その瞬間、過剰ともいえる視線と魔力による威圧がクルークを襲ったが、クルークはまるで柳に腕押しとばかりに流して見せた。それを見て無駄と悟った【魔王】は魔力を収めた。既にこのやり取りは【魔王】が魔族の王となって以降、無い度繰り返されている事だった。


「いやはや、何度やってもあのような結界やトラップ、果ては直々の威圧とは、老骨には骨が折れますなぁ‥‥」


「ぬかせ、あの威圧を容易く、それに許可なく「王の間」へと入れるやつなど、そう居らぬわ」


そう言いながら軽く背筋を伸ばすような仕草をする、たった今、【勇者】でなければ何人も潜り抜けれぬ結界や罠を潜り抜けて「王の間」へと不法侵入者で、クルークに対して【魔王】思わず呆れた声でそう言った。

この玉座ある「王の間」に【魔王】以外が許可なく入る事が出来るのは神から加護を与えられた【勇者】か、【魔王】の許可が下った者だけで、それ以外の、例え配下であろうとも、容易に入ることが出来ない様に、「王の間」に入るための扉には幾重の結界や異空間へと飛ばす等の幾つものトラップが張り巡らされていたのだが、老齢のクルークはもはや何度となくこの玉座へと入り込んでおり、このやり取りも幾度となく交わされたものだった。


「お前にしてみればもはや意図も容易く抜けられるであろう。そうであろう、六魔将が一人「瞬影纏刃しゅんえいそうじん」のクルーク・バティン?」


「いえいえ、私にはそれほどの力はございませぬ故。それよりお聞かせ願いますか我らが魔族の王、ルシファー様。何か、面白い事でもおありでしたか?」


ルシファーと呼ばれた【魔王】の何処か挑発てきな質問にしかし、老齢の魔族、クルークは穏やかな笑みを浮かべ、クルークからのその問いに【魔王】は笑みを浮かべた。


「ああ、貴様には隠し事は出来ぬな。クルーク」


「お褒めに預かり恐悦にございます、陛下。それと老人の戯言でしょうが申し上げますと、湯浴みの用意が出来ておりますのでそちらでを外されても宜しいかと。この場に何者もいない事は確認済みでございます」


そんな魔王の言葉に先代と呼ばれたクルークは自然なしぐさで頭を下げ、その何処か飄々と余裕の表情を見せるクルークに対して【魔王】は何処か諦めの色が籠ったため息を吐いた。


「‥‥分かった。湯浴みをするとしよう」


「では、そのように」


【魔王】の言葉にクルークは恭しく頭を下げ、その場に現れた時と同じようにその場から消え去り、「王の間」には【魔王】だけが取り残された。


「相も変わらず、見事な【気配遮断】と【転移術】よな」


そう独り言ちながら【魔王】は玉座から立ち上がり、大浴場へと足を向けたのだった。







「それにしても、本当に彼は何者なのかしらね‥…」


大浴場に着き、辺りを伺った後【魔王】は、いや、【魔王】と言う仮面を脱ぎ捨て一人の少女へと戻ったステラは急に砕けた、ノイズが掛かっていない声音と口調でそう言いと男の様な姿だった靄が霧へと呑まれ、全身を隈なく覆い隠し、やがて霧が晴れると現れたのは、金髪の腰まである長い髪にまるで赤い月のような紅い瞳を持つ、まさに一つ一つのパーツが精巧に作られたかのような顔立ち、そして女性特有の柔らかさを伺わせる胸、そして細く、触れれば折れてしまいそうな腕とくびれた腰、そしてステラが身に着けているのは少女の白い肌をより映えさせる対照的な真紅いドレスを身に纏ったステラだったが身に着けていたドレスを脱ぎ、胸の前でタオルを持つ。

そこに居たのは先ほど、部下を処断した冷酷な【魔王】ではなく、可憐で年頃の一人の少女の姿だった。そしてタオルでは隠し切れない、真っ白な肌、そして女性をも憧憬の目線を向ける抜群の肢体がタオルの端々から見え隠れするが、ステラが恥ずかしがることは無い。既に誰もいないことを、そもそも、【魔王】であるステラが風呂に入っている間、何人も近づかない様に厳命していた故に近づく者は居なかった。


そのままステラは何事もなかったように大浴場へと入った。

大浴場の床に使われているのは磨かれた大理石で奥の方には軽く十人以上は入る事が出来るのではないかと思わせるほどの浴槽に獅子を模した彫刻の口からは絶えず湯が注がれ、湯船の左手に体を洗うための場所があり、ステラは置かれていた椅子に腰を掛け、まずは石鹸を取り丁寧に泡を立てると体を洗い始めた。その中でも思い浮かぶ一人の人間。


「それにしても、本当に彼は何者なのかしらね‥‥」


体を洗いながらステラが思い浮かべるのは、自分に匹敵するか、それ以上の力を感じさせる、自分と同じ年程の黒装束の一人の人間だった。


「もし、彼が私の為に力を貸してくれたら‥…ううん。そんな訳はない」


それはステラにとって願望に近いとしても思わず口を突いて出た言葉だったが頭を振る事でその願いを頭から追い出す。

世間からすれば、今のステラは世界を滅ぼそうとしている【魔王】だ。だがその本質は滅ぼす事では無く、この世界を裏から操っている神を滅ぼす事、それがステラの目的だった。

だがそれを周りに、世界に伝えたとしても、それは神の耳へと入ってしまえば、情報、記憶を操作され、今よりも状況が悪化してしまう可能性が高かった。故にステラはこの情報を魔族の中でも特に信頼を置ける者、己の血を与えた、先程のクルークと同じ六魔将にのみ伝えていたのだった。

と、そうこうしながら体と頭を洗い終えると、ステラは湯船へと体を浸かると、お湯が程よく全身を包み込み、体の芯まで伝わる温かさにステラの表情は思わずほぐれた。


「ふぅ‥…」


湯船に体を浸けながらステラはガイストの心臓を握りつぶした、初めて自らが殺した右手を握ったり開いたりを繰り返した。だが後悔は無かった、いやしない。神を殺すと決めた時から人を殺す覚悟をステラは決めていた。だが覚悟を決めていたとしても、決して心地の良いものではなく、寧ろ得体のしれない気持ち悪さがステラを包んでいた。そんな中で思い出したのは、何気ない、何処にでもある極々普通の生活と幸せだった日々。だが、それはもはや過ぎ去った過去。閉じていた眼を開けるとステラの眼には薄暗い炎が宿っていた。


「私の目的は変わらない。私は、神を殺す。例え幾多の屍の上に、どれだけの人に恨まれることになるとしても、絶対に―――――――」


その言葉には、自分が成そうとしている事への全ての負の感情を受けてでも成し遂げようとするまるでマグマの様に静かにしかし触れれば燃やし尽くされるかのな覚悟が籠められ、しかしその表情は一瞬で、消え去ると同時にステラは湯船から立ち上がり、その際全身に付いていた雫がステラの肌の上を滑り落としながらステラは大浴場を後にした。


だが如何に覚悟を決めている、普段は黒い靄で男の様に偽っているステラと言えど、年頃の女の子だ、全身に付いた雫を丁寧にタオルでふき取り、黒い下着を身に着け、その上に寝巻を身に着けると再び靄を纏った、【魔王】の姿へと戻り、大浴場を後にし、食堂へと向かうと、そこにはクルークが待っていた。


「お食事のご用意は出来ております」


「そうか」


ステラの、いや【魔王】の言葉にクルークは恭しく頭を下げ、従者の如くステラの後をついて行き、共に食堂へと向かった。


「それにしても、相変わらず、見事な【気配遮断】と【転移術】よな」


「いえいえ、この老骨にはあれほどが限界です。して、先程の笑みは如何様なもので?」


その道すがらの何気ない会話はをクルークと交わしながら、クルークは先ほど浮かべていた笑みの真意を尋ねてきた。


「何、少しばかり面白げな人間を見つけたものでな」


「ほお、陛下の気を引くほどの人間とは、にわかに信じられませぬが」


「ほお、我の言葉が信じられぬか?」


【魔王】を前にしての上級魔族達が居れば、決してしない疑問をぶつけてきたクルークに対して【魔王】は笑みと微かに声を出して笑った。


「いえいえ、滅相もございません、しかし陛下がそれほど気に掛ける人間とは、一度あって見たいものですな‥‥」


上級魔族が居れば卒倒しそうな、しかし【魔王】と他愛の無い話をクルークと交わしながら【魔王】はクルークと共に、他の六魔将が待つ、食堂へと向かった。





一方【魔王】との邂逅と伏見の試練突破など、幾つかの出来事を終え、颯天達は穂河と街へと歩きで帰っている途中で、その間に様々な事を話していた。もちろん、その中には颯天が如何にして城を抜け出したのか、それ以前に何故そのような術が使えるなどの説明も含まれていた。


「という事は、つまりお城で死んだ颯天君は眼を欺くための偽物で、それに伏見さんの猫耳や尻尾があったのはお母さんが猫の妖怪だったからなんだ‥‥」


「うん‥‥‥ところで、そろそろ離して」


「あ、ご、ごめん。つい、ね‥‥」


そう言いながら、一息に多くの情報を話された事で頭を整理しつつ聞いていて癒しを求めた結果、伏見の猫耳を何度も触ったりなどしていた手を慌てて離し、伏見も仕方がないと分かっているのでそれほど嫌な表情は浮かべず、そんな伏見にお礼を言うと穂河は颯天の方へと顔を向けた。その表情は心なしか、いや赤かった。


「それにしても、あの時私を助けたのが颯天君だったなんて。どうして教えてくれなかったの!?私、相当恥ずかしい思いをしたのよ!?」


穂河のあの時、と言うのはこの世界に召喚される数日前の地球での出来事だという事は颯天は察しが付いていた。


「いや、そもそも忍としての俺の顔を簡単に教える訳にはいかないだろ?」


「それは、そうだけど‥‥」


穂河の声がフェードアウトしたのはその理由が分かったからだった。そもそも颯天が彼方での裏の顔と、伏見と颯天は忘れていたが顔見知りだったという事等の情報を教えたのは穂河を協力者にしたいという目的もあったからだった。

取り敢えず、納得までは行かないが、事情を理解した穂河は話題を変える事に、気になっていた事を聞いてみることにした。


「それで、颯天君たちはこの後はどうするの?」


「ああ、そこに関してはもう決めていてな、地球に戻る方法を探る為にこの世界を旅するつもりだ」


「それは、伏見さんも?」


「うん。私は颯天に付いて行く」


颯天の答えを聞き、伏見も付いて行くのかと言う穂河の問いに伏見はすぐに頷いた。それは既に颯天と一緒に行くと、決めた強さの籠った返事だった。


「そっか。それならしょうがないね。」


「悪いな」


「ううん、それより、本当に私なんかでいいの?中矢君や荻瀬さんの方がいいんじゃ」


颯天と伏見の答えを聞いて穂河は少し寂し気だったが、二人の選択を尊重するような笑みを浮かべ、颯天の謝罪の言葉に頭を振った。そして穂河が言うのは、協力者が自分なんかでいいのかと言う言葉だったが、颯天は大丈夫だと頷いた。


「いや、今あいつ等と会う訳にはいかない。あいつ等も頑張っている頃だからな。それにお前に任せられると俺が思ったのは、伏見の推薦もあったが、それ以上に協力者は少ない方がいいからな」


「それはそうだけど。って伏見さんが?」


「ああ、そうだぞ?」


颯天の言葉に穂河は納得した様子だったが、伏見が推薦したという言葉を聞き、どういう事なのかと伏見を見たが伏見は悪戯ぽい微笑んでいるだけだった。


「ねえ、どうして私を推薦したの?」


「ひみつ」


そして幾ら穂河が伏見に尋ねようとも伏見は秘密と言ってのらりくらりと躱されてしまい、時折、答えは貴方の中にあると意味深なことを言ってはぐらかし、何処かじゃれ合っているような二人を見ながら、颯天は念のために周囲を警戒しつつ歩いき、やがて見える範囲で街門が見え始めた。そして結局、穂河はどうして自分を推薦したのか、その答えりゆうを伏見の口から聞くことは終ぞ出来なかったのだった。

颯天達が街門へと近づいて行くと見覚えのある鎧を纏った人影が立っており、颯天達を見つけるとその人影は走って近づいてきた。


「おお、よくぞ御無事で!」


「デュオスさん、すみません。ご心配をおかけしました」


駆け寄ってきたデュオスに穂河は頭を下げた。


「いえ、私どものお力が足りず、穂河殿を危険に晒してしまい、騎士団を代表して謝罪させていただきます。本当に、申し訳なかった」


そして、返す様に、穂河よりも深く頭をデュオスは下げ、それに慌てたのは穂河だった。


「い、いいですよ、それに彼に助けてもらいましたし、怪我もしていませんから。だから頭を上げてください」


「ですが、我らの不徳のせいで、貴女を危険な目に合わせてしまった事に変わりはありません」


このままではデュオスは土下座をしかねない程の、この世界に土下座の概念があるのかは知らないが、必死に穂河が留めたお陰で、夜とはいえまだ人通りがある中でこれ以上謝罪をされるという事態は回避されたのだった。そしてそれを眺めていた颯天は落ち着いたのを見計らいデュオスへと声を掛ける。


「これで依頼は完了だな」


「はい、本当に、ありがとうございました。」


依頼達成を伝える颯天にデュオスは先ほどと同じく深々と頭を下げてきた。それはもはや九十度を超えていた。


「ああ、お前も気を付けろよ?」


「はい、ありがとうございました」


他人の様に穂河にそう言った後、デュオスと幾つかの伝達事項などを、主に報酬に関する事等を話し合い、穂河は颯天と初対面だとばかりにお礼を言うと穂河はデュオスと共に城のある方角へと歩き始め、その後ろ姿はやがて人ごみに紛れて視えなくなった。


「さて、それじゃあ俺達も戻るか」


「‥‥‥うん」


何処か元気のない伏見を不思議に思いながらも、歩きはちゃんとしていたので颯天は気にしない事にし、やがて颯天と伏見の二人はニアが待つ宿「安らぎの風亭」へと戻り、いつも通りの大盛り気味な、そしていつも以上にスタミナが付きそうな夕食を頂き、颯天と伏見はそれぞれの部屋に戻り、颯天は手早く湯に浸け、絞ったタオルで体を拭いた後、装備の確認を終えるとそのまま就寝した。


のだが‥‥‥‥‥

颯天はふと自分に掛かる重さを感じ、重い瞼を開けると、そこに居たのは、隣の部屋寝ているはずの伏見だった。だが身に着けているものと言えば、上は制服のカッターシャツだけで下はショーツだけという格好だった。そのうえ猫耳と尻尾を出した状態の伏見の姿があったが、何故伏見がここに居るのか、まだ寝ぼけ気味の颯天の頭には理解できなかったので素直に尋ねることにした。


「…どうかしたのか?」


「颯天、私もう、自分を抑える事ができない‥‥」


「それはどういう‥…まさか‥‥…発情期か?」


「‥…多分‥‥そう」


颯天は伏見の息が少し荒い事に、そして伏見の顔を見て気が付いた。伏見の表情が熱に浮かされたかのように赤くなっているという事に。それで颯天の中で思い当たる事が一つだけあった。【猫又】の血を引く伏見は猫と同じく【発情】しているという事を颯天は思い出した。

恐らく今回の伏見の発情の引き金となったのは、抑えていが颯天へと旅が出来る事への喜びから恋心の枷が外れた、更に確かなつながりが欲しいと思っていた伏見の思いが関係しているのではないかと颯天は考えたが、確証を持つことが出来ていなかった。その時、颯天の視界に狐耳と尻尾を持った幼女が姿を現した。霊体化を解いた白夜だった。


「やれやれ、やはりこうなったか」


「白夜、分かるのか?」


白夜はまるで伏見がこうなってしまうと予想できているような、そしてその原因を知っているかのような言い回しに颯天は尋ねると白夜は頷いた。


「うむ、伏見は今、ご主人様に対して発情をしておる。しかし、本来の発情期にはまだ少しばかり早い。本来の猫又であれば体と心が成熟した後に発情期を迎えるが、この娘は恐らくご主人様への恋心で本来、僅かばかり後のはずの発情期を迎えたという事じゃな」


それはつまり颯天が知り得ている情報と合わせて導かれる答えはただ一つ。それは颯天が原因となっている可能性だ。


「つまり、俺が原因となって伏見の発情期がズレて、発情期が感情によって発作的になったという訳か」


「まあ、そうとも言えるな。してどうするのじゃ?わしの力で発情期を抑え込むことは可能じゃが」


「じゃがという事は、何かしらの副作用があるのか?」


「うむ、最悪の場合、発情期の周期が乱れて体に悪影響を、最悪体に何かしらの影響が出る可能性があるやもしれぬ」


白夜の言葉には伏見の発情を抑える方法はあるが、体にリスクが伴うモノだった。そしてその中で颯天は白夜に聞きたいことがあった。


「なあ白夜、伏見の発情を抑えるには、どうしたらいい?」


「それは簡単な事よ。まぐわえばいいのじゃ。それによって伏見の発情は抑え込まれる。それに伏見の体は既に大人じゃ。もし子を孕んでも負担がかかり命を落とすという可能性はない。それに今回の発情はちゃんとしたものでない、強き思い恋心故に引き起こされた発作のようなモノじゃ。故にまだ子が出来る事は無い。故に選ぶのはお主たちじゃ」


そう言うと白夜は姿を空気を読んだのか消し、部屋に残されたのは颯天と伏見の二人だけとなり、部屋に響くのは必死に発情した自分の体を抑え込む、伏見の荒い、しかし艶やかな息遣いが部屋の中を木霊する。

そんな中、颯天は伏見を自分の上から降ろし、体を起こし、数日前、助けた時から、こうなる可能性を考えていた颯天は考えていた言葉を口にした。


「伏見、お前は、俺でいいのか?」


その確認の中には、幾つかの質問が内包されていた。猫又はまぐわった人間に一生添い遂げるという習性があり、猫又の血を半分とは言え引いている伏見も例外では無く、それを確認する意味と、自分は人殺しだが、そんな人間でもいいのかという問いも含まれていた。


「‥‥うん。私は貴方でいい。私は貴方と一緒に、死ぬまでずっと、一緒に居たい。だから‥…私の全てに、貴方を刻みつけて?」


その時の伏見はまるで慈母の如く、自らの本能を理性で押さえつけながらも全てを受け止める、颯天へと柔らかい笑みを浮かべてきた。顔は紅潮しており、無理をしているのにだ。そんな状態ながらも伏見は颯天が人を殺すような人間であろうと、それは何かを守るためだと理解していると、一緒に居たいと伏見は、発情によって輝きが薄かった目に確かな自分の意志の光が灯り、そのうえで伏見は自らの意志で颯天を選び、願った。であるならばと颯天の心も決まり、頷き、語り掛けるように伏見へと声を掛けた。


「分かった。伏見、お前の中に俺の全てを刻もう。だからお前は、俺のモノだ」


颯天は、一生守ろうと覚悟をして、伏見の、体温が上がっていて温かい手に自分の手を重ねた。それは絶対に離さないと、姫に誓う騎士の様に。


「‥…うん」


颯天の言葉に、伏見は目元に小さな雫を浮かべながら静かに目を閉じた。それはあたかも結婚式で新婦が新郎からのキスを待つかのようで、颯天は伏見の顔へと近づいていき、やがて二人の距離は無くなり互いの唇が重なり合い、二つの人影が一つとなった。


「良かったですね」


部屋の前で中の様子を伺っていたニアは、ライバルであるが同じく幸せになってほしいとニア自身も願った伏見の思いが成就したという事が空気で伝わり、この後の二人の交わりを邪魔するのは無粋だとばかりに音もなく階下へと降りて行った。

翌日、悪戯っぽい笑みを浮かべたニアからお楽しみでしたねと言われて顔を赤くする伏見が居たとか、居なかったとか‥…

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