第7話 草原のうろうろさん

 早朝の空気は気持ちが良い。

 見上げるとどこまでも続くような青い空で。

 こんなところは地球と変わらないよな。

 街が動き出しそうな瞬間っていうのかな、そこここから人が出てきて大通りの雑踏に加わっていく。

 1日の始まりだ。

 

 俺は今朝の孤児院でのことを思い出す。

 いや、ほんと異世界での日常は朝からハードなものだったんだ。

 朝から俺のベッドにダイブしてくるアイルちゃんの衝撃で起こされて。

 孤児院のみんなと食事して。

 昨日と同じく教会のドアを開けて外に向かう俺に、アイルちゃんが飛びついてきた。

 そこまでは昨日とまったくいっしょだったんだけど。


「今日も帰ってくるよね? 」


 心持ち不安そうに俺を見上げてくる。

 アイルちゃんには悪いんだけど、これだけははっきり言わないといけないよね。

 俺はアイルちゃんの頭に手を乗せると、少し申し訳なさそうな、そして、いつもより心もち安心させるような声色で言った。


「ごめんね。今日からはお泊まりはできないんだ」


 アイルちゃんの瞳がさっと曇る。

 遠くに見える雲がいつのまにか雷雨となっていて、叩きつけるように降りしきる。

 そんなギャン泣きを俺は心の中で覚悟する。

 もちろん覚悟は決めたとはいっても、まだ諦めてはいない。

 ここからだって挽回できるはずだ。


「また遊びにはくるから……ね? 」


 そんな俺の起死回生の一言。

 うん、ダメだ、見るからに泣きそうだ。

 俺はアイルちゃんの頭に上に手をのせて軽くポンポンすると、左手を背中に添えて軽く抱きよせる。

 アイルちゃんは腕の中でちょっと体をフルフルと揺らしている……。

 また泣いちゃうかな、なんて思ってたんだけど。


 覚悟を決めたかのように体の揺れが急におさまった。

 その視線はずっと俺を見上げたままだ。

 じっと見つめる黄金色の瞳は、いつのまにか台風が過ぎ去ったあとのように軽やかに晴れ上がっている。

 そして、元気いっぱいな太陽の光を全身で浴びて育まれた黄金の麦が、次々とその実りをあらわにしては大地を照らしていくかのように、その瞳の黄金もどんどん輝きを増していって……。



「……けっこんしてくえゆ……? 」


 子どもが一生懸命に背伸びして言った言葉だった。だけどそれは真摯な言葉でもあった。

 ……ならさ……俺も赤心で返さないといけないと思うんだ。


「もちろんだよ。ただ、大人になったらね! 」


 いや、俺はロリコンじゃないからね。だけども、子どもだからこその純粋さってものがあるのは充分にわかっているつもりだ。

 まっすぐな気持ちには、俺だって真剣に言葉を返す。

 大人になれば、別の恋だってしているんだろうし。

 それは、ちょっと淋しいものでもあったりするんだろうけどさ。


 アイルちゃんは納得してくれたのか、するっと体を翻すと、少し距離を置いて下から俺を伺うように見る。

 その笑顔はうれしそうで、幸せがいっぱいにつまった少女の将来を約束しているかのようで。


 8歳のアイルちゃんはまだ少女になりかけの、少し大人びたふうをよそおいたい、そんなまだまだ子どもなんだけど。

 すごく良い子に育っているのは、やっぱりマルシィさんのおかげなんだろうね。

 そう思って、マルシィさんをついつい見つめてしまった俺の気持ちは、春のそよ風のように穏やかだ。


 だけど、俺のそんな思いとはうらはらに……俺を見るマルシィさんの視線はなぜか冷たかった。

 絶対零度っていうのかな。

 本気ですか、あなた? ってそんな感じの視線で。


 うん。意図せずにマルシィさんからジト目いただいてしまったみたいで。

 俺は少ししょんぼりとして、崩れ落ちそうになる肩をグッと抑えるとあえて胸を張った。


「本当にお世話になりました。また遊びにきますね! 」

「はい。いつでもお待ちしておりますから、お気軽にお訪ねくださいね」

「お兄ちゃん、待ってるからね! 」


 手を振って見送ってくれるマルシィさんも、アイルちゃんも朗らかな笑顔で。

 俺はそんなマルシィさんの笑顔を信じることにして、冒険者ギルドへの道を颯爽と歩いて行った。



 というわけで今に至る。

 昨日の薬草採取のおかげで少しだけ小金持ちにはなってる。

 とはいったって、そんなに余裕があるわけじゃないしね。

 俺はさっそく、冒険者ギルドに向かった。


 相変わらずのこの貫禄あるたたずまい。

 冒険者ギルドのドアをくぐると、すでに冒険者が思い思いにクエストボードのクエストを漁っている。

 もちろん、俺だって乗り遅れるわけにはいかないさ。このビックウェーブに! って大げさかもしれないけど。

 でも、結構死活問題だったりもする。なにしろ、これからの寝床と飯がかかっているからね。

 俺はためらいなくFランクのクエストボードに足を向けて、昨日と同じくマーネ草の薬草採取が依頼されていることを確認すると、さっそく街道に向かうことにした。

 

 街を出ると街道には行商に行くのだろうか、荷を積んだ場所が何台も走っている。

 街道のはるか先を駆けてゆくその姿を目で追いながら、1人歩いていた俺は、そのまま左にそれて野原にでる。

 青い空の元、昨日と同じように緑は鬱蒼と生い茂り、風にたなびいている。


 さて、今日も頑張りますか! 

 俺は気合を入れ直すと、足元の草花を1つ1つ確認し始める。

 この作業、いや作業なんだよ、ほんと。

 ただ、俺の性にあうのか、時間が経つのが圧倒的に早いんだけど。

 気がつくともう昼すぎで、ポシェットを確認すると……。

 うん、もう12本集まってる。


 俺は一息つこうと野原にある岩に腰掛けると、出かけにマルシィさんからいただいた芋虫サンドにかぶりついた。

 パンに芋虫がはさまっているだけの簡素なハンバーグふうの料理だ。

 そのままぼーっと野原を眺めていたんだけど、街道をせわしなく行き交う人たちの間に、うん、いるね。

 野原をうろうろとなにかを探し回って歩いている人。


 右にうろうろ。

 左にうろうろ。


 マーネ草を探してるのかな?

 俺には探し物探知のスキルのおかげだろう、なんとなーくだけど、マーネ草の生えている場所がわかる。

 だから、ちょっと惜しいってのも当然わかってしまう。


 遠くに見えていたうろうろさんが、いつのまにか結構自分に近づいてきている。

 うん、もうちょっとそこ、左にあるなぁ。なんて思いながら見てたんだけど……。

 あ、右に行っちゃった。

 うん、今度ももうちょっとだ。右にあと3メートルかな。

 どうだろうどうだろう。

 あれ。マーネ草に気づいていないのかな。

 通りすぎちゃってる。


 気になった俺はうろうろさんに向かって、小走りに駆けよると、マーネ草を土から丁寧に取り出した。

 うろうろさんは足元での採取が気になるのか、ずっと俺のことを見てたんだけど、俺のポシェットに目を向けると急に愕然とした面持ちになって、その視線はポシェットに釘づけになった。

 それはそうだよね。俺のポシェットにはあふれんばかりにマーネ草がおさまってるし。

 それなのに、足元のマーネ草まで俺が採取しちゃったら、横からかっさらわれたように見えちゃうもんな。

 俺は変に誤解を与えたくなかったので、ためらうことなくそのままに、うろうろさんにマーネ草を差し出した。


「よかったら、どうぞ」


 うろうろさんはちょっとびっくりしたのか、だんまりしている。

 遠慮しているのかな。

 俺もそんな親切の押し売りみたいなことをしている自分が少し恥ずかしくて、目をそらしたまま押し出すようにうろうろさんの胸元までマーネ草を一気に差し出した。

 そして、勢いあまった俺の手は。


 ――ムニッ

 うん? この感触は……?

 

 ――ムニュムニ

 うん! 女の子なんだね、うろうろさん!


 うろうろさんを相当びっくりさせちゃったみたいで。

 慌てたように胸を庇いながら、うしろに飛び退るとそのまま転んでしまう。

 その拍子に、頭にかぶっていたフードまでバサりと外れてしまって。


 栗色のセミロングな髪がなだらかにうしろに流れている。

 目元はちょっと気の緩んだコダヌキみたいだった。

 タレ目の女の子って可愛いよね!


 一日一善。良いことをすると、因果応報ってことなのかな。

 良い結果が返ってくるもので。

 うん、小柄な身長のわりには良い胸でした。ごちそうさま。


 なんてことを俺が思っていると思ったら大間違いだ!

 なぜって俺は薬草を、ただ薬草を……。


 俺の内心での葛藤と深刻な言い訳をよそにして。

 うろうろさんは、そんな俺をじとっと疑わしい目で見てきている。

 手に持ったマーネ草を見て、俺を見て、また、マーネ草を見てと繰り返して。

 うん。どうやら疑いを解消してくれたみたいだ。

 ほんと、よかった……。


 そういえば、彼女名前はなんていうんだろう。

 うん。こんな時こそ、自己紹介だな。


「俺は北条真斗って言います。よかったら真斗と呼んでください。失礼ですが、お名前を伺っても? 」


 俺が問うと、彼女はためらいなく、名乗ってくれた。


「申し遅れました。私はシュレイン街で魔法薬剤店を営んでおりますマリーナ・フォンスと申します。マリーナって呼んでくださいね」


 春のうららかな空気のように微笑んで、彼女は俺にそう言った。

 そう聞いて、俺は思わず驚いたよ。

 だって彼女、日本だとまだ中学生くらいに見えるんだけど。

 それでもうお店を経営しているんだもんな。

 あとで確認してみたんだけれど、彼女はまだ13歳なんだそうだ。

 ほんと、すごいよね。


「真斗さんは、マーネ草を? 」


 マリーナさんは小首を傾げながら俺に問う。


「そうですね」


 俺は薬草であふれんばかりのポシェットを開いてみながら、今朝からの収穫を確認する。

 マリーナさんはずっと気になっていたんだろうか、俺のポシェットを中をしげしげと覗き見るとそのまま固まってしまった。

 うん? どうしたんだろう?


「やっぱり! ……それってガロン草? 」


 赤茶けた草を指差しながらうわずったような声で、体は少しフルフルと震わせている。


 あー、この草。納品窓口のおっさんも言ってたよな。

 レアな草なんだって。

 もちろん、俺のポシェットにあるくらいなんだから、決して生えていないわけじゃない。

 ただ、めったには生えていないらしいんだよね。


「そうですよ。先ほど、あのあたりに生えていたものを採取しました」


 俺は遠くに見える岩場を指差すと、マリーナさんもしげしげとそちらを眺めながら、おおいに興味ありげだ。


「よかったらいっしょに行ってみますか? まだあるかもしれませんし」


 俺がそう言うと、マリーナさんは首をコクコクと大きく振って同意する。


「助かります。その……ガロン草が6本必要で……」

「もしかして、ずっとガロン草を探してたんですか? 」

「はい」

「なんか事情がおありなんですか? よかったらお聞きしても? 」


 俺がそう返すと、マリーナさんはちょっと悩んだふうだったんだけど、事情を説明してくれた。


「実は、私の冒険者の友だちが3人、バジリスクにやられてしまって……。石化解除薬を3つ作りたいんです」

「……でも、もう時間がなくって……厚かましいお願いだとは思うんですが……。もしよろしければ、そちらのガロン草もお売りいただけると助かります! 」

「もちろん。構いませんよ! 」


 時間がないか。いつまでに必要になるんだろうか。


「その時間って、いつまでにガロン草が必要になるんでしょうか? 」


 マリーナさんはグッと手に力を込める。


「2週間前に、石化が始まってしまって……。あと10日ももたないかも……」


 マリーナさんは感極まってしまったのか。

 急に泣き出してしまった。

 よくよく見てみればわかる。

 マリーナさん、あんまり寝てなかったんじゃないかな。

 目元のクマが結構ひどいことになってる。

 タレ目とあいまって、本当にタヌキみたいに見えてしまってきている。

 

 別に冗談ってわけじゃなくてさ。

 こんな一生懸命な娘、泣かせたままにはしておけないよな。

 マリーナさんとお友だちの冒険者さんを助けたい。

 それが俺の気持ちだ!


「いっしょに探しましょう。きっと見つかりますよ! 」


 俺はためらうことなく、そう言い切って。

 2人で歩くこと30分。ガロン草を採取したのはあのあたりだったよな。


 俺とマリーナさんは2人がかりであたりの散策にいそしんだ。

 鑑定! 鑑定! 鑑定!

 うーん。なかなかヒットしないな。

 マリーナさんも必死に探してる。

 だけどやっぱり見つからないみたいだ。


 うーん。使うしかないかなぁ、広域鑑定。

 俺は覚悟を決めると、近くの岩場を中心にして広範囲にわたる鑑定を一気にかける。


 ズガンと頭に響いてくる痛み。

 目の前にひろがる無数の鑑定結果。

 そんな名前の中に、確かにガロン草が見えて。

 ただ、そこが限界だった。

 俺は痛みに耐えきれずに、情けない話だけど倒れてしまった。

 マリーナさんはそんな俺に気がついて、あわてて駆けよってくる。

 俺はマリーナさんに体をゆさゆさゆさゆさと揺らされて……必死に心配される。


「真斗さん! しっかりしてください! 」


 うん。今度は酔いそうだ。


「マリーナさん、もう大丈夫です! 」


 俺は必死に声を紡ぎ出す。


「ふぅ。よかったぁ」


 マリーナさんは安心したように脱力して座りこんだ。

 俺は安心させるよう無理に元気に立ち上がって、頭をさげる。


「ご心配をおかけしました」


 そうして、マリーナさんに手を差し出すと、しっかり握り返してくれる。

 よっと。

 マリーナさんを一気に引っ張り上げる。

 よし。ガロン草の採取だ!

 

「マリーナさん。こっちに行ってみましょう! 」


 俺は、少し離れたガロン草の群生地までマリーナさんの手を引っ張っていく。

 ちらっと繋いだ手を見て恥ずかしそうなふうのマリーナさんが可愛い。

 まぁ、すぐそこまでだしね。 

 岩場の陰までマリーナさんを案内する。

 そして、密集するガロン草を見て仰天することになった。


「はわわわわわわわわわわわわわわわ!!! 」


 全部で何本だろうか。

 俺はマリーナさんと2人でガロン草を丁寧に採取する。

 うん。全部で10本ある。

 結構な収穫だよね。

 あとは、このガロン草なんだけど。

 今回はマリーナさんの友だちがあくまでも最優先だからね。


「全部もらっちゃってください。どうぞ」

「全部はいただけません! ただ5本だけいただいてもよろしいですか? 」

「5本で足りるんですか? 」

「はい」


 マリーナさんは大きくうなずくと説明してくれた。


「2本あれば、1つ石化解除薬が作れます。マリーナは、昨日1つ採取できましたので」


 なるほど。それなら3つの石化解除薬が確かに作れるだろう。

 ただ、そう思う前に俺がもっと意識してしまったのはまったく別のことだった。


 自分のことを名前呼びする人だったのか!

 しかもタレ目なところも相まって俺の中での好感度がすごい勢いでアップしていく。

 異世界は俺の想像の先を、はるかに超えていく。

 もしかしたらとなんとなく思ってはいたんだけれど……やっぱり、そんな世界なんだろうか。


 まぁ、なにはともあれ、石化解除薬が作れるようで良かった。

 

「わかりました。ただ、必要になったら遠慮なく言ってくださいね」

「さぁ。帰りましょうか? 」


 俺の言葉にマリーナさんはにっこり微笑んで。


「はい、真斗さん! ありがとうございました! 」


 うれしそうに飛びついてきた。

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