執事長

「懐かれましたな」



 振り向くと、先程の執事……たしかヘルツだったろうか。自己紹介されていないので、違うかもしれない。



「ラルは人懐っこい子ですが、こうもあっさり懐くのは珍しい」


「この子、ここで飼われているのですか?」


「はい。ペットとしてではなく、伝書スリスとしてですが。あともう一匹、伝書梟がいますよ」



 どうやら、この子はスリスという動物で、ラルという名前らしい。



「飛べないのに伝書ですか?」


「もちろん遠い場所には頼めません。主に、近場ですね」


「近場?」


「梟は少し目立ちますから、目立たず手紙を届ける必要がある手紙を伝書スリスに託すのですよ」


「密偵に送るためとか、ですか?」



 ヘルツは苦笑を漏らした。



「そういう使い方もありますが、それよりも、こっそり恋人宛に手紙を送る時に使うほうが一般的ですね」


「ああ、なるほど。そうすると、この子もそうなんですか?」


「いえいえ。悲しいことにロタール様もクルト様も、そういった用途でお使いになったことがなくて。専ら愛玩用ですね。勿体ないことです。この子は賢い上に、たとえ塔だろうが、登れるほど筋力も根性もあるのに」


「そうなんですね」



 すっかりアンジェリカに心を許したのか、ラルは左肩でぐてーっとなっている。



「あ。そういえば、まだ名乗っていなかったですね。私はヘルツ・ヴェンと申します。僭越ながら、執事長をやらせてもらっています」


「アンジェリカです。どうぞよろしくお願いします。ヘルツさんは、ここで何を?」


「アンジェリカ様をお見かけになったので、先程は挨拶しそびれたので、改めて御挨拶を思いまして」


「あらあら。それは御丁寧にどうも」



 そこで、ふと思った。そういえばこの人は、自分のことを何処まで知っているのだろうか。

 いや、知らないわけがない。応接室で彼もいたのだ。訊かされているのだろう。



「そういえば、使用人の姿が見えないのですが、どちらにいらっしゃるのですか?」



 出迎えがなかったことを思い出し、訊ねる。



「厨房です。今日からクルト様の婚約者がお住まいになるので、歓迎パーティーをやろうということで、買い出しと厨房に立て篭もっております」


「まぁまぁ。全員ですか?」


「はい。元々使用人は少ないので」


「あら、そうなんですね。主役にそれを教えて、大丈夫なのですか?」


「表向きなので」



 ヘルツはにっこりと笑った。いかにも繕った笑みである。



(つまり、わたしたちの会話を盗み聞きされないように、手を回した、ということね)



 出迎えも使用人から歓迎されていないわけではなく、何かしら理由をつけて、避けたのだろうか。徹底的だ。



(それほど、わたしが聖女だっていうことを隠したい、ということかしら。まあ、そこまでやるのなら、わたしもそれなりに隠さないといけないわね)



 アンジェリカもにっこりと笑った。



「では、驚いた演技をしたほうがよろしいですね。バラしちゃったヘルツさんが、責められないように」


「そうして戴けると、助かります。ここの使用人、とくに女性は容赦がないので」



 ほっほっほっほ、と笑声を上げるヘルツに、アンジェリカは確信した。

 この人は、腹の中に狸を飼っている、と。



「アンジェリカ様、どうですか? この庭」


「とても落ち着きます」


「それはようございました。表に比べて地味だと言われたら、庭を丸々改装しなければならないと、冷や冷やしておりましたよ」



 わざとらしく肩をすくめるヘルツに、内心、そう思っていないくせに、と呟きながら、笑顔で返す。



「あら、そうなんですか? 改装している様子を、それはそれで見たかったです」


「ほっほっほ。それは御勘弁を」


「はい。冗談です。改装してしまったら、わたしに対する心証が悪くなりますから」



 初めから無理難題なことを言い出すと、使用人に嫌われて立場が悪くなってしまう。他人に何と思われようが別に構わないが、迷惑を掛けるわけにはいかない。



「……どうやら、大丈夫みたいですな」


「なにがですか?」



 急に肩の力を抜いたような声で言われ、アンジェリカはきょとんとした。



「クルト様はとってもモテるのです。顔もよろしいですし、先の戦で親玉を討ち取った英雄ですので」


「わたし、嫉妬の的になっちゃいますね」


「他人事のように申しますな。でも、貴女でしたら、上手く令嬢方からの熱ーい視線を躱せるでしょうな」


「あら、ヘルツさん。買い被りすぎですよ。わたし、同世代の女性と話したことは無いに等しいので、本番でヘマをやらかすかもしれません」



 城で会話した姫は同性代であるが、あまり長いこと会話をしたことがない。思えば、あれが初めて、まともにした同世代の女性との会話なのかもしれない。



「いやいや、そんなことはないですよ。私のお墨付きですから。貴女はとっても、良い性格をしている」



 とっても、の所が妙に力強かった。

 良い性格をしているのは、そっちではなかろうか。

 眇めるヘルツを眺めながら、アンジェリカは一笑する。



「褒め言葉として受け取ります」


「是非、そうして下さい」


「ふふふ」


「ほっほっほっほ」



 二人は笑い合う。その笑い声が薄ら寒かったのか、肩に乗っていたラルが身震いをした。

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