初めての部屋

 屋敷は思っていた以上に広かった。一階が応接室、遊戯室、食堂、客室など一階は他人が入っても問題ない部屋が多い。二階は居住区になっており、アンジェリカの部屋も二階にあった。


 ロタールは気に入らなかったら、遠慮なく言ってくれ、と言っていたが、その必要性はないようだ。


 ゴテゴテした感じでもなく、あちらにいた時のような白くてほぼ何もない部屋でもない。


 淡い緑色の壁には、所々に花の模様が描かれている。その花は、蓮華草に似ていた。天蓋付きのベッドは大きくて、寝心地は良さそうだった。隅にあるからか、窓が小さい窓と、バルコニーに続く窓がある。小さい窓は日当たりがよく、その下に机があり、横には白い本棚と小物を入れるためであろう箪笥が置かれている。本棚には上二段ほど本が埋まっていたが、その下の棚は空席だった。大きなクローゼットもある。その横には、ドレッサーらしきものが置かれている。


 淡い色で統一されたその部屋は、アンジェリカの理想そのものだった。



「気に入って、くれたか?」


「はい。とても。クルトはセンスがありますね」



 そう言うと、クルトの表情が和らいだ。純粋に気に入ってくれて良かったと思っているのか、あるいは手間が減ったと喜んでいるのか。どちらかは分からないが、安心したようだ。



「本は一応用意しているが、文字が読めるようになってから読むといい。あまり好きじゃなかったら、除けてもらっても構わない。空いているスペースは、好きな本や物を置くといい」


「はい」


「夜中、明かりが欲しいんなら、ベッドの横にランタンがある。付け方は後で教える。そこにも照明器具はあるが」



 クルトが指した方向に目を向けると、大きな蝋燭立てのような物が部屋の角にあった。



「あそこにある照明器具を付ける時は、危ないから使用人に言ってくれ」


「分かりました」



 元いた世界に比べると、魔法はあるが文明はそれほど発達していなくて、電気とガスがないことは城で学んでいる。



「あまり明るくないから、目が悪くならないよう、使うのは程々にしておくように。眼鏡はあるんだが、重いし分厚いから、あまりオススメしない」


「はい」


「しばらく部屋でゆっくり休むといい。俺は少し、執務室で仕事をしてくる」


「あら? 仕事はお休み中なのでは?」



 敵国の王を倒し、戦後処理も終わったので、しばらくは休暇だと先程教えてもらったばかりだ。



「あの人の代理だ」



 クルトは呆れた顔で、溜め息をついた。



「代理ですか?」



 アンジェリカは首を傾げる。



「あの人は、領主として領地の経営もやらなくてはいけないんだが、あの通り魔法機の研究ばっかりで、こっちの仕事をやらないんだ」



 それを聞いて、この人は大変だな、と思った。騎士の仕事もあるのに、領主代理もやっているなんて、その内過労死してしまうのじゃないか、と懸念してしまう。



「いつもは、執事長のヘルツが粗方やってくれるんだが、それだけだと処理できない案件もあるんだ」


「それはそれは……よろしいのですか? 領主の仕事をやらなくて。さすがに、ずっと代理は拙いと、思うのですが」


「魔法機の第一人者でもあるし、王から期待されていることもあって、なかなか領主もやれとは言いにくくてな」


「それは……大変ですね」



 そうとしか言えなかった。



「倒れないよう、ご無理はなさらないでくださいね? 人って呆気なく死んでしまいますから」


「あ、あぁ……そうだな。ありがとう」



 困惑しながら頷くクルトに、最後の言葉は余計だったのだろうか、と思う。



「では、これで。夕食が出来たら呼ぶから」


「あ、最後に一つ良いですか?」


「なんだ」


「あとで、庭に出てもよろしいですか?」



 玄関前の庭の他に、後ろにも大きな庭があるのだと、先程教えてもらった。問題がなければ、散策がしたいと思っていたのだ。


 クルトは目を丸くした。それほど予想外の質問だったのかしら、と首を傾げる。



「駄目ですか?」


「駄目じゃない。その……」



 少し口ごもりながら、クルトは小さく呟く。



「身体は、平気か?」



 今度はアンジェリカが目を丸くした。



「ええ。平気ですが……なにか?」


「いや、平気だったらいいんだ……屋敷の敷地内から出る以外は、自由に屋敷の中を動き回ってもいい。出掛けたい時は、俺に言ってくれ」


「はい。ありがとうございます」



 よく分からないが、心配してくれたので、お礼を言う。クルトはアンジェリカを一瞥すると、何も言わず部屋を出ていった。


 パタン、と扉が閉まり、しーんと静まり返る。アンジェリカは、ゆっくりと歩きながら、改めて部屋をぐるりと見回した。


 日の光が優しく、部屋を包み込んでいる。日の匂いしかない部屋は、とても新鮮だった。



「これが、バルコニー……」



 アンジェリカは今までないほど、わくわくしていた。初めてとも言える自分の部屋よりも、バルコニー、つまりベランダに出るのは初めてなのだ。祖父の家は平屋で、ベランダはなかったし、滅多に祖父の家に帰れなかったので、自分の部屋はなかった。


 別に憧れてもなかったが、初めてとなると多少なりともテンションは高くなるものだ。

 バルコニーの扉を開けてみる。澄んだ風が、アンジェリカの横をふわりとすり抜けていった。



「気持ちの良い風……」



 誘われるように、バルコニーに出る。空の青が眩しくて、目を細めた。


 眼下にはとても綺麗な庭が広がっている。沢山の花が咲いていて、その間をすり抜けるように小道がある。表はテレビで見たことがある宮殿のような庭だったが、裏はテレビでしか見たことがない、公園の散歩道のような庭だった。



「散歩するのが楽しみね」



 思わず小さく笑う。


 しばらく風と庭を楽しんだ後、再び部屋の中に入った。

 庭に行く前に、自分の部屋を探索だ。


 まず、机の引き出しの中身を確認する。引き出しは二つ。左側にはインクと羽ペン数本、右側は真っ白な紙と、シンプルな便箋が仕舞われていた。



(紙は勉強に使えるけど……便箋はどう使おうかしら……文通相手もいないし)



 とりあえず元に戻し、次に箪笥を開ける。

 ちらほらと小物が入っていたが、ほぼ空だった。



(本棚と同様、好きな物を入れて、ということかしら)



 クローゼットも開いてみる。ネックレスなど飾り物を入れるためのケースと服が掛けられている。それも半分ほどスペースが空いていた。


 どんな服があるのか、と覗いてみると、明らかに普段着ではないドレスが三着ほどあった。元々いた世界であったロリータという、可愛らしいフリフリの服ではないが、フリルがあって光沢がある。


 もしかしたら、姫から聞いた「ヤカイ」となるものに着ていく服なのであろうか。



(礼儀作法を学ばないといけないから、このドレスたちは今のところ関係ないわね)



 ドレスから視線を外し、普段着のほうを見てみる。どれもワンピースだった。



(上下別のものはないわね。そういえば、城にいた庭師はツナギ服を着ていた……主流ではないのかしら)



 一着だけ出してみる。水色のワンピースだ。流行だの可愛いだのよく分からないが、これは元々いた世界でいうところの、レトロ可愛いに属していそうだ。

 扉の裏側に姿見がある。ワンピースを自身に翳して見てみる。似合うかどうかは分からないが、悪くないとは思う。



(姿見もワンピースも初めてだわ)



 アンジェリカは元の世界にいた頃、とても身体が弱い子供だった。


 実家である祖父の家よりも、病院の個室にいた時間のほうが遙かに長いくらい、俗世と縁がなかったのだ。


 専らパジャマしか着ていなかったし、一時的退院して祖父の家に戻っていた時も、外出はしなかった。外で遊ぶと具合が悪くなるので、外出用の服は数着しか持っていなくて、着る機会は退院する時か入院する時か、どちらかしかなかった。



(大分調子も良いし、これも聖女だから、かしら)



 こちらの世界に来てから、身体に不調を起こすことはなかった。


 フクバラにいた頃は軟禁されていたので、あまり動かず、病院にいた頃よりも食事の質や暇潰しの数は減ったが、環境はそんなに変わらなかった。


 だが、こちらに来て城を案内された時、いつもなら発作を起こす運動量に達しても、発作が起こらなかった。


 フクバラにいた時も、まさか、とは思っていたが、そこで自分が健康体になったのだと確信したのだ。



(でも、いまさら健康体になっても、ねぇ)



 ふぅ、と溜め息をつく。



(ああ、そういえばさっきクルトが、わたしの体調を気遣っていたけど、ずぅっと監禁されていたから、かしら)



 なら、納得だ。召喚される以前は、身体がすごく弱かったことなど、アンジェリカしか知らないのだから。



「むすっとしているけど、けっこう優しい人ね」



 ベッドに腰掛けてみる。とてもフカフカで、気持ちが良いし、何より清潔だ。



(仮初めの婚約だけど、快適に過ごせそうね)



 そこで、アンジェリカは気が付いた。



(そういえば、仮初めの婚約がなくなったあとは、どうなるのかしら)



 と、気になったものの、すぐに気にならなくなった。

 どうでも、よくなったのだ。

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