第77章 Ira
声が、聴こえた。
よくよく耳をすまさなければ、聴こえないほどの、微かで、小さな泣き声。
ああ、
本当に、
「──ッ!」
しかし、そう思ったところで、
不意に、胸を締め付けるように押し寄せる、言葉にならない、言いようも例えようもない感情。
「ねえ……誰? 君は、誰?」
その泣き声は、エロハの糧となる
「お願い。どうか応えて」
返事は無い。
泣き声はか細く、相反するようにまとわりついた不安感は、次から次へと押し寄せてくる強い波のようで、エロハの身体を、徐々に蝕んでゆく。
「
思わず、エロハは声に向けて、腕を伸ばした。
しかし、伸ばしたその白銀の腕が、真っ黒に染まっていて──。
「AaAaaAaAaAaaAaaAaaAaAaAaAaaAaaaAaAaAaAaAaAaaaaa!」
「……ハ! エロハッ! エロハってば!」
不意に耳元で聴こえた甲高い声に、エロハの意識は一気に浮上した。
顔を上げると、肉体の半分以上を黒く染めた少女が、苦しそうに顔を歪め、それでいて、気丈にニッコリと微笑む。
「Aaa……」
「よかった……エロハ……」
漆黒の鱗に、巨大な三対の黒い皮膜の翼──白く鋭い牙をむくエロハの口から、意味のある
じんわりとした暖かさが、唇を伝って、エロハにも流れ込んできた。
「
少女がその涙を、愛おしげに
「エロハ……貴方が、心を、痛める必要はないの」
あれは、天罰。
少女──エロヒム・ツァバオトは、ちらりと、精霊機の
たった今、漆黒の光の精霊機が焼き払った、一つの
「A……AaAaaa……」
「エロハ! あれを、聴いてはダメ!」
そこに住む人々の、
呪いの声をかき消すよう、エロヒム・ツァバオトが、透き通るような声で、歌う。
エロヒム・ツァバオトごと彼を包み込むよう、彼の周囲に、黒が混じった金糸が舞う。
「イザヤ。デウスヘーラーを、
御意。青髪の男が、真面目な顔で、小さくうなずいた。
彼女が目を細めると、空気を読むかのように、イザヤは姿を隠す。
「ねえ。エロハ。お願いがあるの……」
半分近く細い金糸に包まれた状態で、エロヒム・ツァバオトはエロハに囁く。
彼は薄く目を開けて、こくりと小さくうなずいた。
「あのね。私……」
◆◇◆
「どういうことか、ご説明いただきたい。父上」
涙の痕を残したままではあるものの、先ほどとは打って変わった、今にもブチキレそうな剣幕の娘に、父
他の五人の姿は無いが、気配はチラホラしているので、どうやら様子を見守っている模様。
『いやぁ、その……うん、心配かけてゴメンね。ルクレツィア』
処刑されて心配もクソも──と、思わずアックスは思ったが、空気を読んで口には出さない。
『だって……
「だって……じゃ、ありません! なんなんですかその足元は!」
ムニンから溢れ出る闇の瘴気の勢いは、ルクレツィアの剣幕のおかげでやや落ち着いてはいるが、あくまで
『コレ、すごいでしょ? なんだかよくわからないけど、今ならちょーっと頑張ったら、
「だーめーでーすーッ!」
死んだせいなのか、死に方が酷く悪かったせいなのか──理性の
父が自分の前で他人を
生前同様、表情が穏やかななだけ、余計タチが悪い。
「この父上も、ジンカイト殿同様、モルガの能力なのか?」
『うんにゃ。こりゃー
頭を抱えるルクレツィアに、同じことを思っていたらしいジンカイトが同調したが、ムッとしたらしいムニンの闇がぶわっと広がり、いつぞやのエロヒムの時のように、ジンカイトを吊るし上げた。
「わーッ! 父上! おやめください!」
『駄目ですよ。ルクレツィア。
めッ! と、ムニンは幼子を叱るよう、優しくルクレツィアの頭を撫でる。
しかし、背後のジンカイトを吊るす闇は、量を増やして濃く纏わりつき、そのまま呑み込んで、消えてしまった。
『
『だーれが害虫じゃッ! 今のオメーの方がタチ悪いわッ!』
ため息を吐くムニンの足元から突然太い腕が生え、ずぶりと闇の中に、ムニンを引っ張りこむ。
『ジョアンナも、草葉の陰から泣いてるぞーッ!』
『彼女は今、関係無いって言ってるでしょうッ! 二言目にはすぐ、気軽に気安く彼女の名前を出してッ!』
『そりゃー! ジョアンナは幼馴染じゃし、ワシの超! 優秀な部下じゃったからのぉ!』
まるで水に沈むよう、闇の中でじたばたともがきながら再び低レベルな争いを始めた父たちに、ルクレツィアは大きくため息を吐いた。
ついでに、何気に
「頭、痛くなってきた……」
「だいじょうぶ?」
そっとモルガが、ルクレツィアの肩を支えた。
眩暈を感じ、彼女はそのままモルガにもたれかかる。
「父上がこれじゃ、兄上は、一体どうなっているか……」
父より遥かに凄まじい性格のチェーザレが、おとなしくしている筈が……。
「……いない」
「え?」
赤い瞳が、ぼんやりと輝く。
「さいきんしんだ、ししゃの、たましいのなかに、あのひとは、いない……」
「んー、ワシは直に対面しとらんけぇ、判らんけど……」
アックスが腕を組み、頬をかく。
「
ワシや、兄ちゃんみたいに……。
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