第63章 墜落

 ぺちぺち──と、痛くは無いが、頬に振れる冷たい感触に、ソルは目を覚ました。


『気がつかれましたか』


 安堵の表情を浮かべる青年の顔を、思考の定まらないソルは、ぼんやりと見つめた。


 見覚えのない青年である。

 一つにまとめた長い髪の色は、ユーディンと同じ、燃えるように鮮やかな朱色。ただ、それだけで、記憶の端に、残りそうなものなのに。


 ぼんやりとしたままのソルの様子に、青年は眉間にしわを寄せた。


『大丈夫、ですか? 自分の事が、わかりますか?』

「オレ……? は……」


 青年の言葉で、ソルは思わず飛び起きた。


『無理はいけません!』


 体を起こしたものの、くらくらと揺れる頭。

 一気に気分が悪くなり、思わずソルはその場で嘔吐した。


 病衣に着替えさせられていたが、ほとんど胃液の黄色かかった吐瀉物に、わずかではあるが血が混じり、毒を飲んだことも、今、生きていることも、ではないと、思い知る。


「どうして……オレは、生きている……?」


 ひとしきり吐き終えたあと、ガラガラとかすれた声で、ソルは男に問う。

 喉が酷く痛み、息をするだけで激痛が走った。


邪神アィーアツブスが、貴方を助けました。貴方の細君の、望み・・を、叶える形で』

「……あの、馬鹿弟子が」


 頭を抱え、ソルはため息を吐く。

 ──ヒトには過ぎた能力きせきを、安易に、やみくもに使うんじゃない。そう、確かに、言いきかせたハズなのに。


「それで、お前さんは? 誰だ?」


 朱色の髪に、赤い瞳。

 赤い髪に朱色の瞳を持つ、妹と真逆の特性を持つ青年は、にっこりとソルにほほ笑んだ。


『私は、エレミヤ=ザインと申します』


 ザイン……? いぶかしんだソルは、眉間にしわを寄せる。


「ギードの親類に、貴様のような男がいるなど、初耳だが」

『そう……ですね。確かに、彼とは親類に当たります。遠い……とても、遠い親類ですが』


 彼は、苦笑を浮かべ、そして真面目な顔に戻ると、ソルに対して跪いた。


『私は、エレミヤ=ザイン。精霊機ヘパイストの封印者プロテクターにて、フェリンランシャオの初代、バルク帝の母であり、前身であるアロスター帝国最後の女帝ミカ様と、その妹である戦巫女ヤエル様に仕えた、騎士にございます』



 ◆◇◆



「みんな! ヘルメガータが暴走してるせいで、精霊のバランスが狂っておかしい! いつまたアリアートナディアルの時みたいに起動不全を起こしてもおかしくない状況だから、変だと思ったらすぐに下がって!」


 皇帝ユーディンの呼びかけに、一瞬、騎士たちは躊躇する。


 しかし、続けざまに「コレは、命令だから!」とユーディンが付け加えたことに加え、「ありがてぇ!」と、降格元・元素騎士のギードがまっ先に撤退したことで、水属性の機体をはじめとした、悪い方向に影響が出始めた騎士たちは、次々と城や簡易ドックに戻ってゆく。


 一応、今回はあの時とは違い、風の神エヘイエーが居るので、今すぐに地属性以外の機体が停止することはないだろうが……。


「モルガ! 聴こえてる? モルガッ!」

「いかんのぉ……全然聴こえてない……」


 精霊機の心臓コックピットに納まったモルガは、完全に邪神アィーアツブスとしての、姿を晒す。


 背には三対六枚の皮膜の翼を持ち、とぐろを巻く、半人半蛇の巨大な化物──。

 恍惚の笑みを浮かべながら、宝石のような赤い瞳を輝かせ、敵味方の区別なく、ヴァイオレント・ドール獲物を狩る狩人。


「兄ちゃんッ!」


 アレスフィードアックスは、飛来する無数の眼球を避け、吹き飛ばす。


 しかし、数が多い事、また、アレイオラ帝国軍との乱戦状態であることもあり、なかなか、近づける状況ではなかった。


「邪魔ッ!」


 ヘパイストの炎が、眼球を、VDをまとめて焼き尽くす。

 あまりの勢いに、一瞬、ユーディンとアックスは怯んだ。

 ミカから伝え聞いた通り、なかなか、こちらも、ある意味暴走状態……。


 と、突然、眼球の動きが止まった。それどころか、急激に浮力を失い、ボトボトと地面に落ちてゆく。

 さらに同時に、何故かヘルメガータまで、真っ逆さまに墜落し始めた。


「えぇぇ! なんでッ!」

「兄ちゃんッ!」


 邪魔が減ったことで、慌ててアレスフィードが駆け寄るも──。


「やべ……重ッ……」


 装甲の薄いアレスフィードが、精霊機最重量のごついヘルメガータを、抱えることができるはずもなく。


「うわぁぁぁあぁあぁあああ!」

「ちょッ……せめて潰されないでぇぇぇ!」


 二機の精霊機は、森の中に墜落した。



  ◆◇◆



 時は、その、ほんの少し前の事。


 エレミヤに導かれたソルは、部下である第五整備班の面々に背負われながら、メタリアの城内を進む。

 その手には、金属の腕──モルガが斬り落とした、左腕を持って。


『右に曲がります』

「そこを、右だ」

「了解です! 班長!」


 エレミヤの姿は、かつての自分のように、他の者には見えないらしい。

 彼曰く、ソルが彼の姿を視認できるようになったのは、邪神の力を受けて、蘇った影響とのことだが、今は詳しく詮索している場合では、どうやらないようで──。


「つきましたぜ! ハデスヘルです」


 自分を背負った部下の声に、ソルは瞑っていた目を開く。

 黒い機体を見上げ、ソルは静かにうなずいた。


「どうされましたか!」


 機体から、ルクレツィアの声が響く。少し声に力が無いが、親友の妹の無事な様子に、思わずホッとため息が漏れる。


「すまない。三等騎士リイヤ・オブシディアン。少し、降りてくれるか」


 ルクレツィアが飛び降りるように降りてきた。少し足元がふらつき、膝をつく。


「大丈夫か?」

「はい。それより……どうされましたか」


 ぐったりとしたソルと、隣に立つエレミヤの姿に、ルクレツィアは眉を顰めた。


「これを……持ってきた」


 手渡されたのは、金の腕。

 見た目より随分と軽く、そして淡く輝く、美しい義手。


 そして、薬指の根元部分に、目立たないようにはめ込まれた、小さな黒と淡いピンクの石を見つけ、ルクレツィアは、思わず目を細めた。


 あぁ、これは。


「あの馬鹿弟子を、これで、一発殴ってこい」

「了解、いたしました」


 ソルに促され、ルクレツィアはハデスヘルの心臓コックピットに戻る。


「ミカ、義手の影響は?」

『そうですね……少し、ノイズが入ります』


 地の神モルガが造った義手だ。指輪の時もそうだったが、やはり、『過重の加護』となり、影響は出るようだ。


「ミカ。ヘルメガータの心臓モルガのところへ、座標の固定を頼みたい。できるか?」

『はい。それは可能です』


 ミカが祈ると、周囲の光景が揺らぎ、徐々に変化した。


 ルクレツィアの目の前に、巨大な邪神が、対峙する。


「モルガ」


 突然現れたルクレツィアに、びくりと邪神が怯んだ。

 しかし、敵意をむき出しに、牙をむいてルクレツィアを威嚇する。


 ルクレツィアが、そっと、左手を伸ばした。邪神はくんっと、鼻をひくつかせ、そして、顔を近づけ、それがであるかを、確認するよう、じいっと義手を見つめた。


 邪神の鎮め方は、解っている。

 あの時はカイであったが、たぶん・・・一緒・・……。


「モルガ……おいで」


 ルクレツィアは、モルガの首に、手を廻す。

 そして、彼の口に、そっと唇を重ねた。


「──────ッ!」


 とたん、邪神が、声にならない、甲高い悲鳴を上げた。


 赤い目をカッと見開いて、モルガは心臓コックピットの床を、のたうち回る。


「え……」


 なんで……と、ルクレツィアも驚いた。


 制御を失ったヘルメガータがガタガタと揺れ、硬度を急速に下げているのか、ルクレツィアはバランスを崩して座り込む。


 邪神は苦しそうにもがきながら、それでも、徐々にボロボロと黒い鱗が剥がれ落ち、その下から、淡く輝く、金の鱗が現れた。


「おーまーえーは―ッ!」


 荒い呼吸の端から、恨めしそうな声が漏れる。


 突然、モルガが腕を伸ばし、ルクレツィアを抱き上げた。

 途端、地面に激突したのか、大きな音とともに、酷い振動が心臓コックピットに響く。


「いきなり何してくれとんじゃ! 血ぃが、逆流するかと思ったわッ!」


 口調は、間違いなくモルガだ。

 しかし。


 怒りの色を湛える紫の瞳に、白銀色の髪と六枚の翼。


「お前……カイ、か?」

「んぁ? ワシ以外、何じゃと思うとるんじゃ」


 どうやら無自覚らしい地の神シャダイ・エル・カイは、あんぐりと口を開けるルクレツィアを、じっとりと見つめた。

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