第26章 エヘイエー降臨
泣きじゃくる小さなアックスの手を、
とっぷりと日の暮れた山道。細い二つの月が、幼い少年二人の道を照らしていた。
ふと、モルガが歩みを止め、アックスもつられて立ち止まる。
目の前に、人の形をした、大きな白い影。
「にいちゃ……」
不意に、モルガがその手を離し、アックスの背中を押した。
その表情は、暗くてよく見えない。
「……じゃあ、の。アックス」
ざらり──唐突にモルガの体が、砂のように崩れ、風に吹かれてアックスの手をすり抜ける。
声にならないアックスの悲鳴が、あたりにこだました。
◆◇◆
「ちょっともー、なんで誰も来ないんだよー」
本日の朝の重臣会議は、元素騎士が
「まったく……ただでさえ、チェーザレとルクレツィアの疑惑、完全に払拭できてないのにさー」
扉の影に隠れながら
頬を膨らませながら、ユーディンは地下神殿へ向かった。
コツンカツンと、石畳に杖と義足がぶつかって、独特の足音が響く。
「って、ナニコレーッ!」
地下神殿で繰り広げられる混戦、乱戦!
チェーザレの乱射する
「ちょっと! 何やってんの君たちッ!」
大きな声でユーディンは叫んだ。
聴こえないかもとは思ったが、ぜーぜーと息をきらしたチェーザレの声が返ってくる。
「見てわからんなら聴いてもわからんッ!」
クソッ! と悪態をつきながら、再度、デウスヘーラーが
『どこ狙ってんのさ!』
アレスフィードが、ヘルメガータを盾に避けた。全弾ヘルメガータに命中し、
『的は、こっちだよこっち!』
軽い口調のエノク。チェーザレの攻撃に怒ったのか、ヘルメガータの『眼球』がデウスヘーラーに向かって、まとめて飛んできた。
「まったく、どうにかなりませんのッ……」
「ホント、もうこの状況、神様にでも祈るしかないよー!」
デメテリウスの蛇腹剣と、ヘルメガータの炎が、その『眼球』がデウスヘーラーにレーザーを撃ちこむ前に叩き落し、焼き落とす。
『それだ!』
急にエロヒムが叫び、エノクの言葉に呆然としていたルクレツィアが、びくりと震えた。
「ど、どうした……?」
コホン……と、エロヒムは咳払いし、音声の外部出力を上げる。
『陛下! 頼む。我らを助けると思って、今すぐ神殿に行き、
「よ、よくわかんないけど、わかった! ルクレツィア!」
エロヒムの声をルクレツィアと勘違いしたユーディンは、急いで回れ右をして、地下神殿を出て行った。
『ついでってなんだよ! エロヒムッ!』
怒るエノク。対して、サフィニアが不安そうに呟いた。
「大丈夫かしら……陛下一人で、大勢の巫女さん相手……」
「………………」
ダメかもしれない……と、チェーザレは無言で、頭を抱えた。
◆◇◆
朦朧とする意識。
全身に纏わりつく、何とも言いようのない感情。
眠気とよく似ている抗えない『何か』に、その身を委ねる。
ただ、「誰か」の声を聴くたびに、ほんの一瞬、フッと意識が浮上した。
しかし。
わしハ、誰ジャ……?
痛覚は既に麻痺し、視覚もぼやけてよく見えない。
聴覚も、聴こえはするのだが、何の音なのか……それが、誰の声なのか……。
「モルガッ!」
? ……アァ、わしノ名カ……。
一瞬聴こえた
しかし。
デモ、モウ、エエジャロ……。
モルガはその目を瞑り、耳を塞ぎ、そして……。
◆◇◆
一瞬の事に、一同、凍り付く。
『な……』
エノクですら、言葉を失う。
『眼球』のレーザーが一斉に撃ち込まれて直撃し、大きな穴が開いたヘルメガータの
そのままぐらりと傾いで、地に伏した。
「い……いやああああああああああああああ」
「モルガッ! モルガぁ……!」
「出せ! エロヒム!」
『エノクが結界を解かぬ限りは、此処から出れぬ……』
エロヒムは、エノクの名を呼んだ。
『エノク……気が済んだのなら、今すぐ結界を……』
しかし、アレスフィードから、エノクの予想外の声が響く。
『エヘイエー様!』
心の底から嬉しそうな少年の声に、ルクレツィアは表情を強張らせた。
ごしごしと袖で涙をぬぐって、騎士の顏に戻ると、エロヒムに命じる。
「エロヒム……
『ああ。わかった』
エロヒムが、アレスフィードの
ルクレツィアは懐の銃に手を添え、転移を待った。
果たして。
あの時と同じ、むせかえるような花の香り。
中央には、金の長い髪に、全身から大小さまざまな大きさの
男が、ゆっくりと目を開く。
驚いたことに、男の目は黄金の翼同様、体中にあり、赤、青、緑……さまざまな色の瞳が、ぎょろりと周囲を観察した。
その顔は、モルガに酷く似ており……。
エヘイエー様! と、嬉しそうに朱眼朱髪の少年が、男にまとわりついた。
しかし。
「こぉんの、大馬鹿モンがぁッ!」
男が、少年の頭に、勢いよく拳を振り下ろした。
「何してくれとんじゃワレッ! 騙くらかしてくれたワシゃぁともかく、
男は立ち上がり、エノクの胸倉をつかんで、片手で吊るしあげた。
怒声に合わせ、びりびりと翼と空気が震える。
「あ……アックス……なのか?」
「おう、騎士のねーちゃん」
よッ! と、実に
「な……なんで操者が……」
エヘイエーに、シャダイ・エル・カイと同様……
「あー、そのことなんじゃが……」
ポリポリと、アックスが、顔にも複数ある目を器用に避けて、頬をかいた。
「エヘイエーなら、ワシに
『はぁッ?』
一番素っ頓狂な声を上げたのは、エノクではなく、エロヒムだった。
◆◇◆
「ボク、一人で巫女さんたちと、頑張ったんだよ! 褒めて!」
えへん。と、戻ってきたユーディンが、ふんぞり返る。
「ハイハイ。偉い偉い」
ぞんざいに、ぐしゃぐしゃとチェーザレがユーディンの頭を撫でた。
「まぁ、あくまでも急ごしらえの応急処置じゃが、実際
間におうてなかったら、たぶんワシも一緒に暴走しとったじゃろーし……と、さらりと怖いことを言ってのけるアックスに、一同、思わず距離をとる。
「だいじょーぶだいじょーぶ!
無数の金の翼をパタパタと動かしながら、アックスはケラケラと笑った。
ルクレツィアは、不安そうにヘルメガータを見上げた。
「
じゃけぇ、兄ちゃんは大丈夫じゃ。と、アックスは言い切る。
しかし……ルクレツィアには、
「まー、そんなわけで、陛下。
「んー、そーだねー」
今までやってこなかったのがおかしいんだよね……と、ぽつりとユーディンは呟いた。
「陛下……?」
「だって、あることが
それなのに、ずっとお礼しなかったから、今回は
ユーディンの悲しそうな笑顔に、ルクレツィアはなんと言っていいかわからず、言葉を失う。
精霊の加護をもたない皇帝──其れゆえに、彼の言葉に重みを感じた。
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