第17章 白い粉

 帝都へ戻って十日。ルクレツィアはようやく、自分の執務室に戻る。


 モリオンに頼んだ義手オーダーメイドはまだ未完成ではあるが、代わりの義手レディーメイドを身に着け、日常生活に今のところは、なんら不自由はない。


 一応、礼を……と思い、ルクレツィアはモルガの部屋をノックした。


 締まりが甘かったのか、返事のないまま、小さく音を立て、施錠されていない扉が開く。


「モルガ……居ないのか?」


 そっと室内をのぞき込んだルクレツィアは、目を見開き、そして言葉を失った。



  ◆◇◆



「え? モル君?」


 ルクレツィアの問いに、ステラはうーんと、考え込む。


「特に変わった様子はそこまで無いというか……元気してるわよ」


 そりゃ、最初はふさぎ込んでたみたいだけどさ。と、ステラは提出する書類をまとめながら答えた。


「お兄ちゃんに弟子入り許されたとかで、最近は機嫌良いし、二日に一回くらい、夕方から夜にかけて、嬉しそうにウチに来てる感じ」


 どうしたの? と逆に問われ、ルクレツィアは返答に困る。

 慌ててその場を立ち去るルクレツィアを見送り、ステラはポツリと呟いた。


「ルーちゃんの方が、なんか変な感じ……」



  ◆◇◆



「えーっと、ここ数日のラジェ・ヘリオドール……ですかぁ?」

「……」


 おっとりと、サフィニアが、答えた。

 サフィニアの隣のチェーザレの、何か言いたげな視線がなかなかに厳しい。


 二人はモルガの教育係として、戦術などの座学や白兵戦、模擬戦闘等の訓練を、交代で行っている……とのこと。


「……何か、気になるところ……ありましたっけ? ラング・オブシディアン」

「そうだな。強いて言うなら、意外と物覚えや物分かりが良すぎて、面白くない」


 もっと悲鳴を聞きたかったのに……と舌打ちする兄を見て、内心、ちょっとだけ、ルクレツィアはモルガに同情した。



  ◆◇◆



「見つけたぞ!」


 城の中庭で、ぼんやりと空を見上げるモルガを見つけたルクレツィアは、バタバタと彼に駆け寄った。


 彼の髪の毛は、以前のように短く切られていた。

 隣にはルツが一緒に座り、きょとんとした顔でルクレツィアを見上げる。


「どしたんじゃ……ルツィ……」

「ちょっと来いッ!」


 モルガの問いに答えることなく、ルクレツィアはモルガの手を引く。


 ルクレツィアは、モルガの執務室へ直行し、勢いよく、ドアを開けた。


「コレは一体、どういうことだ?」

「? どう……って?」


 モルガは、よくわからない……と眉間にしわを寄せる。


 ルクレツィアは、部屋のカーテンと窓を開けた。

 モルガの元に戻ると、無言でそのまま、片腕で寝台に向かって、モルガをおもいっきり投げ飛ばす。


 ボスンッ──とベッドが弾み、むわっと、すさまじい量のホコリが部屋を舞った。


 覚悟はしていたのだが、思わず、ルクレツィアも、モルガと一緒に、盛大に咳き込む。


「な、なんじゃぁ……」


 ゲホゲホと咳が止まらず、モルガが悲鳴に近い声をあげた。


「人間は、一日に一度眠るものだ。シャダイ・エル・カイ」


 ルクレツィアの言葉に、チッとモルガが舌打ちした。


「まったくもって意味不明だ。他の者には気づかれなかったのに」


 モルガ──いや、シャダイ・エル・カイの瞳の色が、赤から紫に変色する。

 今回は髪の色は変わらず、長さも変わらなかったので、ある程度、容姿の変化は、制御できるようだ。


「約束はどうした!」


 ルクレツィアの怒声に、めんどくさそうにカイが答える。


「約束? 守っているとも。『操者が望む場合』は、我が出てきてもよいのだろう?」

「望んだ? モルガがか?」


 あぁ。と、うなずく。


「そこの引き出しを開けてみろ」

「引き出し?」


 ルクレツィアが引き出しを引くと、意外と重く、中にみっちりと、白い粉末が入っていた。


「なんだ……コレは」

「人間の成れの果て」


 ガターンッ──思わず全部引き抜いてしまい、ルクレツィアは引き出しを床に落した。

 驚きすぎて、心臓が早く鳴り、どくどくと脈打つ。


 バラバラと散らばる白い砂をみて、「あーあ。また掃除しなければ……」と、他人事のようにカイがため息を吐いた。


「えっと……」

「貴様が考えている通り。刺客だ。今回は女だったがな」


 帝都から戻って間もなく──ソルに弟子入りを許された、あの雨の夜のこと。


 夜遅く、一人の女が訪ねてきた。


 前の地の元素騎士ギード=ザインの恋人だか愛人だか……といった話だったのだが、実際のところの真偽は不明。

 突然、その女が襲い掛かってきたのだという。


「結果は、貴様の腕と、同じ道を辿った。……いや、それ以上、だな」


 人間を丸ごと石に変えてしまい、モルガは、恐怖と、自己に対する憎悪で混乱したという。

 さらに、あの時は側にルクレツィアが居たが、今回は、誰も、いなかった。


「以降、人前では、我があやつを演じる羽目になっている、というわけだ。まったく、我の演技も、なかなか、様になっていると思っていたのだが……」

「出てこい! モルガッ!」


 ガクガクと、ルクレツィアがカイを揺さぶる。

 しかし。


「……ダメだな。貴様には一番、会いたくない。だ、そうだ」


 あきらめろ。と、カイが首を横に振った。



  ◆◇◆



 その日の夕方、モリオンはモルガの執務室を訪れた。


 実はその時間、モルガ──実際はカイではあるが、プラーナ邸ソルのところへ勉強のために出かけていたのだが、モリオンには伝えておらず、彼女はそのことを知らないままであった。


「あらあら。まぁまぁ……」


 寝台の上の毛布やシーツがぐちゃぐちゃで、白い粉が床に飛び散った──部屋の散らかりように、思わずため息を吐く。

 もっとも、実際は昼間、前述の通りの状況なのだが、モリオンには知る由もない。


「まったく、男の子ね。しょうがない子」


 勝手に片づけたら、怒るかしら? そう思いながら、モリオンはとりあえず窓を開けて、手始めに箒で床の砂をまとめはじめた。


「一体何なのかしら……コレ……石膏に近いような気がするけど、それにしても、なんでこんなところに……」


 素材研究の一環で、あとでもらってもいいかしら? なんてことを思いながら、モリオンは鼻歌交じりに掃除を続けた。


 一方その頃、モルガの執務室に向かう、一人の影があった。


「まったく……よくわかんないけど、ボクだけモルガに会っちゃダメって、チェーザレってば酷いよね」


 コソコソと挙動不審な動きをしながら、両手に杖を持ったユーディンが、モルガの執務室に近づく。

 女性が怖いので、普段は元素騎士の執務室こんなところまで、一人では来ないのだが……。


「びっくりしてくれるかなー……モルガ」


 ニ十歳児……精神年齢七歳の皇帝陛下は、終始こんな調子だった。


「やっほー! モルガ! 遊びにきちゃった!」


 しかし、扉を開けると、知らない女性の背中。


 思わず悲鳴をあげながら、ユーディンは後ずさった。


 しかし。


 振り返った女性の顔に、思わずユーディンは目を見開いた。


 茶色の長い髪に、赤みがかった、茶色の瞳。

 優しそうに目を細めてほほ笑んだ、その顔。


「あらあら……モルガのお友達かしら?」


 愛らしい、小鳥のような声。


「は……母上……」

「はい?」


 ぱちくりと、モリオンはまばたきする。

 今、何て言ったかしらこの人……。


「ははうえー!」

「えッ……ちょっと……まって! 誰!」


 ボロボロと泣き出した大柄な男に抱きつかれ、モリオンは、悲鳴に近い声をあげる。

 しかしながら、とても振りほどけそうにない。


「ははうえー! ゆ、ユーディンは、ちゃんと、良い子にしてましたぁあぁッ!」

「ちょ……ちょっと、誰か助け……」

「一体どうし……へ、陛下?」


 隣の異変に気付いたルクレツィアが、モルガの部屋をのぞき込んだ。


「うわーッ! ルクレツィアッ! ゴメン! 無理! それ以上近づかないでッ! 心の準備できてないッ!」

「あぁ! ルクレツィア様! ちょっと、助けてくださいー!」


 なんだかもう、大混乱になった。

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