7、《彼ら》と追放者と、ねがいましては、

132、感情よりの収支計算

 あの日から一週間ほどが経って俺はゼリス商会の塔の上にいた。

 結果を出しに来たのだ。



「期待していることが果たされるというのはとても喜ばしいことだと思う」


 重い木の扉をくぐった向こう。明り取りのためだろうか、身長よりもよほど背の高いガラス張りの窓の透明度はそれが大きさと均質さも相まって、非常に高級な品であることを伝えている。


 ゼセウスという男はそれを背において、視線をこちらに向けている。真っ直ぐではあるが、机に座っている分、それは見上げるような視線になっていて薄ら睨んでいるような錯覚を覚える。


 この男にそれがわかっていないわけはないだろうから、そのへんの効果もひっくるめてのこの対峙なのだろう、と思う。


 部屋、ここは、ぜセウスの仕事のための部屋だそうだ。

 領主のための建物を除けば最も高い商会の天辺。この街の商会の責任者にはふさわしいのかもしれない。鐘撞き楼より高い建物はこの街にたったの二つなのだからその特別さもわかろう。


 高い場所である分、広さはさほどだ。とはいえ、一通りの家具やら何やらを収めての広さであるから狭いというわけではけしてない。


 部屋の中には渋い、茶色の革張りのソファーがある。何の革かなど見当もつかないし家具の文化様式なんかが分かるわけでもない、それでも感じられるすごそうなオーラを放っているソファーとテーブルのセットには見覚えのある少女がいる。


 彼女は立ち上がり、こちらに会釈をする。いつもの男とも女ともつかないような風体とは違い、ひらひらとした嫋やかそうな雰囲気を醸し出しているのは坊だ。ゼセウスが圧の役であるならこちらは緩めの役という訳だろう。


「お二人とも、そちらへ」


 促されてソファーに座る。俺は本当にこんな高そうなものに座ってもいいものだろうか、と自分の服に硬いものがついていないかとか、汚れていないかを確認してしまうのに対して、ニコは特に大きな躊躇いもなくストン、と座る。


 それをなんとも言えない表情で見ていると、笑い声が聞こえた。ゼセウスはくつくつと意地悪く。坊はくすくすと朗らかに。


 憮然というのは、こういう表情だろうという見本のような表情で俺は席に着く。

 坊は、立ったついでと言うつもりか、水差しから、ガラスのカップに何かを注いでこちらに持ってくる。ゼセウスのところに置き、こちらの二人の前において、最後に自分の分を手にとった。


「冬ですねぇ」


 坊が言った言葉、意図としては飲み物の説明の枕、というところだろう。

 見れば、薄青に色づいていて、底からひとひら何かが立ち上ってきて、水面に触れてまた沈む。

 それを繰り返している、そのたびに、なんとも言えない爽やかな匂いが昇る。


「『夏の葉』です」


 聞けば、夏に最も緑を濃くする植物の葉っぱを特殊な液につけて脱色したものだそうだ。


 冬に水に入れると閉じ込めていた香りが開くというものでこのあたりでは『湖の甕亭』つまり、あの薬屋ぐらいでしか買えないものであり。この場で出されれば裏の意図を勘ぐってしまいそうになるが……。ここは歓待だと思っておこう。


 若干温まっているのは、暖炉の近くにおいてあったからだろう。清涼感に乗った温度が体中に染み渡るのを感じる。



「さて、坊からある程度の報告は受けているし、君の提案は興味深く読ませてもらった。既存の座との兼ね合いもあるだろうし、簡単には進まないかもしれないが未来ある若者のためでもある。助力は約束しよう」

「それは良かった」


 提案した内容は簡単だ。とりあえずは職人系についてだが若者が自分の腕試しをする場所として露店街の一角に食べ物以外の店を置き、共同店舗とするというもの。もっと簡単に言えば、人通りの多い露天外に展示コーナーを設けるのだ。


 普段の下働きをしなければいけない若者は常駐しなくても良いというメリットがあるし、逆にお客さんの声を聴くために店舗にいても良い。売上は手数料を引けば自由に出来るし連絡先を露店に置いておいて人脈作りに使っても良い。


 また、一つの露天に色々なものを詰めることで、自分の知らない技術に触れる機会も多くなるだろう。と、そんな感じの企画を持ち込んだのだ。

 勿論、個人的な目的としては、孤児院のそういった技能持ちに現金収入の機会を与え、また、独り立ちの素地を作ることであるが、街の発展にも十分に寄与することが出来るだろう。



「さて、君の責任のとり方を確認しておこう」

「……」

「私は、君の言葉で聞きたいんです」


 そうだな。左足はどうしても不自然に震えるが、そこに重ねられたのはニコの手のひらだ。震えが止まる……ような気がする。


「あなたに言われた後、俺は方法を考えていた」

「ふむ」

「どうすれば、孤児院の皆を危険にさらさずに済むか、とね」


 実際、前の街の恨みなら、対象は俺のはずで、そうなら俺が離れるのが一番だと思う。思っていた。――あるいは、思おうとしていた?


 それは逃避だ。居場所からの、というだけではなく、責任からの逃避なのだろう。『今』という時点からあのときの考えをたどればそういう結論になる。


 本来の自分の考え方はそうではなかったはず。

 最適な方法を探す前にすべきことがある。それは、最善の未来を思うことだ。


「俺は、あの孤児院にいる……いや、違うか。この子と生きる」

「……これはまた、吹っ切れましたね」


 ちらりとゼセウスは坊の方を見た。


「あの子の言葉の印象では、ものの弾みのように口づけを交わしたとのことでしたが」


 なんとも無粋な追求に、俺の膝の家に置かれた手がぴくんと震えた。


「三回だ?」

「うん、何がですか?」


 回数だ。何の回数かといえば。


「次の日の夜。『確かにして』と言われて二人きりで一回、さらに次の日の夜に皆の前で『心配させた分安心させよう』とそそのかされて一回、その後で、二人きりになってもう一回」

「……あなた、結構表情豊かになりましたね」

「そうかな?」


 自分ではわからない。表情と感情が変わったのかどうかは……。しかし、おそらく間違いないだろうこととして、以前の自分ならこんなことを口にはしなかっただろう、ということだ。

 これが治ったということなのか、あるいは、どこかしら、壊れたということなのかはわからないが。


 少なくとも、俺の左膝の上から手を引いて顔を隠そうとしたニコの手を右手で優しく包んで、表情を隠させないようにすることに喜びを感じ。その赤い頬に愛おしさを感じるようになったのは、良いことだろうと、思うことにする。


「ある程度、人間らしい情動をもってもらうことが望んだことではあるのですが……安心できる人格というのともちょっと違う気がしますねぇ」


 ゼセウスは呆れ、だろうか、ため息とともにそんな言葉を告げて。


「ですが、私個人としては信頼できます。良いでしょう、貴方がギルドの監査を受ける際にはこの街分のバックアップは負いましょう。白紙委任とは行きませんがそのあたりは追々詰めることにしましょう」

「……あ」


「えぇ、そういうことです。後は、貴方さえしっかりすれば。上手くいくのではないですかね」

 諌めるように言いながらも、その表情は柔らかい。


「う、ぁ」

「感極まるのは結構ですが、そういうのを取引相手には見せない方が良いと思いますよ」


 頬に触れられる。ニコの手。

 優しい手付きで撫でるようにされる。


――よく頑張ったねと、そんなふうに言われているような気がして。


 感情が溢れる前にコップを手にとった。


「乾杯ですね!」


 坊が言う。酒ではないが、昼間に飲むのだ。

 さやわかな薬湯のようなものの方が良いだろう。

 注ぎなおされたコップはまた、ぬくもりを取り戻す。



――ちん、とガラスが触れ合う音がした。


 口に入れた薬湯は先程までの爽やかな匂いとともに、ほんのりとしおみを感じたような気がした。

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