125、絆を紡ぐものであれば

「無償の愛?」

「無償の愛」


 がたたん、と坊が机に膝を打ったような音がした。机がはねて、床に落ちる。燭台が倒れた音はしなかったので、とりあえずは良いだろう。

 

 ニコは気にした様子もない、表情を至近にしたままで若干赤い頬のままで言葉をつなぐ。頬のあかさは、炎の灯か、自分の言葉の勢いに熱が上がっているのか、あるいはそれ以外の要因か。


 要因がわからなくてもわかるのは、彼女の頬が赤いことと、その赤い頬に心のくすぐったいところを触れられたような気がすること。


 伏しているこちらを覗き込んでいる彼女はそのままに、言葉を探して、


「親が子供に与えるような、家族が家族に与えるような、夫婦が互いに与えるような、そんな無償の愛」

「……家族の」


 確かに縁遠いし、信じているかと言われれば微妙なところだった。

 そういうものがあるのだろうとは思うけれど、虹の根本や猫の足音のようなものだ、とか。


「どうして、愛を信じられなければ捨てられるの?」


 思わず、素に近い声音で問うと、ニコは一瞬、虚を突かれたように眉を歪めそれからこちらを安心させようとするかのように微笑んだ。


「人に望む無償の愛と自分が向ける無償の愛は違うものだから。もっと簡単に、愛なんて大仰な言葉を使わずに言うなら……好きな人に好きだと言われるのは嬉しい。口に出さなくても、好きだと思われるのは嬉しい。そう思えれば、人間関係は円滑」


 つまり、加護無しはそうではないということだ。

 人間関係が円滑にならないなら……。


「愛するときは、愛してほしいと思う」


 ニコの言葉。一瞬というには長い時間目をつむって。

「私は、両親に愛されていた。そう思う。ふたりとも、もう、この世にはいないけど……」


 彼女の両親がもういないというのは、聞いていたが、その記憶まで口にしてくれたのは初めて……だろうか。


「薬師として旅をしていた両親だったから、小さなときから旅から旅の暮らしだった」

「うん」


「私はお父さんもお母さんも不思議なよくわからないことをして、でも、いろんな人にいっぱい感謝されて、旅を続けているのを近くで見てた」


 旅の薬師、ということは、病の治療で感謝されることも多かったのだろう。

 そして、子供に薬を作るところが理解できる作業として映るとは思えないし、それは彼女の幼い日の記憶のまま、口にしているのだろう。


 旅の様子をしばし語る。その間にも彼女の表情は豊かに動く。遠くを見るようなぼうとしたものになることもあれば、目の前のものを愛おしむような笑みを浮かべることもある、興奮に息をつくこともある。


 しかし、その表情が曇って……。


「でも、お母さんは私をおいていったどこかの街で病に侵され帰ってこなかった、お父さんは山の中で猪に襲われた時に私を守って殺された」


 ぽたり、と涙が落ちる。

 真上から覗き込んでいる彼女の涙が、俺の頬に落ちたのだ。

 彼女の表情は、曇ってはいても、感情に流されたような様子ではない。


 その表情がどういうものかは知っている。

 涙は彼女の感情が溢れたものだ、震える声も、熱くなった呼吸もそうだろう。

 だが、表情は、ただ、愛おしく思いながら、子供に物語を語り聞かせるような、


――そんな表情だ。

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