寄り添う風ー2


  再び訪れたカルツソッドの地は依然、荒廃としている。

 生き物の気配が無くなった大陸は滅びの時を待っているだけみたいだった。

  カルツソッドの住民は富裕層、貧困層関係なく、全ての住民がアルセアへ移住した。軍の管理下のもとシーツール村や首都の郊外で暮らしている。

  本来ならば富裕層地区であるドーム内にはアルセア国防軍から環境改善の為に研究者達が派遣され緑化計画が着手されるはずだった。

 だが、今はそれどころではないと全員アルセア本国に引き戻されている。


  有翼人が攻め込んでくる、か。処刑執行日での演説、有翼人の魔法による襲撃。

 まるで作り話でも見せられたかのような現実味の帯びない放送は誰もが受け入れ難かっただろう。けれど、全て紛れもない現実に起こった出来事だ。

 世界の終わりはまだ分からないけれど、有翼人という存在は認めなくてはならない。俺達は目を背くことなく脅威と相対しなくてはならない。

  そして脱走されたとされる犯罪者達が渦中の真っ只中にいる。中継放送を見た限り、佳祐や千沙ちゃん、古屋達まで関わっていた。彼らとは誰とも連絡は一切取れていない。

 だけど今もどこかで世界の為に、仲間を守る為に戦い続けている。そんな気がする。皆が目的に向かって歩んでいる。俺は…どうしたいんだろうな。



  カルツソッドの研究施設屋上にある魔導砲。機能を停止させられ、力の源である魔力マナを秘めた魔石は全て取り上げられた。あの時の脅威が嘘みたいに今じゃただの大きな鉄の塊だ。

  俺に力があれば。子供の驕った考えかもしれないが後悔が消えたりはしない。

 アルセアから持ってきた花を添え、救えたかもしれない命に哀悼の意を捧げる。

  人間一人のできることなど限られている。それでも、悔やまずにはいられない。

 魔導砲の第一射撃を止められればアルセアの被害はもっと抑えられた。

 感情に任せず慎重になれば、ドライは死を選ばなかったかもしれない。

 そんなたらればでしかない思考が頭を占める。

  ただ自由に生きたい。そんな誰もが願い、平等に与えられているはずの権利がこうも上手くいかない。生きるには何かに縛られ、何かの犠牲が必要になる。

  生きていくのは選択の連続だ。それも堪えたりや失うものの選択ばかりだ。

 けれど手放したものがあれば得たものがある筈だ。

  俺は、今何を手にしているだろう。

 家族からの信頼?自分の未来?安定した現在?

 いつも肝心なところで歯止めをかけてしまう。

 埋まらない。空っぽな自分。本当の俺はどこだろう。


「…何をしている」

  ふらっと現れた男は機械みたいに俺に問うた。

 燃えるような赤い髪は特徴的で印象に深く残る。

 カルツソッドの過酷な環境を生き抜き、戦い続けた人。

 飛山やイズミちゃんの大切な家族。

「レツ」

「俺を捕まえに来たのか?」

 警戒している気配がない。むしろ無気力で以前のような怖さをまるで感じない。

「違うよ、墓参りだ」

「アルセア人のお前がカルツソッドにか」

「…亡くなったのはアルセア人だけじゃない。カルツソッドの人達だって死にたくて戦ったわけじゃないだろ」

  誰だって死を望んで争いに臨む者なんていない。

 自分が生きる為に、誰かを生かす為に戦っている。

「俺は…生きて欲しかった」


  今も鮮明に焼き付いている、彼の最期の瞬間が。

 たしかにドライは敵だった。だけど俺にはどうしても悪には見えなくて。

 許されない行為をした相手なのに。彼に幸せになって欲しいとさえ思った。

 それなのに、俺は手に届く命を助けられなかった。惨い選択をさせてしまった。


「戦争は多くの命が散るものだ。戦う者は皆、死を覚悟している」

「分かってるさ。でも、納得したくないんだよ」

「半端な覚悟は死に直結する。今回生き延びられたのは奇跡だな」

「自分でもそう思う。今回、俺は多くの人に生かされただけだよ」

  カルツソッドで俺は何度も命をを失う危険を犯していた。自身の力の無さは自覚していた。俺は悠真みたいに機転を利かせて動けないし、佳祐のように誰かを守り切る実力はない。

 だから自分の命を代償にしてでも飛山や鴻、エルフの皆を助けるつもりでいた。

  しかし、誰かを助けるということは自分も生き続けなくてはならない。

 いかにそれが難しいか。弱い俺は結局誰かの助けがなくては守りたい人達も守れない。だからこそ、人に生きることを諦めて欲しくない。弱さは補い、皆で力を合わせて生きていきたい。


「レツはここで何してるんだ?」

  今のカルツソッドは蛻の殻に近い。第二次世界大戦後、カルツソッド人は国防軍の管理下でアルセアへ避難、療養している。

 まだ戦争の傷跡が癒えていないというのに解決していない最高司令官の不在、有翼人という脅威が浮上した今、カルツソッド本土の環境改善への着手は止まっており、富裕層ドーム内には誰も居ない。

 レツを縛り付けていた研究員達も慕っている御影博士もこの地にはいない。

 もう彼は自由の身の筈だ。

 敵対していた俺を前にしても危害を加えようとする様子はない。


「…さあ、俺は何をしているんだろうな」

 彼はまるで自分に問いかけるかのように呟いた。

「目的がないのか?」

「俺の生きる目的はもう果たした。あの戦いで命を落としてもよかったんだ」

「そんなこと言うなよ。生きたくても生きられなかった人も大勢いる」

「……そうだな。けど、俺はもう生き方を忘れてしまった」

  目的遂行の為に徹していた威圧もなくなり、今のレツは脆い人形みたいだった。

 俺には想像もできないような過酷な環境を生き、目的の為だけに戦い続けた彼の活力はここで途切れてしまうのか。


「家族を、恩人を助ける為だけに生きてきた。それが果たされた今。俺にはもう何も残っていない」

  駄目だ。このまま放っておいたら本当にレツは消えてしまう。

 過ちや理不尽の中、懸命に戦い続けた彼の終わりがここであってはならない。

  レツは生きている。生きているなら生きる権利が、生きる責任がある。

 それにこいつを待つ人達がいる。ここで終わらせたりしない。


「なら、俺と一緒に探そう」

「…え?」

「お前はもう充分誰かの為に生きた。だから今度は自分のしたい事の為に生きるんだよ」

「何もない」

  虚ろな瞳のまま考えもせずにすぐ答える。

 彼は生きる為に感情を切り捨てて生きてきたかもしれない。

 でも、家族を助けるという目的を見失わずにいられた。 

 それはレツの中に優しさや人間らしさが消えずにいたからだ。必ずもう一度幸せを望める。


「本当に何もないか?食べたいものとか誰かに会いたいとか。叶えたかった夢でも何でもいいんだよ。今すぐに生きる目的を見つけろなんて言わない。少しずつでいい、自分に正直になればいい」

「生きることに疲れた。これが今の正直な感情だ」

  長年独りで強い意思を保ち続けただけはある。頑固さは筋金入りだ。

 俺の説得で簡単に流されたりはしないか。

「…だったら!誰かの為に生き続けろ!」

  伏し目のレツには俺の言葉がまともに届いていない。

 悔しくて彼の両肩を掴み揺さぶる。

「自分の為に生きられないって言うなら誰かの為に生きろよ!お前が居なくなったら悲しむ奴が居るんだ!そいつらの為に生きろ!」

「俺が生きていようとそいつらの為にならない。俺は悲しむ価値もない人間だ。それに、悲しみはいつか乗り越えられる」

  レツと視線が合わない、独りきりみたいな顔してこちらの言うことを全て否定する気か。単純に腹が立ってきた。

 

「なら俺の為に生きろ!俺の前でくたばるなんて俺が許さない!絶対生かしてやる!」

  半ばヤケクソになって叫んだ言葉にレツは目を丸くして呆然とした。

 やがて俺の掴む肩が小刻みに震え始める。

「っふ…ふふふ、あはははは!」

  込み上げてきた笑いに耐え切れずレツは大きな声を出して笑った。

 こっちは真剣だってのに笑いやがって…でも、ちゃんと笑えるじゃないか。

 俺もレツに釣られて一緒に笑う。

「…お前は相当おかしな奴だ。自国に甚大な被害を及ぼした相手に情をかけるなんて。呆れるほどにお人好しだ」

「ああ。昔の自分が見たら馬鹿にするぐらいには俺も損する性格になったよ。生きてれば人は変わる。だからさ、一緒に生きようぜ」 

「……分かった。ひとまずお前の為に生きてみるよ、将吾」

  疲れ切っていた瞳に僅かに光が宿った。

 穏やかに微笑むレツは、きっと俺以上にお人好しだ。



  突如、強い揺れが襲い掛かる。建物が音を立てて震え、地響きの轟音は一瞬で恐怖を与える。

 立っているのがやっとなほどの振動は十数秒に続き、ゆるやかに収束していった。

「近頃カルツソッドでは地震が多い。もう大陸が限界なのかもしれない」

「限界?」

「ああ。緑の無い荒廃した大地、今も崩落を続ける鉱山跡地、今年の夏は雨が少なく酷暑の日が続いて乾燥が激しい。戦争後、俺はカルツソッドを歩き回ったが地割れしている土地がいくつか見受けられた。もう陸が形を保つのも厳しいように思える。近い将来にカルツソッドは大陸ごと崩壊するだろう」

  国が、大陸ごと消え失せてしまう。

 魔導砲は一瞬で地を抉ったが、その比にならない大きさで壊れようとしている。

 まるで想像もできない。

  かつてのカルツソッド人達が利益を優先し、自然の搾取を続け得た裕福な暮らしがひとつの大陸の命が引き換えか。

 いや、大陸だけじゃない、もっと多くの生命が失われた。 

 エルフと人間も。自然と動物も。どちらかが占め偏り、一方的な思考は必ず片方の消失を招く。

  どうして何かを悪と定義し、片方を犠牲にしてしか生きられないのだろうか。

 共に生きる術はあるはずなのに、生物はそちらを選べない。 


「もう、止められないのか」

  鉱石に恵まれた地質であったカルツソッド。昔は鉱石を使った武具や船の製造、宝石を使った細工の施された工芸などの鉱工業で活気づいていた。

 一時代の栄華は大陸の代償あってこそ、決められた末路なのだろう。

  それでも、カルツソッドも人が生活していた地。誰かの愛すべき故郷だ。

 帰る場所がなくなるのは辛い。

「俺達人間で再生は不可能だ。一人の力は無力だ」

「それはそうだけど…」

「だが、崩壊を食い止める術はあるかもしれない」

「本当か!?」

「確実ではない。望み薄な賭けみたいなものだ」

「賭けでも何でも、守る方法があるのに選択しないなんてあるかよ」

「将吾は本当に迷わず選択するな」

「考えるのが苦手なだけだよ」


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