ずっと会いたかったー2


  夜も更け、静かな施設内で音を立てないようにひっそりと進んで行く。

 様子だけ。姿だけ見たら戻る。そう言い聞かせて私は旭さんが居る部屋へと向かった。

  窓ガラス越しに覗けば旭さんはベッドに横たわり眠りについているようだった。私よりも重症な旭さんは満足に食事も取れず、点滴を使っていた。数々の線が身体を繋ぎ、傍らにある心電計が彼女の鼓動を知らせる。

  もともとボロボロな身体だったのに戦争に駆り出されフルパワーで戦った。

 精霊達の奇跡で戦争時の怪我は癒えたものの、内面の治癒にまでは至らない。

  私が…早くに気づいて、地下研究室から助け出せていたら。今、旭さんは笑っていられただろうか。どんなに悔やんだって過去は変わりはしない。分かってはいるけど考えずにはいられない。


「傍に行ってやらないのか」

  誰も居ないと思っていたのに。驚いて振り向けばそこには御影博士が立っていた。御影博士も旭さんに会いに来たのだろうか。

「様子を見に来ただけなので…私は帰ります、どうぞ」

  譲ったつもりなのだけど、御影博士の鋭い目は私を見下ろしたままだ。

 疲れも相まっているのか博士からはまるで人を突き刺すようなオーラが放たれているみたいだ。圧が重い。…どうしよう…怖い。

「お前の母親だろう」

  まるで直球を投げられるかのように御影博士の言葉は刺さる。低い声は真っすぐで重く私に届く。

「それは…そうですけど」

「嫌いなのか?」

「嫌いじゃありません!」

「なら会えばいい」

「それは…その…」

「何を躊躇っているんだ。親子のくせに似ていないな」

  どうしてあまり話したことのない相手にここまで言われなくてはならないんだ。

 でも自分がうじうじと悩んでいるのは事実なので言い返しも出来ない。


  すると御影博士は旭さんの居る部屋の扉を開けてしまう。

 浅い眠りだったのか扉の音で旭さんはゆっくりと瞼を上げる。

 どうしようと焦る私に反して御影博士は表情ひとつ変えない。

 旭さんの視線がこちらへと向く。 

「…千沙?」

 か細い声で名前を呼ばれてしまえば私は逃げ出せなくなってしまった。

「くだらない意地を張るな。話せる時に話さないと後悔する」

  御影博士はそう言い残すとその場を去ってしまった。

 博士だって、話せる時に話そうとしたのではないだろうか。

 彼の貴重な時間を私は奪ってしまった。


  意を決して旭さんの居る部屋へと足を踏み入れる。近くに寄れば旭さんは上体を起こして私を迎えた。

「…具合はどうですか」

「元気だよ」

  旭さんはずっとにこにこと笑っている。

 私は直視できない。気を使われているのかと思うと気が重い。

「あの、そんな無理して笑わなくてもいいんですよ」

「どうして無理になるの?私は嬉しくて笑ってるんだから」

「嬉しいんですか?」

「当たり前でしょう。娘が会いに来てくれたんだもの」

  私との対面をまだ喜んでくれるのか。

 胸が詰まってそれ以上言葉が出せなくなってしまう。


「…大きくなったね」

  旭さんの手がそっと頬に添えられる。それだけで私は泣き出してしまいそうになるけど、ぐっと堪える。

「もう私が傍に居なくても大丈夫だね。すっかり強くなってて驚いたよ」

「強くなんてないです…まだまだ憧れてる人のようになれていません」

「そうなの?目標が高いのね。誰に憧れてるの?」

「それは…その…」

「んー?誰?」

  本人を前にして声が上手く出ない。旭さんは無邪気な子供みたいに私の顔を覘き込んでくる。

「お母さんみたいに、なりたいの。ずっと…ずっとお母さんは私の憧れなの」

  堪らず目を閉じて咳込むみたいに答えてしまう。旭さんからの反応が返ってこない。恐る恐る目を開けると旭さんは硬直していた。固まるほど驚かせてしまったのだろうか。

  そう思った矢先、旭さんの瞳から涙が一粒零れた。どうしよう、泣かせるつもりなんてなかったのに!


「ご、ごめんなさい!急にこんなこと言われても困りますよね…」

「違うの、困ったわけじゃなくて…ただ、びっくりして…ごめんね」

 必死に謝ると旭さんは涙を拭ってまた微笑んでくれる。

「今でもそう思ってくれてるなんて思いもしなかったから…ありがとう」

  安心させようと私の頭を優しく撫でてくれる。我慢してたのに、今度は自分の目が潤み出すのが分かった。

 駄目だ。泣くな。堪えろ。そう思うのに視界が歪んでくる。

 そっと背中を擦られると限界だった。

「すっかりお姉さんになったのに。泣き虫さんのままだね」

 瞳いっぱいに溜まっていた涙はぼろぼろと零れ落ちてしまった。

「ごめ…んなさい」

「私のほうこそごめんね。本当に私は千沙を泣かせてばかり。いっぱい笑わせてあげたいのに、駄目な母親でごめんね」 

 もう声が満足に出なくて嗚咽となってしまう。精一杯首を振る。 


「今の私には千沙に与えてあげられるものはないかもしれない。だけど、我儘何だって聞いてあげられるよ」

「ほんと、に?」

「うん。もう隠すこともないしね。存分にどうぞ!」

  旭さんは自身の胸をとんと叩いてにこやかに微笑んだ。

 私の大好きなお母さんの笑顔。

「あの…あのね…私…ずっと」

  せっかく何でもいいと言ってくれているのに、小心者の私はすんなりと言葉にできない。

  大きく息を吸って、緊張でバクバクと高鳴る胸を必死に落ち着かせる。だけど感情を上手く制御できなくて、何度も息を吸ってしまう。それでも旭さんは私が話すまでじっと待ってくれている。整わない呼吸で一生懸命に口を動かす。


「ずっとお母さんに会いたかった」

  ようやく言葉に出来るとお母さんは私をぎゅっと抱きしめてくれる。

 遠慮なんて忘れて形振り構わずお母さんの腕を掴む。

 離れたくないと駄々をこねる子供みたいに。もうあんな思いは二度としたくない。

「私もずっと千沙に会いたかったよ」

  その言葉が聞けただけで、今まで感じたどんな辛い想いも流れていく気がした。

 捨てられてしまったのではないかと何度も涙を零した。

 もう二度と会えないのかと不安で眠れない夜が何度もあった。

  自分は受け入れらていると実感できたことで緊張が解されていく。私の涙を拭うようにお母さんの手が頬を包んだ。

「また会えて嬉しい。ありがとう、会いに来てくれて」

  自分の身勝手な行いを責められると思っていた。

 受け止めてもらえた。同じ気持ちでいてくれた。それがこんなにも嬉しいなんて。

  まともに話せなくなってしまった私は強くお母さんにしがみつく。

 抱き合って温もりを感じながら二人で枯れてしまうのではないかというほど泣いた。


  お母さんとの再会でようやく千沙が報われた。 

 私はこの瞬間の為に生きていた。そう思えるくらいに。

 ずっとずっと、この時を待っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る