天雷の咆哮ー4

  辺りが静まり返り闇夜が濃くなった頃、ヘスティアさんが一人の女性を連れて戻ってきた。 

 頬に描かれた特殊な紋様が印象的な女性はヘスティアさんに降ろされると静かに僕らを見回した。そして洞穴で横たわる天沢さんを見つけると真っすぐ歩いて行った。

「彼女は集落の巫女だそうよ。里で医療に携わっているのは彼女で多少でも癒しの術も使えるらしいわ」 

  ヘスティアさんが手短に説明してくれる。

 シエンちゃんも気配で眠気が覚めたのか起き上がり、皆で女性の背後から様子を窺う。

「全員視線を外して」

 心配で皆が見守る中、黙々と天沢さんの身体を診察していた女性から突然の指示に僕達は反応が遅れる。

「出来ないのならすぐ外へ出てください。脱がせますから」

 もたついた僕達に語気を強め退出を促した。慌てて洞穴の外へと向かう。


 数分してから女性は静かに僕達の元へとやって来た。

「熱は緩和させました。ですが彼女の熱はただの病気ではありません。残念ですが私には…いえ、町の医者に頼ろうとも完治させるすべはないでしょう」

「そんな!」

 断言する巫女は顔色一つ変えない。

「ですが、長老様なら彼女を助けるすべを存じているかもしれません」

「その長老様に会わせてください!僕らはその人に会いにここまで来たんです!」

 一縷の希望があるならば諦めはしない。必死に巫女へ食らいつく。

「本来なら面通りは里の者しか許されておりません…ですが」

 白銀の髪を揺らして巫女はヘスティアさんをじっと見た。

「翼持つ者が訪ねてきたとあらば、話は別でしょう」

  すると彼女は腰からおもむろに鏡を取り出した。

 料理を運ぶトレイ程の大きさで持ち歩くには少々大きいと思われる。

 鏡は宝物のように綺麗な宝飾が施されていた。


『光よ、汝の力を解き放ち、我を導き、彼の場所へ誘わん』

  焚火の火の光を受け輝きを増した鏡には別の場所が映し出されていた。

 間近できちんと見るのは初めてだったが、これが転移魔法なのだろう。

 魔法が使えるということは巫女と呼ばれた彼女もまたエルフなのだろうか。

「里へお連れします、どうぞ中へ」  

  クラウスさんが使った転移魔法では半ば強制的に飛ばされたので、自らの意志で飛び込む形は少々緊張があった。

 そんな僕にはお構いなく真っ先にシエンちゃんは飛び込んで行った。

 すると鏡に吸い込まれるように姿を消してしまう。

「勇太、千沙を抱えて」

  ヘスティアさんに促されてようやく僕は動き出す。

 呼吸に落ち着きが見られたが、尚も苦しそうな天沢さんを抱え鏡へと向かう。

  鏡に近づけば急に重力を手放してしまったかのように身体が宙を浮き、眩い光に包まれ一瞬意識が飛ぶ。そしてすぐに鏡に映し出されていた場所に足を着けていた。


  大きな滝が流れる水音が耳に届き、静まり返った小さな集落は少し肌寒かった。

 木製の家が数軒あり、目の前には一際大きな屋敷が佇んでいた。

「こちらへ」

  落ち着いて周囲を見る暇もなく巫女の女性に続き僕らは屋敷への階段を昇る。

 そっと扉が開かれると、屋敷の中は薄暗く火の燃えるバチバチという音が出迎えた。   

 扉の先はすぐに部屋で奥には人の大きさをゆうに超える大きな炎が燃え盛っていた。あんな大きな炎があるというのに室内は熱くなく心地良い、そして火が燃え広がる様子もない。

  炎は祀られているかのように祭壇の上でどっしりと構えているみたいだ。

 そんな炎の前に胡坐を組んで目を閉じているご老人が居た。

 瞑想でもしているのか、僕らが屋敷に踏み入れようと微動だにしない。

 巫女はご老人から数歩距離をとった位置で、拳と拳を合わせて頭を下げ礼をした。


「長老様、お連れしました」

  彼女の声でようやく長老様はゆっくりと目を開けた。

 鋭い瞳が僕らを見定めるかのように射抜いてくる。

「…あなたが竜の谷の長老様ですか?」

  小柄ながらも威圧感のある風格は彼の強さを物語っているかのようだった。

 僕は自分の声が震えていないか不安になる。

 まさかこんな形で目的の人物に相対するとは思いもしなかった。けれど怯んでなど居られない。

「いかにも」

「夜分遅く、突然の来訪をお許しください。仲間が原因不明の熱に侵されてしまったんです。彼女から長老様なら治すすべを知っているかもしれないと伺いました。どうか診ては頂けませんか」

  天沢さんは自分の力で立とうと動き出すが、やはり上手く力が入らないのか再び僕の腕に体重を預けた。

 懸命に長老様を見上げる。そんな彼女の様子を捉えながら、長老様は立ち上がると床を蹴り、身体を浮かせるとふわりと弧を描くように跳び僕らの前に着地した。

 薄っすらと開かれていた目が、さらに細くなり愁いの色を帯びる。

「魔石を体内に取り込んだな」

 天沢さんに触れた訳でも、事情を聞いてもいないのに彼は迷いなく言い放った。

「…はい」 

  聞き慣れない単語に戸惑い、心当たりのない内容に僕は驚いたが、天沢さん本人は自分の胸元に手を当てて答えた。

 巫女の女性が脱がせると言って確認したのは魔石のことだったのか。

「愚かなだな、それは決して人間を受け入れない。近いうちにお主は死ぬ」


  容赦なくはっきりと宣告した。

 長老様なら助けるすべを知っていると巫女から聞いていたのに。

 魔石を体内に取り込んでしまったせいで天沢さんは死んでしまう…?

「助かる方法はないのですか!?」

「ない。過ぎた力を求めた代償だ」

  希望を見出す為にここまで来たのに、何故絶望を言い渡されているんだ。

 僕はまだ、彼女に何一つ恩返しが出来ていないのに。

「私のことは…いい。それよりも…祠…聞いて」 

  訴えるように僕の腕を掴んだ天沢さんの手から力が抜け落ちる。

 そして意識を失い、ピクリとも動かなくなる。

「天沢さん!?しっかりして!」

「千沙!?大丈夫か!?」

「落ち着いてください。気を失っただけです」

  駆け寄った巫女は天沢さんを診ると即答する。  

 彼女の様子など気にも留めない長老様はヘスティアさんを見据える。

「聞こうか。翼持ちし者よ、そなたは何故ここまで来た」


  *


  胸が苦しくなって痛みで意識を取り戻す。

 多くの酸素を吸い込もうと呼吸を繰り返すが満足に息が整わない。

  見慣れぬ部屋に身体を起こそうとすると全身が軋むみたいに痛い。

 痛みで再び寝込むと冷たいタオルが私の頬を撫でる。

「まだ横になっていてください」

  ぼんやりとした記憶で彼女を憶えている。

 たしか竜の谷の巫女さんだっただろうか。

「みんなは?」

「皆さんは別室で休まれていますよ」

「そう、ですか」

「魔石は適合しなければ生命を奪い続け苦痛を伴います」

  カルツソッドの魔導砲による砲撃を抑え込もうと皆で抗っていた時に私が飲み込んだ魔石は心臓の近くに腫物のように出現していた。

 自らの存在を主張するかのようにずっとジリジリと痛みが胸を刺す。

 あの時は無我夢中で魔石を取り込むと判断してしまったが、無事で済むとは思っていなかった。お母さんの姿を見ればそれは分かり切っていたこと。

  反逆罪で軍に捉えられていた頃からずっと痛みはあったけれど、動けなくなるまでになるとは大きな誤算だった。

 足手まといになってしまうなら皆に同行しなければよかった。


「…どうしてこんな無茶を?」

 彼女は聞きづらそうに私に問う。魔石のことだろうか。

「守りたかったから…それだけです」

「代償に自身の身を滅ぼし、あとは死を待つだけだがな」

 傍らに立つ長老様は私を冷めた目で見下ろした。

「私が犠牲になろうとそれで大切な人が助かるなら後悔はありません」

「それは大層な美徳だな」

  呆れた様子で長老様は目を伏せた。

 もちろん自分の身を犠牲にせずとも相手を守れることが理想だ。

 でも、私にはそんな力もなければ器用に立ち回る知識もない。

 弱い私にはこれが精一杯だ。選択を誤ったとは思わない。  


 こんな私を哀れに思ったのか巫女さんは訴えるように長老様を見た。

「どうして彼女は助からないのですか!?魔石なら私にも埋め込まれています、けれど私は痛みも無く生きています」

「この小娘が取り込んだ魔石は純度の低い紛い物だからだ」

  心当たりがあった。

 胸元に姿を現したこの魔石は、元々はお母さんが乗っていたNWAに付属していた物。すなわち工藤さんが研究の末造り上げた人工物の魔石。だから紛い物なのだろう。

「でしたら取り外してしまえば」

「既に魔石と心臓が直結しておる。その魔石を壊すなり取り出そうとしようものなら心臓も共になると思え。魔石を取り込んだお主なら分かり切っておることだろう」


  死を覚悟したことがないわけではない。

 けれど、何度直面しようが恐れは消えたりしない。

「私はあとどのくらい生きられるでしょうか?」

 震える声で訊ねる。

「長くて一月だろうな。お前さんに少なからず耐性はあったのか生き延びておるがの、いつ絶命しても不思議ではない。魔石の力を求めた人間の愚かな末路は全身の結晶化だ。楽な最期を迎えられると思うなよ」

 長老様はそう言い残すと部屋を出て行ってしまった。


  充分だ。もとより多くの命を奪ってしまった私が長生きなんて罪深い。

 私はこの命を地上を守る為に使えれば満足。そう決意している筈なのに。

 恐怖に飲まれた身体の震えは止まらなかった。

  私の手を可憐な両手が包み込んだ。

 ぎゅっと包まれた温もりに震えが止まる。

「私の身体にも魔石が埋め込まれ五年の時が経ちました。ですが今もこうして生きております。生き長らえる方法が何かある筈です。どうか諦めないでください」

  巫女さんもまた懸命に生きてきた人なのだと。

 言動と瞳の力強さが彼女の強さを物語っていた。

 少しの安堵で気が緩んだのか私はまた意識を手放してしまう。


   *


  世界大戦時、リーシェイは人間に魔石を取り込み戦力の増強を試みた。

 魔石は簡単に産み出せるものではない。

 特殊な水晶にエルフが魔力を注ぎ込んで初めて出来上がる希少価値の高い鉱石である。

 水晶は鉱山で極稀に発掘されるか、エルフが大切に守り続けている魔力マナを蓄えた大きな水晶の欠片であることが多い。

 強力な魔力マナを秘めた物にするには膨大な魔力マナを持つ術者、あるいは長い時をかけてゆっくりと蓄えさせるかの二択だ。

  魔石は魔力マナに適した身体を持ち合わせるエルフにしか扱えない。

 ところがリーシェイは奴隷にしたエルフ達に魔石を作らせ、人型兵器にすべく下級兵士に魔石を埋め込む人体実験を次々に行った。

 多くの戦士が戦う前に命を落とし、魔石の拒絶反応が起こす苦痛を耐え抜いた僅かな適合者は戦場で力を酷使し、身体は結晶化、砕け散り遺体も残さずこの世を去って行った。

  戦争後、人間とエルフとの関係は根絶した。

 それにより魔石が人間の手に渡ることはなくなった。

 魔石の存在も限られた者のみが知るものとなったはずだが、まさか人工的に産み出そうという人間が居るとはな。やはり人とは欲深い。

 どれだけ時が経とうと、人間とは力を追い求めてしまう生き物なのだな。


  手が隠れる程の袖を捲り、己の手のひらを眺める。

 ゆっくりと蝕んでいた罪の象徴がもうすぐ指にまで到達しようとしていた。

 もう自分も長くはない。

  狭間を生き、継承を受け継ぎ守り続けた。

 けれど限界は訪れる。一生など存在し得ない。

  翼を持つ者が地上へ降り立った。今、世界は大きく動こうとしている。  

 未来へ罪を託す時がきた。

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