天雷の咆哮ー3
早朝、主人達に感謝の挨拶をして宿を出ると小さな体が隠れてしまうほどに大きなリュックを背負ったシエンちゃんが待ち構えていた。
彼女はリーフェン学園の1年生で体育祭のデジタルフロンティアで活躍していたのも記憶に新しい。僕らを見送りに来てくれていたリュイシンさんが目を見開き驚く。
「シエン!?何故ここに」
「竜の谷行くんだろ?シエンも一緒に行く!千沙達案内する!」
「何を言っているのですか。あなたには授業が…」
「リュイシンも昨日サボった。だからシエンを止められない!」
「駄目です。皆さんのご迷惑になります」
「ならない!シエン戦える!」
「戦力を問題視しているのではありません。皆さんは遊びに行くのではありませんよ」
「シエンだって遊びに行くわけじゃない!」
「それでも、学生であるあなたにはあなたの為すべきことがあります。それは学ぶ事ことでしょう」
「勉強嫌い!」
「好みで決めてはなりません。私と一緒に学園へ戻りましょう」
「嫌!シエンも行く!」
頑なに反論し続けるシエンちゃん。リュイシンさんの説得に頷きそうにない。
「どうしてシエンちゃんは私達と一緒に行きたいの?」
矢継ぎ早にリュイシンさんを言い負かしていたシエンちゃんが天沢さんの問いでピタリと止まってしまう。
「フェイ居ないと静か。ご飯も美味しくない」
ぼそぼそと呟くシエンちゃん。純粋に寂しかったのかと思うと彼女の我儘を無下に扱えない。
「あいつシエンに黙って居なくなった!お別れする時はちゃんと挨拶するのが礼儀!注意する!」
「……フェイ君に会わせてあげるまで。駄目かな?」
二人の無垢な瞳に見上げられ言葉に詰まる。
僕らはあくまで追われている身だ。いつ誰に襲われるか分からない。
無暗に危険な旅にシエンちゃんを同行させたくはないが、シエンちゃんの心情を思えばフェイ君に会わせてあげたい。
「私はシエンが戦力になるなら構わないわ。彼女も覚悟を持って同行を望んでいるのだろうし」
ちらりとヘスティアさんを見れば穏やかに笑っていた。
そりゃこんな寂しそうなシエンちゃんを見て心打たれない人はいないか。
実際シエンちゃんは僕よりも強い。戦力が増えるのは心強い。
「分かった、一緒に行こう」
僕の言葉にシエンちゃんと天沢さんは手を繋いで喜んでいた。
本当彼女は人の喜びをそれ以上に喜べる人だ。
流されやすいとも言えるが、僕は素直に彼女のそういう所が好きだ。
「私まで居なくなると変に嗅ぎ回られる恐れがあるので…すみません、シエンのこと宜しくお願いします」
*
リュイシンさんと別れ、元気いっぱいに先導するシエンちゃんに付いて行き竜の谷を覆うように広がる竹林まで辿り着いた。
人の手が入っていない竹林は生い茂っており遠くは見渡せなかった。永延と竹が続き、目印らしい物もないので土地勘がなければ容易に迷子になりそうだ。
リーフェンの学生になるまでは竹林にはよく遊びに来ていたと言っていたシエンちゃんは谷に辿り着くまでの道程には自信があるようだった。
自分の庭を歩くみたいに軽快に進んで行くシエンちゃんの行く先に白黒模様の巨体が現れる。特徴的な色合いに柔らかそうな毛を生やしている大きな熊を本で見たことがある。のそりとこちらに振り向く姿は可愛らしかった。
「わー大熊猫だ!僕初めて見たよ」
「私も!可愛いねー」
「二人とも何してる、構えろ」
古屋君と私は異国の動物を直に見れて感動しているとシエンちゃんは戦闘態勢だ。改めて大熊猫を見ると低い唸り声を上げていた。こちらに狙いを定めた大熊猫は爪を立て突進してきた。
シエンちゃんは慣れた様子で自分の身体の三倍近く大きな肉体の大熊猫の懐に素早く入り込み、顎に一発拳を食らわせ怯ませると宙に飛び上がりパンダの頭上を制す。
そして脳天に強い蹴りを浴びせ気絶させた。大熊猫は確かな重量ある音を立てて倒れ込んだ。
「大熊猫ってこんなに凶暴なの!?」
古屋君が堪らず大きな声を上げた。
「ここの竹林に居る動物はみんなこんなだぞ。知らなかったのか?」
「みんなってことは他の動物も?」
「そうだなー熊も狼も鷹もよく喧嘩してるな。強い者が絶対なのはここも一緒だな!」
シエンちゃんは愉快そうに言ってのけるがアルセアではここまで獰猛な動物はそうお目にかからない。別れ際に「道中お気をつけて」と付け加えたリュイシンさんの言葉を真に理解した瞬間だった。
「まだまだ地上は知らないことばかりね」
有翼人であるヘスティアさんも凶暴な動物を目にするのは初めてのようで目をぱちくりさせていた。
獰猛な動物達と何度か対峙し、無差別訓練を受けているような感覚で竹林を抜けると今度は高い崖に行く手を阻まれる。
上空から見た際、この崖は海まで続いており車が通れない程の細い道だけが竜の谷へと繋がる道程になっていた。
草木が一気に減り、生き物にとって恵まれていない環境だというのが一目で分かる。人目を阻んで生活する竜の民が住家とするにはうってつけの場所と言えるのだろう。
上り切った太陽が焼ける様な熱さで照りつけ頭がクラクラとする。
でもそれだけじゃない。視界が歪み、身体が上手く動かせない。
私、体調崩しちゃったのかな。こんなところで皆に迷惑をかけられない。
前を進む皆に続いて一歩踏み出したつもりがバランスを崩して倒れ込んでしまう。
「千沙!?」
茹だる様な高熱に襲われ呼吸すら苦しくなる。胸元が刃物が刺さるみたいに痛い。
前触れもなく身体が蝕まれる。時折似た症状はあったけど今回のは強烈だ。
自分の身体なのに思う通りに動けない。
「酷い熱だ…早く休ませてあげないと、竜の谷はまだ遠いの?」
「ここから崖を歩いて行く。まだまだ掛かるぞ」
「じゃあ引き返そう。お医者さんに診てもらわなきゃ」
そんなの駄目。私一人のせいで貴重な時間を無駄には出来ない。
世界の終焉は待ってくれない。
私の額に触れる古屋君の手首を掴む。
「駄目…時間が勿体ない…私を置いて先に進んで」
「できない」
「こんなことで足止めを食ってる時間は…」
「仲間の体調は"こんなこと"じゃない!すぐ一人で背負い込まないで、もっと自分を大切にして!」
古屋君の大きな声に皆驚いたのか場が静まり返る。
私も怒鳴られるとは思わなくて思考が停止してしまった。
「あ、ごめん。大きな声出して…」
「勇太も怒るんだな」
シエンちゃんは意外そうに古屋君を見て笑った。
「怒ってる訳じゃ…と、とにかく。天沢さんは少し休んでて。僕らで対策を考えるから」
いつもの少し遠慮がちな笑顔に安心してしまい私はそこで意識を手放してしまう。
*
最初、ヘスティアさんが天沢さんを抱えて飛んで行くことを考えたのだけど、ヘスティアさんが天沢さんに触れようとすると電流が走るみたいにパチパチと光に阻まれた。ビリビリと手に光が走り、まるで拒絶されているみたいだ。
けれど僕やシエンちゃんが彼女に触れても何も起きなかった。
原因は分からなかったが、考えて分からないことに時間を割いている時でもない。
「飛んで道程を確認して来るわ」
ヘスティアさんは空へと飛び立ち、谷の様子を見てきてくれた。
ここから先は整備されていない足場の悪い道を登り続け、ようやく頂上に辿り着けば今度は崖下に底が見えない暗闇が広がっていたそうだ。
大きな穴は落ちてしまえば生きて助かる見込みはないだろう。
谷の反対側には穴に向かって滝が流れており、その中腹あたりに小さな集落が視認できた。そこが竜の谷住む集落に違いない。
上空から徒歩での最短ルートを思案し、まずは崖の頂上まで登る、そこから壁伝いに険しく細い道のりを歩いて行く。落下に気を付けながらとなると速度も落ちる。
おまけに竹林を抜けた現段階で日は傾いている。夜に歩くのは危険とされる。
となれば休憩を挟み、僕らが居る位置から集落までは時間にして一日は要するだろう。
「天沢さんを抱えてあの猛獣達を切り抜けるのは危ない。だったら竜の谷を目指そう。僕が天沢さんを背負うから二人は先導を頼むよ」
「勇太、大丈夫か?」
大熊猫ほどの巨大な猛獣はいなかったにせよ、食料に飢え敵意を向けてくる鳥類と狼が何度か襲い掛かって来た。鳥をヘスティアさんが魔法で追い払い、シエンちゃんが持ち前の武術で狼を撃退して行った。
僕は天沢さんを背負って登っただけだ。二人のほうが気を張っていただろうし疲れた筈だ。だけど、頂上に着いた時点で息を切らし汗をかいていたのは僕だけだった。やっぱり情けない。
倒れ込みたいくらいだったが、一息ついている暇はない。
既に日も沈み、辺りは暗い。急いで野営の支度をしなくては。
荷物を引き受けてくれたシエンちゃんはお腹を空かせたのか真っ先に食物を取り出していた。
僕は近くの洞穴に天沢さんを寝かせ、ヘスティアさんに洞穴の出口付近に焚火を作ってもらう。
出来るだけ身軽にするべく、野営の道具は必要最低限にしていた。
野宿を覚悟をしていたから雨風を凌げる洞穴があったのは幸いであった。
焚火を囲んで各々座るとシエンちゃんは食物を広げ、いくつか僕らに分け与えてくれる。シエンちゃんの荷物はずいぶんと大きいなと思ってはいたが、なんと殆どが食物で次々とたいらげていき、リュックはみるみる萎んでいった。
その様子にヘスティアさんは「不思議ね。シエンの小さな身体のどこにそんな入るのかしら」と彼女を見ていた。
天沢さんの状態は依然回復しない、常に高熱でうなされている。
早くお医者さんに診てもらわなければ。
「先に集落へ行ってみるわ」
僕らの食事する姿を見届けるとヘスティアさんは立ち上がった。
「医者が居ればここまで連れて来る」
そう言い残してヘスティアさんは再び飛び立ち、闇へと紛れてしまった。
少しの間でも休むといい。そうシエンちゃんに勧めれば満腹感から眠気が生じていた彼女は素直に寝息を立てた。
焚火の火をぼんやり眺め、僕は随分と遠くへ来てしまった気持ちになった。
今自分は異国の地に居り、異国の人と共に行動し、有翼人なんて神様みたいな人と世界を守ろうと動いている。
信じられない。そんなものは僕みたいな庶民には最も縁遠いお話の筈だった。
アルフィード学園に入学するまでは、いや入学してからだってこんなことになるなんて想像しなかった。
飛行士になる夢を追いかけてアルフィードにやって来た。
軍人として鍛えるからには故郷を、家族を、友達を守りたかっただけだったのに。
守るなんて大それたことは無理でも、少しでも力になれれば。そんな気持ちだった。
けれど、現実はどんどん僕の想像を追い抜いた。
凄い人に囲まれていき、烏滸がましくも守りたい以上に、その人達の隣に立てる人間でありたいと思ってしまっている。
本当何が起こるかなんて、僕のちっぽけな想像を簡単に超えてしまう。
理想は現実に追いついてはくれないのに、事態はどんどん変わっていく。
僕はただ現実に翻弄されているだけなのだろうか。
それでも僕は決めた、どんな現実が訪れても逃げ出すことだけはしない。
これが力が弱く、凡庸な僕のたった一つのプライドだ。
天沢さんはよく困難に巻き込まれる。彼女の生まれ持った宿命なのだろうか。
それなのに彼女は自分のことよりも他人を優先する。
自分が苦しくて辛い立場になろうとも他人を守ろうとする。彼女の優しさであり弱点である。
自分に対して自信がなく、自分を無下に扱う。
どんなに強い武力を持ち合わせようと傲慢にならず謙虚。
けれどそれは脆さに直結していた。
だから僕は絶対彼女を見捨てない。
優しくて臆病な彼女は決断に迷いを抱えがちだ。
僕は彼女の決意や悩みを正しく理解し背を押してあげられる。
そんな友達でありたいんだ。
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