水沫の願いを掬い上げるー1

  突如現れた転移魔法により私達はティオールの遺跡前に飛ばされた。

 私達が地に足を着けると足元に薄く張っていた水面が弾けて消える。水面は転移魔法の為に魔法で作られていて役目を終えて消えたのだろう。これだけ大人数を一度に移動させるには鏡の類では足りなかったのかもしれない。

  見覚えのある草が茂る石畳や石柱にほんの一月前にここに訪れたことが懐かしく思える。あの時はまだ戦争が起こるなんて想像もしていなかった。


  私達を出迎える形でクラウスさん、リリアちゃん、レナスさんが待っていた。

 クラウスさんの片手に握られる長杖の先端にある水晶の輝きがゆっくりと消えていく。どうやら転移魔法の術は彼が発動させたようだ。

「助かりました。的確なタイミングです」

「現場の状況は見ていたからな」

  リリアちゃんは私の姿を見つけると駆け寄り抱き着いてきた。必死に私の服を掴む手が震えている。私はまた彼女を不安な気持ちにさせてしまった。申し訳なさと安心させたい思いを込めて頭を優しく撫でる。

 少し見ない間に年頃の女の子ほどに成長を遂げた彼女に驚いたけど、やはり一月前に出会った少女に違いない。私の肩に顔を埋め、存在を確かめるとそっと離れた。

  月舘先輩とクラウスさんのやりとりを聞く限り、転移魔法は偶然起きたのではなく意図して使用されたということになる。


  戦後、ティオールの里の人々は焼け地となった里に戻り、緑の再生に努めていると聞いた。そして人間への不信感をより募らせているとも。そんな彼らが私達を助ける様なことをした上に、里の敷地内に招き入れるなんて。

  するとクラウスさん、リリアちゃん、レナスさん。月舘先輩も膝を着き頭を下げた。四人は揃ってヘスティアさんを向いている。

「お待ちしておりました。天空より降り立ちし者よ」

  代表してレナスさんが言葉を紡ぐ。ヘスティアさんは思い当たる節がないのか困惑した表情を浮かべている。

「自らの意志で地上に降り立ち、調和を願う有翼人を迎え入れるようティオールの者達は古より言い伝えられております」

「予言でもされていたというの?」

「いいえ。予言ではなく、願いです。…もっとも私はこの日が訪れることなどないと思っていましたが」

 自傷するかのように笑うレナスさんの顔は初めて見た時の険しさは薄れ柔らかく見えた。

「奥の祭壇にてあなたをお待ちの方がいらっしゃいます」

  そう言って手を指した先は祠がある洞窟だった。以前訪れた時はレナスさん以外に人影は見当たらなかったけれど。

「分かったわ。でもその前に、あなた方と未来の話をしたい」


  ヘスティアさんは私達に向き直った。転移魔法で飛ばされて来た私達は皆が疲弊しきった顔をしている。この状況で自分自身の"これから"を上手く思い描けている人はいるだろうか。少なくても私は自分が何をすべきで、何が正しいかなんて判断できそうにない。

  胸元がチクリと痛んだ。存在を主張してきた異物が私の身体と反発している。

 この痛みすら私はどうしたいか分からない。痛みを抱えたままいるべきなのか、治して痛みから解放されたいのか。

  私はあのまま処刑されてもいいとすら思っていた。

 二度の戦争で多くを奪い、破壊してしまった。裁かれて当然だ。

 罪に向き合い背負うことが辛い。所詮は楽になることが過ってしまう弱い人間だ。

  だが、こうして生き長らえてしまった。

 突然現れ自らを有翼人だと名乗ったヘスティアさん。彼女の言葉を嘘だとは思わない。何より古屋君が彼女を信頼している様子だ。ならば疑う余地はない。

 だけど、まだ理解が追いついていない私は何かを考えるまでに至れなかった。

  そんな私なんて置いてヘスティアさんを中心に今後の話が進んで行く。


「あなたは魔導砲の発明者だと聞いたわ」

「…ああ、そうだが」

  初めに向けられた視線に御影博士は歯切れ悪く答えた。

 アルセアの地を抉り、多くを破壊した兵器。彼の中にも罪悪感があるのだろうか。

「最悪の事態を想定して今度は兵器ではなく護る物を創り出して欲しい」

「護る物?」

「そう、強大な魔法にも耐えうる防壁と呼べる代物を、です」

  上からでも下からでもなく、ヘスティアさんは真っすぐな言葉を並べていく。

 彼女はあくまで私達と対等であろうとしてくれる。

 けれど真っすぐさは心を刺す。御影博士の眉間が険しくなる。

「簡単に言うが世界のリセットとやらが行われる僅か一月後までに完成させろというのだろ。無理だ。資金や人材、何より時間が足りない」

「あなたは天才科学者なのでしょう?」

 疑いもなく真摯な瞳は彼を見据えている。

「たかが人間が神を越えられるわけないだろう」

「越える必要はないわ、凌げればいいのだから」

「お前は地上に関する知識が薄過ぎる。有翼人の常識と人間の常識が同一だと思うな」

「試してもいないのに不可能だと言い切らないで。何もしなければただ死を待つだけよ」

「破壊の一旦を担った奴が、今更人を救えるか…」

  私が想像もできないような苦悩を抱えて生きてきたのだと、努めて淡白な言葉遣いをする博士に胸が締め付けられる。こちらが泣き出してしまいたくなった。


「資金の件ですが、少なからず当てはありますよ」

 ヘスティアさんと御影博士が言い合う中、怯まずいつもの笑顔で麻子さんは穏やかに告げる。

「こんな罪人集団にどこが支援してくれるというんだ」

「南条家当主は全面的に協力するとおっしゃっています」

 麻子さんが口にした名に御影博士が驚いた様子で怯む。

「旺史郎が…?」

「ええ、世界の一大事、それ以上に大事な親友を助けるのに拒む理由はないと」

「…大馬鹿だな、あいつは」

 口では悪く言っているのに御影さんはどこか嬉しそうに見えた。

「それにツテはまだありますよ、ね?悠真君」

  流れるように麻子さんは話を続けた。急に話題を振られた悠真君は目を丸くして驚いたが、力なく笑った。

「随分信用してくれるね、麻子は。残念だけど現時点で俺は罪人だし、父親である前最高司令官は戦争を引き起こした張本人として指名手配犯で世界中の敵だよ?他者からの信頼は地の底だよ」

  自信も余裕もない悠真君の姿を初めて見た。それだけ彼も失ったものが大きいということだ。

  戦争は本当に多くを奪う。地位、富、住家、誇り、自然、心、命。

 守りたいものが失われていき、これだけ深い傷を負うのに。どうして戦争は起きてしまうのだろう。

「神出鬼没な生徒会長の真価が発揮される時は今ではありませんか。何の為に力を蓄えていらっしゃったのですか。アルセアの未来を守る為ですよね。鳥羽悠一を止めるのはあなたの計画の途中に過ぎない。あなたのお母様のような被害者を出さない国を作り上げるのがあなたの夢であり目標でしょう。だから他国とも振興関係を築き、鳥羽悠一を止めようとした」

「…見事に失敗に終わったけどね」

  自傷して笑う悠真君。そんな弱気の彼を叱咤する麻子さん。彼女の瞳は力強い。

 いつも穏やかな麻子さんが少し怒っているようにすら見える。

「まだ終わっていません。あなたの理想が潰えるのはアルセアという国がなくなるか世界が消え去る時のどちらかです。アルセア国の、民の笑顔を守るのでしょう、しっかりなさってください!」

  暗く重い空気を麻子さんが締めてくれている。

 諦めや混乱、不安を抱える私みたいな人達もいればヘスティアさんや麻子さんのように希望を捨てていない人も居る。明日を信じ、未来を掴み取ろうとする強い意思を持ち続けている。


  悠真君は深呼吸して頭を掻きむしると目に光が灯った。

「分かってるさ。バルドザックとリーフェン、パルメキアにツテはある。今も俺を信頼してくれていればの話だけど」

「そんな弱気では悠真君を信じアレスで待つ皆さんにどやされますわよ」

 少し苦笑した悠真君だったけど、勝気な表情を取り戻した。

「そういうわけなので。財源や人材は俺達が何とかしますよ、御影博士」

  とても歳がひとつしか違わない人とは思えない頼もしさだ。

 御影博士は深くため息を吐くと、覚悟を決めたのか真面目な顔つきになった。

「ヘスティア、魔法や有翼人について正確な情報が知りたい。お前の知り得る知識を全て話せ」

「ええ、もちろん」

 御影博士の決意にヘスティアさんは嬉しそうな笑みを浮かべ頷いた。

  固く軋んでいた空気に希望の色が広がっていく。人の心はこうして通っていく。

 心に種族の違いなんて垣根はなく、私達は繋がっていける。


「魔法防護の製作指揮は御影に頼むわ。悠真、麻子。それに美奈子と昌弥。あなた方に開発の手助けを託したい」

「私も、ですか?」

 指名された美奈子さんは掠れた声で驚いていた。

「不服かしら?」

「いえ、そういうわけでは」

「あなたも博士と呼ばれているのならば知識は並の人よりあるのでしょう?それにあなたの演説には感銘を受けたわ。頼りにしている」

「ありがとうございます…ですが、彼は…」

  美奈子さんは不安そうに工藤さんを見た。

 有翼人計画として飛行鎧を兵器化した工藤さんが進んで協力してくれるとは考えにくい。さらに工藤さんは御影博士との関係が良くない。二人が協力する姿など想像できないのだろう。

「昌弥」

 輪の端で居心地悪そうに立っていた工藤さんの前にヘスティアさんは歩み寄った。

「私は伝え聞いた大まかな情報でしかあなた方を知らない。あなた方の関係性まで正しい理解に至れてはいない。配慮が足りていないことは自覚している、それでもあなたは優秀な科学者だと聞いた。協力してはもらえないかしら」

「…あいつは天才で俺は優秀、ね」

  ぽそりと呟いた工藤さん。

 彼の中で御影博士との比較はもう一生消せないのだろう。

「僕はもう世界になんて興味ない。終わるなら終わればいいさ。もともと有翼人計画だって上手く行けば人間を根絶やしにする未来だったんだ。全て失くした僕から言わせればこんな世界守る価値もない」

 吐き捨てるように言い放った工藤さんだったがヘスティアさんは顔色一つ変えない。

「ならどうしたら価値を見出せる?生まれた時から何にも価値を感じていなかった訳ではないでしょう。あなたが生きたいと思える何かを私から出せるなら出すわ」

「じゃあ君を研究させてよ。そうしたら今度こそ完璧な有翼人を創り出せるかもしれない」

「あなたまだそんなことを――!」

「構わないわ」

 躊躇いない要求に美奈子さんは食って掛かったがヘスティアさんはあっさりと即答した。

「昌弥が本当にそれを望むならば世界を守り抜いた後にいくらでも協力するわ。だけど、私にはそう見えない。今のあなたは臆病で寂しそう、求めている物はもっと別のものじゃないかしら。違う?」

  ヘスティアさんの言葉に工藤博士はそれ以上何も答えなかった。

 その様子にヘスティアさんは怒るも慰めもせず困った子供でも見るかのようだった。


「待たせたわね。それじゃあ行きましょうか、私を待つという人のもとに」

 遠巻きに私達の話を聞いていたクラウスさんは深く頭を下げ恭しく挨拶をする。

「先日、先代のレナス様より泉の守り人の任を任されたクラウスと申します。案内は私が致しましょう」


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