孤独な博士の記憶ー4


  旭に連れられて辿り着いた定食屋のテーブル席にはパソコンを広げて作業をしている男が居た。

「いっちゃん、お待たせ!」

「ああ」

  男は俺達の姿を目視するとパソコンを片付け始めた。

 旭が道すがら紹介したい人が居ると言っていたのはこの男なのだろう。

「私の友達で月舘樹。学園の頃からの同期で今アルフィード学園の保険医をしているんだよ。で、こっちが御影千彰君。紹介するまでもなく軍内じゃ有名な少年博士だから分かるよね」

「初めまして」

「…どうも」

  旭と同い年なのか疑いたくなる程、落ち着きがある男だった。と言うよりも旭が年相応ではないのだが。

 愛想などという物を出さない俺が言うのもなんだが、素っ気無い態度で能天気な旭と友達付き合いが成立するとは思えなかった。


  紹介もそこそこ、メニュー表を広げ楽しそうに一通り眺めると旭は店員に向かって呪文でも唱えるように数々の料理を注文していく。

 もはや最初に何を注文していたか覚えていない。店員泣かせな奴だ。

「そんなに食べられるのか?」

「うん、余裕だよ。二人は決まった?」

 地下研究室では共に軽食を取る事もあったが、旭がここまで暴食だとは知らなかった。

「A定食でいい」

「…同じので」

  メニュー表を手渡されたものの選ぶ気力も湧かなかった。

 月舘という男はメニュー表を見ないで注文を決めていたので来慣れた店なのだろう。

「それだけでいいの?今日は私が驕るよ」

「充分だ」

「いっちゃんは相変わらず少食だなー」

「標準値だ。天沢の基準で語るな」

「はーい。千彰君も遠慮しなくていいんだよ?」

「いつ俺がお前に遠慮した」

「あはは、したことないねー」

  俺がどんな悪態をつこうと旭は機嫌を損ねない。

 一年共に開発をした慣れか、それとも腹を立てる事も面倒になったか。旭はずっと笑顔だ。

 しかし先ほどからの二人の会話を聞く限り、旭自身が相手の言葉遣いや態度をあまり気にしない傾向にあると言ったほうが正しいかもしれない。


「千彰君まともにご飯食べてないでしょ?」

「どうでもいいだろ」

「よくないよ!育ち盛りがこんなに細くてお姉さんは心配だよ。研究してる時も頻繁に体調崩してたし」

 体調を崩すのは自分の生まれつきからの症状なのであまり気には留めていなかったのだが、健康体の旭にすれば虚弱にしか見えないのだろう。

「天沢の話を聞く限り君は食事にあまり関心が無さそうだが、若い時から不摂生を続けるとせっかくの成長期を棒に振るぞ」

「別に食べていない訳ではない、平気だろ」

「成長期は身体を作る大切な時期だ。毎食バランスよく栄養分を摂取することに意味がある」

「そうそう、ご飯5膳はおかわりしないと!」

「それは例外だ」

「えー弟はそれくらい食べたよ、調子いいと7膳!」

  何だその桁は。おそらく米だけではなくおかずがある上でのその量だ。

 恐ろしくてカロリーなど計算したくもない。

「大食い姉弟は見本にならない。話がそれるから少し黙ってろ」

「分かりましたー」

 咎められた旭は悪戯がバレた子供みたいに軽く肩を竦めた。

「健康管理において食事は外せない。規則正しく生活すれば体調不良を引き起こす要因も減らせる。君は頭が良いのだから栄養に対する知識も人よりはあるだろう。少しずつでいい、まずは食べる品目を増やす位はしてもいいんじゃないか」

  さすがは学園で保険医を務める人間だ。俺は諭されているのだろう。

 しかし研究や開発を続けるのであれば規則正しい生活は到底不可能だ。

 まあ体調不良が厄介なのは事実だ。少し健康に意識を向けるのは悪くないとは思う。

「それに…身長が低いまま成長を終えたくないだろう?」

  身長どころか自分の肉体にさほど興味を持ったことなどない。

 脳や手足が不便なく動くのであれば何も問題は無いと思っていたからだ。

 それに身長など放っておけば伸びる物だと考えている。

  しかし月舘の視線が俺からすっと隣に座る旭を見た。

 現在俺の身長は旭の肩位だ。それは単純に大人と子供の体格差だと思えたし、気にも留めたことがない。

  だが、仮にこれで自分の成長が止まったら?俺は一生旭に見下ろされるのか。

 横目で旭を見ると視線が合った。こいつを見上げる状態に初めて危機感を覚えた。

「私は今のままの千彰君でもいいと思うよ。愛想が無い分、身長くらい可愛げないとねー?」

  にやにやと笑う旭は確実に皮肉の意味を込めて言っている。こんな奴に身長とはいえ負けるのは悔しい。

 間もなく注文した料理がテーブルから溢れんばかりに次々と運ばれてきた。


「……食えばいいんだろ」

  久しぶりのまともな温かい食事に黙々と手を付ける。

 生温かい目で二人に見守られるのは完全に子供扱いをされていて居心地が悪かったが、これ以上同じ仕打ちを受けない為にも自身の成長にもきちんと目を向けようと決意した。

 二人は「いただきます」と口にしてから食事を始めた。

「やっぱりいっちゃんは人をその気にさせるの上手だなー」

「大概の男は女より低い身長を良しとはしないんだよ」

「ふーん。別に身長が低くても個性だとは思うけど」

「外見、技能、経歴、地位、給与。人間誰しも何かしら自尊心は持ち合わせている。男はそれが顕著なだけだ」

「それを男のいっちゃんが言うんだ」

「褒め讃えて欲しいなどとは思わないが見下されるのは気分を害するからな」

「負けず嫌いー」

「お前も模擬試合で負けるのは嫌だろうが」

「もちろん!むしろ私はそれしか誇れないからね!」

「無茶はほどほどにしとけよ、もう誰もお前をフォローしてくれる奴いないだろ」

「学生の時ほどやんちゃしてませんから。でも今なら怪我しても月舘先生が診てくれるから安心だね」

「不用意な怪我は診ない」

「えー先生のケチ」

  本当に不思議だ。

 性格も好みも真逆そうな二人だが、理解できる点があるだけでこうも友好関係が築けるものなのか。

 人との距離感がどうにも分からない。俺は他人を有益かどうかでしか判断したことがない。

 けれど、二人は利益抜きの関係だと言えるだろう。心を許していると表現するのが正しいのか。

 そんな関係を誰かと築けるようになれば、感情を、生きる意味を知る事ができるだろうか。


「次の開発は何か考えていたりするのか?」

  二人が話に花を咲かせていたので途中から考え事に没頭してしまっていた。

 急に話題を振られて固まってしまう。

 W3Aが完成してからは未読の文献や資料を読んでいたくらいで、大した日々を過ごしていない。

 次の目標など当然見つかっていなかった。しかし、ふと先ほどの少女の姿が脳裏に浮かぶ。

「……W3Aの新型を作りたい」

  自分でも驚いたが、自然とそんな言葉を呟いていた。

 俺の言葉に旭の顔色が変わる。俺が兵器を産み出したいと考えていると誤解したからだろう。

  違う。俺は破壊や脅威になる物に興味はない。

 厳しい現実と戦い続ける人間の手助けがしたい。

 物理の弱さは工夫や心で打ち勝てると証明したい。

「今のW3Aは脳波のみで飛行操縦を可能にしている。それを肉体運動にも応用したい。手足が不自由な人、病弱な人…どんな人間でも自分の意思さえあれば自由に、存分に動き回れる機械を創り出したい」

  これが自分の意志で作りたいと思えた初めての開発だった。

 俺は圧倒的な弱者の人間だ。

 たまたま財のある家に生まれ、辛うじて生かされ、執事の優しさに恵まれたに過ぎない。

  それでも努力すれば対等に生きられる。

 肉体的に脆いだけで、素晴らしい精神を持っている人間は大勢いるかもしれない。

 自由に動き回れれば生きる欲求が芽生えてくるかもしれない。

 ならば俺はその人達にハンディ無しに生活できる環境を与えたい。

「いいね。素敵だと思う!」

「ああ。実現すれば医療機器においても大きな革新だな」

「成功の目途が立っている訳ではないが」

「大丈夫だよ、千彰君ならできるって!」

「完成が楽しみだな」

  上手く行く根拠など何処にも無く、俺への信頼などあまりないだろうに。

 それなのに二人は俺の目標を馬鹿にもせず、応援してくれた。

 変な気分だ。誰かに信じてもらうとはこんなにも心情を穏やかにするものなのか。



  時刻は夜の9時を回り、店の前で月舘とは別れた。遅い時間だからと旭は俺を送ると申し出た。

 商業地区さえ出られればもう迷いはしない。

 子供扱いされるのは癪だったが迷った前科がある以上大人しく付いてもらうことにした。

「初めての人とご飯食べるのは緊張した?」

「いや、していない」

「ならよかった。いっちゃんは口悪いけど面倒見いいから。困ったことがあったら相談するといいよ。千彰君、私じゃ頼りないとか思ってるでしょ?それに男同士の話もあるって言うしね」

  そうか。ただの友達紹介ではなく、旭なりに知り合いの少ない俺を気遣っていたのか。

 御影の家を出てから俺は身寄りも頼りになる人も居ない。一人で生きてきた。

 それを話してはいないが、俺の性格を考えれば友と呼べる人間が居ないのは旭にも理解できていたのだろう。

  幸い依頼をこなせば金は手に入ったし、与えられた研究室や軍内の施設の利用許可が下りていたので住む場所に困ることもなかった。

 仮に困り果て、財源や病に苦しもうが、それはその時だと考えていた。

 御影の家を捨てた俺の人生はそこまでなんだと割り切るつもりでいた。

「信頼しているんだな、月舘を」

「うん。学生時代は長い時間一緒に行動したし、気兼ねなく話せて頼りになるいい友達だよ」

「そんな大切な友人を俺なんかに紹介していいのか?」

「いいに決まってるよ」

  少なくても俺から頭脳を差し引いてしまえば大した利点を残さない面白みのない人間だ。

 愛想もなく虚弱で、子供としての良さも人間としての良さもない。

 いわば俺は機械をいじれる道具に等しい価値しかないのだ。

 そんな人間に自分の大切な友人を紹介する意図が理解できなかった。


「お前にとって俺は何だ?」

  俺の問いに一瞬固まった旭は空を見上げた。

 答えが見つからないのか、それとも答えづらいのか。

 同じように空を見上げるとそこには一際輝く星がひとつあった。

  上を見ることなど殆どない。

 俺は常に真っすぐにしか物事を見ていなかった。

 意識して見上げた空に眩く光る星は暗い夜空の中で視線を逸らさずにはいられなかった。

「…目を離せない人、かな」

  彼女の言葉の真意は分からなかった。

 けれど、自分が変わった立ち位置に居るのは理解した。

 てっきり子供扱いされるものだとばかり考えていたので少し意外な答えでもあった。


  天沢旭。俺が持っていない感情を多く持つ女。

 彼女をもっと知れば何かが変わる様な気がした。


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