荒廃した国ー2
「動くな!」
気が付くと俺達は10人程の子供に崖を挟んで囲まれていた。
子供達は皆布で口元を覆い、素性がよく分からない。
それにしても俺達を見張っていた看守をはじめ小柄な人間ばかりだ。
このような環境下では満足のいく栄養を取れているとも思えないが、まさか大人がいないのだろうか。
「お前達、何者だ!?」
「何者と問われるなら学生かな」
「嘘をつくな!学生が貧困層地区に来るわけがない」
嘘はついていないのだが、カルツソッドの常識とアルセアの常識を同じにしては話が噛み合わなさそうだ。
「そうだ!よくもヨウスケ兄ちゃんを傷つけやがって!お前達と違って俺達には薬がないんだ!怪我ひとつで命を落とすことだってあるんだぞ!」
彼らは真剣に怒っている。冗談や不要な嘘は得策ではなさそうだ。
「悪かったよ。俺達は君達に危害を加えたいわけじゃないんだ」
「信じられるか!富裕層の奴らの言葉は嘘ばっかりだ!」
駄目だ。全員が敵意のまなざしを変えやしない。
どう説得しても悪いほうに転びそうだ。そもそも俺達を富裕層地区の人間だと勘違いしている。その誤解が解けないと話にならなそうだ。
「止めなさい!」
奥から女の子の声が聞こえると子供達は皆そちらを見た。
「でもイズミ姉ちゃんこいつらヨウスケ兄ちゃんを殺したんだ!」
待て待て、気絶はさせたが殺しちゃいないぞ。話を大きくするな。
「ヨウスケは無事よ、気を失っているだけだからすぐに目を覚ますわ」
周囲の子供達からは安堵の声が上がった。
相当ヨウスケ兄ちゃんと呼ばれる少年は好かれているのだろう。
「この人達は富裕層地区の人じゃないわ。きっと他国の人でしょう…違いますか?」
「そうそう。俺達アルセアからここに連れて来られたんだ」
どうやらこの少女なら話が通じそうだ。
そう期待を寄せ始めるとイズミは苦しそうに咳込んだ。
すると子供達は俺達への警戒を忘れ、全員で少女へと駆け寄った。
彼女の咳は重い症状なのだろうか。
「ごめんなさい…場所を変えましょう。私達の住家にご案内します」
「いいの!?こいつら嘘ついてるかもしれないよ!」
「大丈夫よ。この人達の目は嘘をついていないわ。さあ、こちらです」
不信感を募らせたままの子供達を言いくるめられる力がある。
イズミと呼ばれる少女がこの子供の集団の年長者なのだろう。
少女は子供達に支えられながら先導してくれた。
瓦礫に隠された梯子を下り、地下の洞窟を川伝いに進んで行くとやがて拓けた空間に繋がり、そこには少しだが作物が栽培されていた。
俺達から見れば不作の出来だったが、ここに住む彼らにとっては貴重な食物に違いない。
更に奥へ案内されると別の空間に辿り着いた。
中央に大きな絨毯が敷かれ、その上に大きな丸いテーブルと種類の揃わない椅子がテーブルを囲んでいた。
どれもが古びており廃品に近い物だったが全て地上から収集したのだろう。
「ここが私達の家です」
見知らぬ俺達が来たことに警戒しているのだろう。
この空間に繋がっている数々の穴から続々と子供達が顔を出してきた。
まるで小動物の住家に迷い込んだ気分だ。
「どうぞおかけになってください」
イズミに促され椅子に座ったが取り囲むような視線が痛い。
下手したら今にも襲い掛かられそうだ。
「私はイズミと言います。ここで一番の年長者は私です。何かご質問があれば私が全てお答えしましょう。でもその前にあなた達についてお聞きしてもよろしいですか」
「俺は風祭将吾。君から見て右に座ってるのが鴻雅貴で、左が飛山隼人。俺達はカルツソッドの北にあるアルセア国から意識を失った状態で攫われた。いきなりだったからここにいる理由は分からないんだけど、目が覚めたら君達が使っている牢屋に居た。えっとヨウスケ君だっけ?彼を気絶させたのは悪かったよ。状況が理解できていなかったんだ。けど俺達はこれ以上君達に危害を加えるつもりはない。それは信じて欲しい」
異国の名前がピンと来ないのだろう。周囲の子供達はざわざわと騒ぎ始めた。
大体ここに居た理由も怪しいよな。全部信じろと言うのは無理だ。
だけど、これが嘘偽りない真実なのだから仕方ない。
「わかりました。信じます」
しかし唯一、イズミだけはすんなりと受け入れた。
子供達は皆動揺していたがお構いなしだ。
こちらとしては助かるけど、いいのだろうか。
「あなた方は投げ出されたように貧困層地区で倒れていました。そのあなた方を捕らえたのは私達です。得体が知れないからと牢屋に入れてしまいすみませんでした。カルツソッドでは見慣れぬ服装ですし、異国の方だというのも納得できます。貧困層地区に放置されるのは富裕層地区の人達が不要だと判断された人間だけです。恐らく皆さんも同様でしょう」
「じゃあ君達は…」
「昔は貧困層地区にも大人が居ました。だからここで生まれた子も少しいますが、私達の殆どは富裕層地区で生まれ育ち、そして捨てられた人間です」
辛い現実を受け入れ切っているのだろうか、イズミは淡々と言葉を続ける。
周囲の子供達は瞳を潤ませたり、唇を噛んだりと泣きだしそうだ。
子供を捨てるなど正気の沙汰とは思えないのだが、ここではそれが当たり前に行われている。子供達の涙が証明だ。
アルセアがカルツソッドより恵まれた環境にある事を思い知らされる。
アルセアで子供を手放さなければならない生活苦を強いられている家庭は何処もない。
収入や環境の差はあれど、世の中では家族は共に生きるのが普通だと思っていた。
普通の定義なんて本当は曖昧だ。
様々な人に出会い、世界を知るたびに正しさが分からなくなりそうだ。
それでも、子供を捨てるなど絶対にあってはならない。
「貧困層地区は彼らにとってゴミ捨て場。処理に困る廃棄物と一緒に罪人や消し去りたい人間も追い出す居場所無き者たちの場所」
「私達は捨てられたんだよ」
「僕が感染症を発症したから」
「あいつらにとって俺達はバイ菌でしかない」
子供達は皆口々にぽつぽつと呟いた。
中にはとうとう泣き出す子供も居た。
「感染病と診断されると富裕層地区を即刻追い出されます。この感染病は肺が蝕まれ呼吸が苦しくなり、やがて感染者を死に追いやる病。感染自体は他人に触れても起きず、本来汚れた空気を吸い続けた人だけが病にかかります。だけど富裕層地区の人達は感染した人をすぐに異物と見なし、次々に追い出していきました。早期に発見し治療すれば治る余地があるのに、その見解を示した医師も追い出され、ここで生涯を終えました」
少女の口から語られる話はまるで遠い昔話みたいだ。
しかしこれは現実に起きている近年の話。容赦ない扱いに憤りを感じる。
人の差別は聞くだけでも気分が悪くなる。
人種や富、強さと弱さ。比べられるものは何でも差別の対象になる。
どうして人は自分の弱さに向き合わず、他者の弱さを責めてしまうのか。
自分だって出来た人間ではない。楽な道を選んでしまう弱い人間だ。
それでも、他人を苦しめる様な真似だけはしたくない。
「そうして何度も人が選定され、何人もの人が富裕層地区を追い出されました。感染病の猛威は年々強まり今ではこの地に三日も滞在すれば症状が現れます。ここにはもう医師も居なければ治療する機材も薬もありません。大人達は全員治療できずに亡くなりました。残されているのは、今ここに居る子供達しかいません」
説明する彼女も辛い筈だ。
苦境に怒り狂い、泣き叫びたいほどの激情を抱えているに違いない。
だが、イズミは努めて平静を保っていた。
「今汚染された空気を吸わなければ感染しないって言ったよな。だけどこの子らは富裕層地区からきたって…初めから綺麗な空気の富裕層地区で生まれ育っているなら感染してないんじゃないのか?」
「母体感染、だろ」
俺の疑問をイズミではなく飛山が答えた。
他国に対して秘密主義のカルツソッドについて知り過ぎている。
飛山はカルツソッドに来たことがある、または住んでいたのか。
「そうです。発症はせずとも母親の体内に蓄積され潜伏していた僅かな菌が胎内で赤子に感染し、耐性の無い子供は容易に病を発症します。富裕層地区から来た子供達は皆が母体感染者です」
泣き出した子供達は皆、親や家族との記憶がある頃に発症したのだろう。
涙ぐんで親を呼ぶ声には胸が締め付けられた。
ここにいる子供達はざっと見ても20人くらいか。
どの子も痩せ細った体型で10歳前後にしか見えない。
まだまだ親が必要な年齢だろう。
「カルツソッドはもともと鉱山が国土の7割を占め、資源豊かな無人島を炭鉱の国として発展させてきました。次々に鉱物や木々を伐採していき工場を多く稼働させて栄えていきました。けれど、工場を経営する雇い主達は潤った生活を送っていましたが、雇われている作業員の給料は微々たるものだったそうです。長い時をその関係で過ごしてきたために誰もがそれを当たり前として受け入れ過ごしていました。ところが50年前に大きな問題が浮上した。大量の工場から生み出される排気ガスによる大気汚染です」
大気汚染は機械社会のアルセアでも問題視されたことがある。
けれど、そこからは規定以上の工場の稼働は制限される法律が組まれたし自然保護もなされていて、空気を綺麗にしようという運動さえある。
同じような取り組みをカルツソッドでも行えば地上のような惨状にはならないものだが。
「問題に気付いた時点で工場の稼働を規制すればここまで酷くはなりませんでした。しかし、国は工業から生み出される富を手放すことができなかったのです。当時の国の技術では環境の改善は微々たるものにしかならず、工場による汚染の力が圧倒的に勝った。いずれ他国から糾弾されることを恐れたカルツソッドは、まず他国との貿易を遮断し、情報を漏らさせないよう限られた人間にしか入出国を許さなかった。けれどこのままでは皆が感染病に掛かり、ゆくゆくは国自体が滅んでしまう。危機を感じた工場主達が提案したのが新しい居住区、今ある富裕層地区の設立計画でした」
イズミの語る言葉をどれだけの子供が理解できているだろうか。
でも皆がじっと静かに耳を傾けている。
きっと言葉の意味が全て分からずとも、悲痛な思いを感じているのかもしれない。
「国民全員で空気の綺麗な場所へ移り住める。そう信じて作業員達は懸命にドームを建設しました。しかし、5年の月日をかけて作り上げたドームには選ばれた人間しか住まわせてもらえませんでした。ドームの所有権を主張した工場主達が感染病者は住まわすことが出来ないと掌を返したのです。お金を使ってあらゆる方法で感染を防いだり治療をした富裕民とは違い、一生懸命働いて来た貧しい作業員達はお金もなく、リスクを負いつつ作業した為に多くの人が感染病にかかっていました。病を治せば住まわせてやると条件を提示されたものの、少ない給料では満足のいく治療は出来ませんでした。そこで生まれたのが明確な富裕層地区と貧困層地区の境です。一度だけ居住の権利を争い内乱が起きましたが貧困層地区の完敗に終わり、人々は訴えることを諦めてしまいました。それでも見捨てられた人達は希望を捨てずに何とかこの地で生き延びていましたが、根本的な解決策も見つからず多くの命が潰えていきました」
人はどこまで狡く、非道を行えるのか。
そんな惨状を引き起こしてまで生きたいと願ってしまうのか。
例え自分が富裕層地区側だったとしても罪悪感で気が狂ってしまいそうだ。
けど、この思いも結局は自分が恵まれた環境で生きてきたから言える綺麗事なのだろうか。
それでも、人が欲だけでこんなにも残酷になってしまうのならば。
そんな欲は捨ててしまいたい。
「……これが私が伝え聞いたカルツソッドの歴史です。現状、私達にはお金などまったくありませんし、食べ物も僅かです。感染病は進行の遅い病とはいえ、栄養失調で倒れるか病で倒れるかを常に彷徨っています。…こんな現状を伝える人間は私達の代で途絶えてしまうのでしょう」
俺は彼女達に返す言葉が見つからなかった。
哀れみや同情なんか求めていないだろう。生半可な励ましは逆効果だ。
決してこの状況を良しとはしないし、できれば改善してやりたい。
だけど助け出してやれる力も保障もない。
責任のとれない発言は子供達を傷つけるだけだ。
「だったら僕達があなた達を助けましょう」
意外な人物の発言に耳を疑った。
俺は自分の無力さを言い訳に、恐れて口に出来なかった言葉を彼は淀みなく告げた。
迷いのない真っすぐな彼に俺と飛山は目を丸くし口を開けてしまう。
「…何です、僕の言ったことはおかしいですか」
「いや、おかしくはないんだけどさ…まさかお前の口から出ると思わなくて」
「馬鹿にしてるんですか。僕らは民を守る為の軍人になるのでしょう。それが例え他国の民だからと見過ごすのは間違いです。助けるのが当然でしょう」
「…そうだな、その通りだよ」
入学当初は国防科の人間を国営科の手足みたいに思っていた人間が一体いつから心変わりしたんだ。それともその話は嘘だったのか。
少なくても鴻の中で価値観が変わり始めているのだろう。
「…本気で言ってるのか?」
「君は冗談で人助けをすると思っているのか」
飛山は鴻の胸倉を乱暴に掴んだ。
今にも殴り出しそうな剣幕にさすがの鴻も驚いていた。
「無理だ!あいつらは自分より弱い人間を自分の道具か邪魔な異物だと思ってるような連中なんだぞ!アルセアの様な話し合いで解決しようとする甘い考えは通じない!俺達だけで何ができる?下手な動きはアルセアとの戦争を招く恐れだってある!こいつらに出来もしない夢を見せるな!」
「では君は富裕層地区の者と同じようにここの子供達を見捨てろと言うのか!」
「じゃあお前はどうやって子供達を助ける!?考えはあるのか!?子供達の安全を保障できるかのよ!」
「飛山落ち着けって!お前の言うことも一理ある、けどそんな怒鳴らなくてもいいだろ、お前らしくもない」
どちらの言い分も理解できる。
けれど、取り乱してまで訴えるのは飛山にしては冷静さに欠ける。
俺が宥めると彼はこの場を出て行ってしまった。
一体何がそんなに飛山を苛立たせているのだろうか。
「…ごめんな、驚かせて。飛山は具体的な解決案が欲しいだけだと思うんだ」
「いえ。あなた方が私達と真剣に向き合ってくださっているのは分かりますから。こちらこそごめんなさい、無関係な他国の話を聞かせてしまいましたよね。ここも清潔とは言えませんが地上よりは幾分か綺麗な空気が流れています。ご自由に過ごしてください。子供達には私から説明しておきますので」
そう言い残すとイズミは子供達の傍に歩み寄り、心のケアを行っていた。
この貧困層地区は彼女を支えに皆が生きているのかもしれない。
見た所、イズミは俺達と大差ない年齢に思えるが他の子供達はまだ思春期にも満たない子ばかりだ。
たった一人でこの過酷な環境で子供達全員に生きる気力を持たせ続けるなんて相当大変な筈だ。俺にはとてもできない。
どうして優しい人ほど苦労させられているのだろう。
痛みを知るから他者に優しくなれると、どこかの本で書いてあった。
でも、痛みを知っても優しくなれない人がいる。
痛みを知るからこそ、痛みを恐れて冷酷になる人もいる。
優しさだけが広がっていけばいいのに、この世は辛さばかりが連鎖していく。
世界は残酷に出来ている。俺達の生きる世界は間違いだらけなのだろうか。
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