再会の約束ー4

  突然始まった崖の上での生活。

 晃司さんが迎えに来る時まで崖より下に降りてはならない。

 そして晃司さんが置いていったリュックの中身と崖の上にある物のみで生き延びる。

 リュックの中身はバケツとナイフ、ロープに食器類、簡易テント。

 これではまるで修行と言うよりサバイバルではないか。

  幸い5分程歩いた所に滝があったので水には困らなかったのだが、何せよ食料が全くなかった。

 魚を取ろうにも滝にも川にも小魚しか生息しておらず、木の実などで飢えを紛らわせようにもどうやらこの辺りには夏の時期に実る物はなかった。

  残る食物は草か動物に絞られた。

 草は図鑑を見ずに食用かの判断がお互いに困り、数少ない種類しか安全と言い切れなかった。

  動物はというと捕まえるまでにはさほど苦労しなかったのだが、そこから先が二人して踏み切れなかった。

 命を取り上げるという行為など俺達はしたことがなかった。

 いざその場面に直面すれば躊躇し、恐れて自らの飢えを選択してしまう。


  男の俺はまだしも女の子である千沙にこの修行は酷ではないだろうか。と最初は思っていたが、そんな気遣いをしていられる余裕も次第になくなっていき、4日目にもなると空腹で互いに体が満足に動かなくなった。


  火を起こすことに手慣れ、焚火の傍で寝転ぶ。

 ぼんやりと見上げれば満天の星空に満月だった。この地域の空は綺麗だ。

 視界を遮るものは何もなく、澄んだ空気の中でいつまでも空を眺めて居られる気がする。

  このまま意識を手放せば空に吸い込まれてしまうのではないかと思えるほど空を近くに感じるが、手を伸ばせば現実を見せつけられる。

 近くに見えて憧れはどこまでも遠い。

  晃司さんはいつ戻ってくるとは明言しなかった。

 俺達の終わりの見えないサバイバル生活もただの苦行に思えてきた。

「力の使い方には気をつけろ。力ってのはな、善にも悪にもなれる」

  そう言い残して晃司さんは崖を降りて行った。

 あの言葉の意味は何だったのだろうか。

 柔らかい光を放つ星を眺めながら答えを模索するが、回答には辿り着けそうになかった。


「ねえ、佳祐君のお父さんとお母さんってどんな人?」

  ぼんやりと焚火を見つめている千沙は前触れもなく問うてきた。

 千沙の質問の意図など深く考える余裕もなく、素直に答える。

「どんな人…父さんは口は悪いけど仕事熱心な人だよ。小さな診療所で医者として毎日患者さんと真剣に向き合ってて、かっこいいんだ。常に勉強しているし、努力を怠らない。母さんは明るくて優しいけど時々ドジなんだ。何もない所でも転ぶような人だけど、前向きでいつも笑ってる。俺は二人とも尊敬してるよ」

  思えば両親とこんなに長い時間離れたのは生まれて初めてだった。

 寂しいなんて感情を忘れてしまう程、修行の毎日に必死だったし元気な二人の傍は賑やかだった。

 両親のことを考えれば、自然と恋しくなってきた。

「そっか…佳祐君が言うんだからとっても素敵なご両親なんだね」

「千沙のご両親は?」

「私のお母さんはね、すっごい強いの。晃ちゃんと同じくらい。優しくていつもにこにこ笑ってて…私はね、お母さんみたいになりたいんだ…でも私が5歳の時にお母さんは私を置いてどこか行っちゃった」

  一か月生活を共に過ごしたといっても千沙や晃司さんの家族について俺は無知だった。

 何故千沙が親でもない晃司さんと共に生活しているか。

 そんなの何か理由があるに決まっているのに、この時の俺は考えもせず聞いてはいけないことを聞いてしまった。

  ようやく千沙の顔をまともに見れば、気落ちしている表情に自分の配慮の無さを悔やんだ。

 崖の上の生活ですら千沙は一度だって弱音を吐かなかった。

 「大丈夫だよ」「頑張ろう」と常に声に出していた。

  そんな彼女の優しい強さに甘え続けた。

 もしかしたら辛くて逃げ出したかったかもしれない。

 大声で怒りをぶつけたり、泣いて不満を零したかったかもしれない。

 明るく努める千沙を勝手に大丈夫だと決めつけていた自分を恥じた。

「晃ちゃんはお仕事だって言い続けるけど、ずっと会えてないし連絡もないの。だからきっとお仕事じゃない……お母さんは、私のこと嫌いになっちゃったのかな…」

「そんなこと――」

  ないと思いたいが、そうとは言い切れない。

 無責任な発言をしまいと躊躇ってしまったが嘘でも「そんなことない」と言ってやればよかったのに。

 友達の励まし方など上手く思いつかなかった。

「…どうして会いに来てくれないのかな…」

  ずっと不安を抱えていたのだろう。

 体力も気力も下がってしまった途端、寂しさが膨れ上がってしまった。

  今にも泣きだしそうな少女に何と声を掛ければいいのだろうか。

 最善の言葉なんて分からない。それでも励ましたい一心で自分の気持ちを紡ぐ。

「何か理由があるんだよ…大人は子供に隠し事をする。それは子供を守る為だって。力も知識も大人に劣る子供は大人から守られると同時に全ての真実を教えてはもらえないんだ……だからさ、こっちから会いに行けばいい」

「え?」

「ずっと待っていても結果が変わらないなら自分で動き出すしかないんだ。千沙のお母さんが会いに来れないなら千沙が会いに行けばいい。そうだろ?」

 千沙の目は満丸く見開かれ、つきものが落ちたように笑みを浮かべた。

「そっか、そうだよね!じゃあ佳祐君、私と一緒にお母さん探してくれる?私ここから離れたことないから外のこと全然分からなくて。佳祐君が一緒だと心強いな」

「分かった、約束する。一緒に探そう、必ず千沙のお母さんに会おう」

「よかった!…私一人ぼっち苦手だから」

  大して身体の大きさが変わらない千沙だけど、俺にとってはいつも大きく力強く見えていた。

 それが小さく、壊れ物の様に儚く見えた。

 目の前の少女一人救ってやれなくて悔しかった。

  そっと千沙の手を握り締める。

 一人じゃない。それだけを伝えるので精一杯だった。


「…このまま死んじゃうのかな…」 

  空腹で眠りにつくことも出来ずに蹲って地面を見ていた千沙がぽそっと呟いた。

 彼女らしからぬ後ろ向きな発言に自分達の状況の限界具合を改めて思い知らされる。

 視線の先には蟻達が虫の亡骸を運んでいた。

  晃司さんが戻ってくるより前に俺達が飢え死にしてしまう可能性は十分にありえる。

 今の状況を打破できなければ近いうちに確実にそうなるだろう。

  簡易的な寝床があり、火を起こし焚火にして灯りにしたりお湯を沸かしたりしようと。それでも生きて行くうえで食事は避けられない。

 蟻だって虫を食べている。動物も魚や自分より格下の動物を食べる。

 俺達人間も同じだ。何かの命を犠牲にして生きている。


「きゃああああ!」

  突如草むらが大きな音を立てて揺れたと同時に一匹の狼が千沙を目掛けて襲いかかってきた。

 俺達は意識が半ば朦朧としていたせいで狼の存在に全く気付けなかった。

 抵抗する間もなく千沙の両肩は狼の両足で押さえつけられ組み敷かれる状態になった。

  ふらつく足を奮い立たせて立ち上がる。

 今にも噛みつきそうな狼の頭に近くにあった小石を投げつけた。

 注意を逸らすことしかできず狼は俺を睨み付けてきたが、体勢は一切変えはしなかった。

 獲物を捕らえようと鋭利な牙が剥き出しになる。

  どうしたらいい。どうしたら千沙を助けられる!?

 このままでは…殺されてしまう!!

「うわあああああ!」

  考えるよりも先に身体が動き、俺は狼に体当たりをしていた。

 そこからは我を忘れたように狼を殴りつけた。

 どこにそんな力が残っていたのか自分でも不思議だが、操られてしまったかのように拳は止まらなかった。

 狼の牙や爪による反撃を防がず、痛みを無視して恐怖に駆り立てられた俺は乱暴に殴り続けた。

「もうやめて!」

  千沙の制止の言葉でようやく我を取り戻すと目の前には衰弱しきった狼の姿があった。

 生き物を自分の手でここまで傷つけたのは初めてだった。

 その事実が今までの自分とはかけ離れていて血に染まった両手が震えだす。


  俺は…狼を殺そうとしていたのか…?

  違う、俺はただ助けたかっただけで…。


「ごめんなさい、ごめんなさい」

 千沙は泣きながら俺の震える手を包み込んだ。

「私がちゃんとしてたら…佳祐君痛かったよね…怖かったよね…」

  充分怖い思いをしたのは千沙も同じだろうに、それでも他人を心配できるのか。

 大粒の涙を流し続ける少女を助けられたと思えば、少しだが落ち着きを取り戻した。

「…何かを殺さずして生きようなんて無理なんだ。生きることは常に何かの生命を奪うこと。生きている以上絶対に避けて通れない。そのことを忘れてはいけないんだ。だからこそどんな生命も敬わなくてはならない」

  生きるためには必ず何かの犠牲が生じる。

 けれどそれが当然だと傲慢に生きるのは違う。

 やはり出来ることならばなるべく犠牲は出したくない。

  俺は狼を犠牲に千沙と自分を生かした。

 そして強い力は大きな犠牲を出す可能性を高める。

  俺は今、必要以上に狼を傷つけてしまった。

 だからこそ力の使い方を気を付けなくてはならない。

 どんな生命も尊い。それを忘れずに力は使わなければ。

 きっと晃司さんは力を振るうことはどういうことかを考えて欲しかったんだ。

「…そうだね…ごめんなさい。佳祐君一人に嫌な思いさせちゃって…」


  油断していた千沙に向かって狼は最後の力を振り絞って噛みつこうと大きく口を開いたのが見えた。

 咄嗟に千沙を庇おうと抱きしめると銃声が聞こえた。

 銃弾は狼を貫き、今度こそ動かなくなった。

「駄目よ。きちんと仕留めなきゃ」

  草陰から銃を片手に持った女性が歩み寄ってきた。

 こんな所、それも夜に女性が一人で居るなんて怪しい。

  さらに狼の急所を的確に打ち抜く射撃の技術。

 この人が悪人であるなら正直二人共生き延びるのは無理だろう。

 どうにかして千沙だけでも逃がさなくては。

「安心なさい。あなた達を撃ったりはしないから」

  そう言うと女性は腰のホルダーに銃を収めた。

 恐らく今の所、敵意はないのだろうが、まだ油断はできない。

 千沙を抱きしめる手に力が入る。

「すぐに警戒を解かないのは子供のわりにいい心構えね。けど戦いでは覚悟を持ちなさい。中途半端な優しさは今みたいな身を滅ぼす危険を引き寄せるわ」

 女性の視線の先は横たわった狼だった。

「あなた、殺すのを躊躇ったわね。だから命を取り留めた狼は反撃を試みた。私が撃っていなければ彼女は死んでいたわよ」

  たしかにその通りだ。

 生命を奪うのが怖くなった。俺の甘さが千沙を再び危険に晒した。

 情けなくて女性から顔を背けてしまう。

「私が悪かったんです!私が戦えていれば、もっと強ければ…!」

  声を荒げて反論する千沙は全身が震えていた。

 これは恐怖からじゃない。自分の無力さが口惜しいんだ。

 動けなかった自分を悔やんでいる。俺の服を掴む手は力強く、今度は自分が守ると意志を伝えてくる。

 震えは心の悲鳴。俺と同じ気がした。

  すると女性は俺達をまとめてそっと抱きしめる。

「ごめんなさい。責める為に来たわけじゃないのよ。子供なんだから大人に守られて当然なの。でもこれから貴方達は辛い世界を生きて行かなくてはならない。だから覚えていて欲しかったのよ」

  女性の温かさが俺達の虚勢を解かしていく。

 俺はまだまだ弱い。もっと強くなりたいんだ。

 それなのに意志とは裏腹に力も気も抜けて、俺はそのまま意識を手放してしまった。

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