コップの中の漣 ~もみじ、ひとひら~

紺藤 香純

第1話

 どるどる、どるどる、どるどる。

 古い給茶機が稼働する。

 片方の紙コップには冷水を、もう片方には煎茶を抽出し、及川磐音いわねは目的の病室へ向かった。

 歩を進めるたびに、紙コップの中の水が揺れる。腕に下げたレジ袋からは、1階の売店で買ったばかりの焼肉弁当が食欲をそそるにおいを発している。

 念のため、病室の前で患者の名前を確認する。

 「及川勇貴」の名は確かに書かれている。

「ユウちゃん、どうも」

「ガンちゃん!」

 ベッドをギャッジアップして昼食を摂っていた患者の男・及川勇貴は、目を見開いて驚いてくれた。

「そんなに驚くことないじゃん。俺、ここの職員だよ」

 磐音は、床頭台に紙コップと焼肉弁当を置き、パイプ椅子に腰を下ろした。

 磐音はこの病院の放射線技師であり、今は昼休みの時間。入院した弟を訪ねたのはまずかっただろうか。スクラブのままだし、端から見れば横柄な看護師っぽいかもしれない。

「ガンちゃん、こんなところにいても平気なのか?」

「今、昼休みだから、平気。何かあったらPHSに連絡来るから」

 磐音は焼肉弁当のふたを開け、勇貴の膳も覗き込む。

「ユウちゃん、全然食ってないじゃん。おいしくないのか?」

「まずくないよ。腹が減らないだけ」

 勇貴は、小鉢の野菜をわずかにつまんだだけで箸を置いてしまった。

 野菜だけはしっかりたべるところは、昔から変わらない。

「ガンちゃん、何しに来たの?」

「飯食いに来たんだよ。ユウちゃんが独り寂しくをしていると思って」

「寂しくねえよ。昨日、親父もおふくろも来たんだ。……子どもじゃないのに、構い過ぎなんだよ」

 もしかして、勇貴に嫌がられているのかな。こんな歳になって訪ねるなんて、迷惑かな。



 磐音はたまにイメージしてしまう。

 水面に波が立つイメージを。

 海の波みたいなダイナミックなものではなく、もっともっと狭く小さな水面。

 コップの水面に波が立つような、イメージ。

 今まさに、そんなイメージが頭に浮かんだ。



 及川磐音、31歳。

 及川勇貴、29歳。

 青年ともおっさんとも異なる、微妙な年齢。

 兄弟として同じ家で育ったふたりは、長じてもこうして会っている。

 血がつながっていなくとも、本当の兄弟のように。

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