コレクター
葵 一
剣の旅
汚い外套で身を包んだ男があちらこちらに血の跡が残る村に立ち寄ると、一人の女が悲しそうな顔で折れた剣を供えた墓に向かって手を合わせていた。男はその女のすぐ後ろに立つと、
「誰の、墓だ?」
静かにそう聞いた。
「さぁ。知らない人」
女は驚くことも振り返ることもなく男に答え、続けて漏らす。
「戦火に怯えるこの村を守るために戦ってたそう。そして、たまたまここを訪れた私にこの村を守ってくれって、使っていた剣と一緒に押し付けて死んだ迷惑な人」
女の髪や鎧にも返り血が付着している。女はその身勝手な男の願いを律儀に聞いて村を守っているのだろう。
戦火に紛れ地方の農村が敗残兵や賊の格好の的となるのはいつの時代、どこでも同じことである。男も旅をしてきて、襲撃に耐えかね打ち捨てられた村や焼き払われた村を飽きるほど見ている。
そんな中でもただの旅人だった者が何の見返りも義理もないどころか勝手に押し付けられたにも関わらず、村に居残って守るというのは奇特としか言いようがない。
「ただ……預かった剣がさっきの戦闘で折れちゃったから、ごめんなさいって謝ってたの」
男は外套を開き、腰に吊るしていた二本の剣のうち一本を左手で外して女の顔の前に差し出す。
「使え。二つとない業物だが、これも主を失った。そなたのような者が使えばこれも喜ぶ」
女は剣を両手で受け取って立ち上がると諦めたように目を伏せて笑う。
「やれるだけの役目を果たしたから、もう出ていけるって思ってのにな」
女はそう言い残すと墓から離れ、壊された柵や小屋の片づけを手伝うために歩いていった。
男は住まう者がいなくなり修理も後回しにされ無人となっていた小屋で一晩過ごし、空が白む前に一人静かに村を発った。
山を登り昼を過ぎる頃、雨が降り始め、男は山道から外れた木の洞に体を縮めて収まり、雨風を凌ぎながら過ごしていた。すると、頭上に近い山道を数頭の馬が駆け抜け、続いて身に着けた甲冑が跳ねる音や抜かるんだ土を踏んで走る音が幾つも通り過ぎて行った。
男はその連中をさして気にも止めず、手近にあった山菜を摘むと雨水で洗って口にした。
雨も上がり、また男は山を歩き始める。ぬかるみに足を取られながら慎重に進む。やがて、彼の眼前に樹齢数百年といえる苔の生えた大樹が現れた。
男は大樹に左手を添えて眼を閉じると、
「みんな……今……戻った……」
と呟いた。
添えていた手を離し、外套に手を入れると吊っていた剣を外し、大樹に向かい合うようにあぐらをかいた。
「……すまんな、イウーヴェを途中まで連れてきたが、相応しい持ち手に託してきた。その方があいつも喜ぶと思わないか?」
大樹は答えない。だが男の耳にはまるで誰かの声が聞こえるかのように一度頷いた。
「そう言ってくれるなら有りがたい」
そんな風にポツリポツリと大樹との会話に男は興じた。
次の朝を迎えるまで男は夜通し会話していた。剣を杖に起き上がり、
「もう行かねば。今度はちゃんと連れてくるからな」
来たときよりも満足した表情で別れを告げて男は山を下りた。
遠くで静かな森に似つかわしくないあの集団らしい物音が響いている。
鉢合わせすることも無さそうな距離なので、立ち止まることなく一定の歩幅を保ちながら森を抜けることに専念した。
しばらく歩いていると馬の蹄やブーツに踏み荒らされた地面が男の目に入る。
どうやらここを通ったらしいが、最も眼をひいたのが、一つだけ転がっていたイモである。屈んで手に取り確認するが、山の中で自然に出来る種類ではなく、人が交配させて生み出した種類のものである。
イモを手に持ったまま、二日前に寝床を拝借した村へと向かう。
男は無言、無表情で村を見渡した。村人の死体が転がり、倉庫は破壊され、家は焼け落ち、畑を蹂躙され家畜も連れ去られている。
死体一つ一つを確認していくと、剣を託した女も無惨な姿となって死んでいた。勇敢に戦ったのであろう、片眼は矢傷を負い、右腕は千切れかかり、腹部には内臓が飛び出すような裂傷。
「すまなかった……ワシがイウーヴェを託したばかりに……」
男は彼女の責任感に付け入り、良かれと思って剣を託したがために、生きられる道を絶ってしまったと己を責めて深い悲しみに沈んだ。
まず彼女を埋め、次に村人たちを埋めていった。それから男は来た道を戻るように森の中へと入っていった。
足跡を辿っていくと、次第に騒ぎ声や肉の焼ける匂いが漂ってきた。
岸壁に穴の空いた場所を囲むように木は切り開かれ、篝火が焚かれていた。中央には手綱を括り付けられた馬が三頭、丸焼きにされた家畜、肉を貪り、酒を飲んで騒ぐ人間。ぱっと見だけで10人。彼らが身に着けている鎧や武器などは統一性がある。どこかの国の敗残兵から賊に成り下がった
男は外套の中で左手を動かしてから、前を開いて剣を素早く抜けるようすると匪賊たちの前に堂々と姿を現した。
「なんだお前……どっからやってきた」
「おい、見張り番の奴は何してた」
訓練されていただけあり匪賊たちは酒に寝こけている奴も叩き起こして各々が迅速に武器を握る。
「奪ったものを返してもらいにきた」
ガントレットをした左手が逆手にグリップを握り、交戦の姿勢を見せる。
「あの村の生き残りか?」
「やっちまえ」
手近な二人が剣で斬りかかってきた。男は逆手のまま剣を抜き放って前方に飛ばし、素早く縦と横の二つの斬撃を躱すと飛ばした剣を掴んで二人の頭と背中を斬って捨てた。
「貴様らが何人いようと左手一本で充分だ」
ハルバードのようなポールウェポンを持った一人が横に薙ぎ払う。地面に剣を突き立てて薙ぎ払いを受け止めると外套に手を入れ一歩接近。次に手を抜いた時にはレイピアが握られており、喉と片目を瞬時に貫いた。目玉の奥までしっかり突き刺したレイピアから手を離すと、メイスを握った大男がすでに背後から振りかぶっていた。再び外套に手を入れ、そこからタワーシールドを出して身を隠しメイスを防いだ。盾から躍り出ると続いて取り出したツヴァイハンダーを片手で軽々と振り回し、大男と横に回り込もうとした奴を回転斬りで鎧ごと叩き割る様に打ち払って吹き飛ばす。
足が止まったところで風を切る音に敏感に反応し、ツヴァイハンダーを捨てて転がる。矢が地面に突き刺さった方向と角度から射線を辿りアーチャーの居所に見当をつけると外套から手斧を出してそこへ投げつけた。二の矢を放とうとしていたアーチャーは手斧を胸に刺して枝から落下した。
「くそ、なんだこいつ、一体どこにこれだけの武器を隠してやがるんだ!」
瞬く間に6人が倒され、しかも外套の膨らみも男の体躯と変わらないにも関わらず、どこからともなくあらゆる武器を出してくる行為が匪賊たちを動揺させた。
「オレが楽しんでる最中に一体何の騒ぎだ」
洞窟から匪賊の親分らしい若い男が姿を見せた。鎧は他の者よりいくらか上物で、それなりの立場にあったらしい。腰には村で女に託した剣がぶら下がっている。
「その剣を返してもらおう。貴様らのような秩序も忘れた下種が持っていい代物じゃない」
「ほう……こいつが目当てか。どうせならオレのような腕の立つやつが持ったほうが剣も喜ぶってもんだろ。あんな女よりな」
自慢げにぶら下げた剣を抜き、振って見せる。男には風を切る音が泣いているように悲しげな音に聞こえてくる。
「剣のいろはも知らん若造が語るな」
「ふん。死ぬ前に名前くらい聞いといてやるよジジイ」
「外道に名乗って汚すような名はない」
「そうかい。じゃあもう用はない。やれ」
「しかし隊長こいつ――」
「いいからやりゃあいいんだよ!」
怒声に匪賊たちは仕方なく詰め寄り囲む。だが、次は何を出してくるか分からない男に、部下は完全に及び腰になっていた。
「……かかってこないのか?」
何かを確認するように匪賊を見渡し、そう言って外套に手を入れた。意を決した三人が呼吸を合わせて剣で一気に飛びかかる。一拍遅れて残りの三人も槍で逃げ場を奪うように突き出してきた。
だが、男は三人の匪賊が斬りかかると同時に外套から手を出していた。そして、その場で回転しただけで手に握られていたハルバードの先端にある長い刃が、勝手に近寄ってくる二人の頭を跳ね飛ばしていく。残った一人の攻撃を柄で防ぎ、握っていた柄から手を離してそのまま匪賊を掴むと盾代わりにして槍の刺突を防いだ。
すぐさま盾になった匪賊をどかし、新たに取り出した長剣で槍の柄を切り落とすと接近して判断良く剣に手をかけた一人の腕を寸断。そのまま胴体に体重をかけて突き刺す。男は長剣からも手を離して外套へ次の武器を求める。一人の犠牲により抜剣できた二人目の槍持ちは咄嗟に防ぐ動きを見せた。だが無情にも男が出したのはウォーハンマーであった。防ごうとした剣は叩き折られ、鎧の上から骨も砕かれ意識残るまま戦闘不能にさせられた。しかし男はそれでも止めず、呻きながら転がる匪賊にハンマーを持ち上げると頭を潰してトドメを差した。
匪賊の親分は部下が何を訴えたかったのか、この期に及んでようやく気付いた。腕も立つが、何より持っている様子のない外套の中から武器が現れるのが部下を怖気づかせたのだと。
最後となった槍使いは尻餅ををついて戦意を喪失していた。そして、背中を向けて逃げ出した。
男はウォーハンマーをその場に置き、今まで通り外套の中に手を入れると短槍を出して逃げる匪賊に投げつけた。見事それは逃げる匪賊の首を貫き木に張り付けられた。
匪賊の部下全員を片付け、男は一歩一歩、親分へと歩み寄る。
「分かった、あんたが強いのは分かった。こいつは大人しく返そう」
持っていた剣を男の方へ投げ捨て、降伏の意思を表す。
「どうだ、オレの部下にならないか。いや、あんたの部下になってもいい。オレはそのあたりの奴より使えるぞ」
男は地面に転がる剣のところで足を止めた。
「損はさせねぇ。仲間は一人でも多くいたほうが便利だからな」
「……ワシの仲間……だと」
無表情だった男の顔が俄かに歪む。しかし、親分は反応したことを好意的に捉えて口を止めない。
「そうだ、仲間だ。情報集めも捗る、敵を倒すのも負担が減る、やれることが増えて儲けも増える。いいことづくめだ」
「……ならば、まだ返してもらっていないものを返せば考えよう」
「なんだよ、剣ならそこにあるだろ」
「剣を持っていた女の命、村人の命、彼女たちが必死に生きた過去、これからの未来」
男の眼は明らかに怒りを帯びていることにようやく親分は気づいた。
「ばっ、馬鹿か、そんなの神でもなけりゃ無理に決まってるだろ!」
「ならば初めから無理だな」
男は外套に手を入れた。慌てて親分は近くに転がっていた剣に飛びつく。が、次の瞬間には左目に飛刀が刺さって悲鳴を上げた。それでも剣を拾い上げて抵抗の意思を見せる。
男も爪先で剣を起こしてから掴むと切っ先を向けた。親分は片目が使えなくなり距離感が分からず、揺れる篝火で生まれる明暗が目の前にいる男の怒りの陽炎のように見え、より恐怖を覚えた。
それでも培ってきた経験と自信によって親分は踏み込んだ。利き腕と同じ右目だけでも充分に攻撃でき、手っ取り早く距離感を掴む突き。
男は一歩、二歩と突きを後ろにかわし、空振らせると距離感を掴ませなかった。同じような距離を保って親分を焦らせる。
焦れて大きく踏み込んだところで左にかわし剣を振りかぶった。アームガードを藁でも斬るように断ち、骨まで達した。
「ぎゃああぁぁぁ!?」
剣を握れなくなった右腕は千切かかってぶら下がり、咄嗟に左手で傷口に手を当てる。
男は2回転すると背中から左側の胴へ刃を振った。鎧をものともせず親分の胴は半分以上斬られ、内臓が飛び出した。
絶命寸前、男の外套を掴み倒れると外套が破れた。外套から露出した男の体に右腕は無く、代わりに至るところに紋章が施されていた。
「浮かばれるわけでもないだろうが、無念は晴らしといたぜ……」
呟いて血糊を払うと剣を鞘に収めた。あちこちに散らばる自分の武器を拾っては一つ一つ違う紋章に押し当てると、男の体に飲み込まれるように入っていく。
「友よ、すまん……お前らをつまらん血で汚してしまった……」
懺悔のように漏らす。
洞窟に捕らえられていた若い女性らと家畜、馬を別の村に届け、男は姿を消した。
この世界にはコレクターと言われる術が存在する。術を施した特定の場所に武器などを保管し、紋章を体に描くことでいつでもそれを取り出すことのできる術だ。ただし、その代償は術を施す保管場所に扱う者の片腕、保管する道具一つにつき契約の書に印した者の命とされる。
男は10人の仲間と共に戦ってきた。それぞれ曰く付きの代物を持ち、強く勇敢で、人間味に溢れたかけがえのない友。
そして、男を除いて皆、戦場で命を落とした。
亡骸のように仲間の装備を探しながら旅をし続けてきた。それが男が仲間と交わした約束だからだ。
全て集め終えたとき、男は何を思うか。あるいは、命尽きる前に全てを集め終えることができるのかさえ分からない……。
コレクター 葵 一 @aoihajime
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