コップの中の漣

ひよく

第1話

―――漣の音が聞こえる。

———夢と現の狭間で彷徨う僕の耳に、漣が子守唄のように。



僕はひとり夜の浜辺を裸足で歩いていた。

月明りもない夜なのに、暗闇に怯える事もなく。

波は穏やかだけど、星も見えない。


ここがどこなのかは分からなかった。

僕は海のない街で育った。

それなのに、この場所には懐かしさを覚えた。


まるで、生まれる前の世界に還ってきたみたいに。


僕はぼんやりと歩く。

足元の砂地はほんのりと冷たく、それが何故か心地良い。


「そこの坊や」


不意に後ろから声をかけられた。

僕は驚いて振り返った。

人の気配なんて、まるで感じていなかったから。


「坊や。こんな所で何をしているの?私を探しに来たのかい?」


声をかけてきたのは髪の長い優しげな女性だった。

色白の肌が暗闇の中で、ほんのりと輝いているように見える。


懐かしい気持ちになったけれど、誰なのかは分からなかった。


「貴方を探しに来たんじゃないよ。だって、僕は貴方の事を知らないもの。それに僕は‘坊や’なんて年じゃない」


僕はその女性にそう言った。


「やれやれ。私を覚えていないようだね。無理もないけれど、淋しいねぇ。だけど、坊やは私には小さな男の子に見えるよ。違うというなら、坊やは一体いくつなんだい?」


「え?」


そう言われて、ハタと気づいた。

僕は自分の年齢が分からなかった。


答えられずにいると、女性は僕に小さなガラスのコップのような物を差し出した。


「まだ何もわかっていないようだね。仕方ない。もう一度、元の世界にお戻り」


僕はそのコップを受け取り、中を覗き込んだ。

少量の水が入っていた。

コップを少し揺らすと、コップの中で漣がたった。


すると、僕の視界は暗転し、その小さなコップの中に吸い込まれていくような感覚に襲われた。

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