砂糖細工の船 ―The Despiteful Ghosts―

酒田青

プロローグ

 その部屋の壁は純白で、繊細な蔓薔薇の模様が細かく見て取れるがそれは壁紙ではなく、直接彫り込まれたものだった。部屋は広く、円く、中央に円卓を据えて周りをひじ掛けのついた三脚の白い椅子で囲んである。二脚の椅子にはそれぞれ朱赤と紺青の四角いクッションが置かれ、紺青のほうは真っ直ぐに乱れなく置かれているのに対し、朱赤のほうは斜めになってぽんと転がっている風情だ。残る一脚には何も置かれていない。使われている気配はあるが、それは二つのクッションの持ち主が自由に使った結果だろう。この部屋には二人だけが、それも若い女が住んでいるとわかる。壁沿いに円状の棚が続き、その上にはおびただしい数の白い壜詰めがある。白い、というのは語弊があるかもしれない。赤や紫の何かが、白いものの間に層状になって挟まっているのがわかるからだ。壜で壁を作っているかのように錯覚するほどの数だが、三か所ほどそうではない部分がある。その部分はアーチ形の出入り口として厚みのある白い壁を掘り進み、三十センチほど進むと同じくアーチ型のドアがある。それが、三か所。一つは朱赤のドア、もう一つは紺青。恐らくこの部屋に住む二人の女のそれぞれの部屋の出入り口なのだろう。最後の一つは、白。白いドアは、おもむろに、音もなく開いた。

「つまらないわ」

 鮮やかな緑色の着物を着た美しい女がつぶやいた。前髪は大きく膨らませて持ち上げられ、長い黒髪は後ろでシニヨンを作っている。髪に巻きつけられた黄色いリボンがひらひらと揺れる。東洋人離れした派手で整った顔立ちで、大きな目は少し目尻が下がっている。夢見るようなおっとりとした仕草が似合いそうだが、彼女は真っ直ぐに歩きながら棚には目もくれずに先程の壜をかっさらった。そのままどさりと朱赤のクッションの椅子に座る。

「ねえ、絹子さん。何か話して。あなたは何を悩んでいるの?」

 彼女は白いドアに呼びかける。すると衣擦れの音をさせ、第二の女が現れた。先程の女と同じく黒髪の東洋人だ。ただこちらは表情に乏しく、人形じみた端正な顔立ちをぴくりとも動かさずに摺り足でやって来る。涼しげな水色の着物を着、前髪をウェーブさせ、長いであろう髪はきっちりと頭に沿わせるようにまとめられ、ショートカットヘアにも見える。無言でやってきた絹子と呼ばれた彼女は、紺青のクッションが置かれた椅子を引いて、決まったものであろう所作で静かに座った。

 第一の女は絹子とは雲泥の差とも言える行儀の悪さで椅子に横向きに座った。そのまま落ちてしまいそうだが、彼女の背中の帯とひじ掛けがどうにか噛み合ってバランスが取れている。絹子はしばらく無言でいたが、唐突とも思えるタイミングで沈黙を破った。

「繭子さん。行儀をよくして」

 第一の女がちらりと絹子を見た。面倒くさそうに、でも従わなければならないという顔で椅子に座り直した。すぐに繭子は壜のコルク栓をぽん、と勢いよく抜いた。それからテーブルに転がっていたスプーンで、中身を小さな口で食べ始めた。

「食べるのはよして」

 絹子はぴりりと気の張った様子で短く命じた。繭子はぴたりとスプーンを止め、絹子を見た。絹子はじっとテーブルを見つめている。

「繭子さん。あなた知っているでしょう? ここで死んだら、わたしたちの魂は船の灯りとなって、永遠に船内を照らすしかないのよ」

「それが、何?」

 繭子はスプーンを置き、一応聞いているという顔で彼女に向き直る。

「砂糖細工の船は、わたしの魂を欲しているの」

 繭子の目が見開かれる。絹子は唐突な動きで立ち上がり、自分の帯に手をかけた。そのままするすると着ているものを脱いでいく。何と多くの衣類を重ねているのだろう。彼女は布の紐をいくつも取り去り、襟飾りを取り、肌着らしい格好になった。それすらも脱ぐ。繭子は大胆な絹子の行動に目を丸くしている。絹子は低く悲痛な声で言った。

「ないのよ」

 繭子は絹子の裸をまじまじと見つめ、「嫌よ」とつぶやいた。絹子はわずかに顔を歪め、こう続けた。

「せめて舞踏室のシャンデリアの灯りになれるといいわね」

 絹子の足は、白い二股の靴下より上が透明になっていた。彼女の足は爪先からなくなっているのだった。大腿より上には肌色がうっすらと見え、へそから上は無事見えていた。

 丸い天井は高く、円形の部屋はどう見ても鳥籠だった。その部屋の中でゆっくりと、彼女は消えゆこうとしているのだった。

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