惑星ロス128b

@Kairan

第1話 破滅

宇宙船の中を走る電気が突然途切れた。操縦席でタンクトップと黒いパンツの姿でレデイースファッション雑誌を眺めていたサラは辺りを見渡した。コックピットの前に広がる宇宙がこの最後の五年と違う事に気が付く。宇宙はこんなに暗いものかと。自分の息が聞こえるぐらい宇宙は静かなのかと。


見張り番のサラ一人以外に起きているスタッフは誰もいない。


瞬きもせずにジッと暗闇に浮かぶ電燈の輪郭を見上げた。1分、2分待ってもバックアップ用の電気はつかない。そして空調システムがブーン・・・と衰退して黙り込んだ。


よろけながら操縦席から立ち上がると、膝元の雑誌が落ちて肌足の親指にぶつかった。そして操縦席にかけてあった制服の胸ラジオに命令をした。


「ブギー、こっちに来て」


「了解、3分以内にコックピットに到着します」


ブギーの声が流れ込み、ラジオのブチっと切る音がした。コックピットが静寂な空間に戻った途端、サラは両手で自分の裸の肩を抱いた。


4歳の頃、高いベッドから転がり落ち、ワンワン泣くサラの顔を父親が胸板で受け止めてくれた。涙が止まるのをずっと肩を抱きしめながら待ってくれた父親。苦痛から解放されて広がる優しい安心感が今欲しかった。


急に会いたくなった父親は10光年離れた場所でサラの帰還を待っている。今、29になった自分の肩を父の代わりに自分で抱いても、震える体が落ち着かない。


きっと、アンドロイドのブギーが何とかしてくれる筈。ブギー。早く来て。ブギー。


制服のジャケットの袖に腕を突っ込み、インドの血を引いたサラの茶色の肌が隠れる。5年続けた宇宙の旅の中でも肌の張りや艶は衰えていなかった。が、停電をした今、汗はクッキリ首筋や脇に滲み出てしまって、制服の下からは嫌な匂いを放っていた。


ブギーが、あのアンドロイドが何とかしてくれるはずよね。ブギーが帰ってくるまで、雑誌と食料パックの山を何とかしなきゃ。片付けをしなきゃ。片付ける間に良い案が浮かぶかも知れない。ブギー。ブギー・・。そう自分に言い聞かせた。嫌な予感と共に歯がカタカタ震えた。


宇宙船は自動運転で目的の惑星ロス128bに向かっていた。目的地まで後2年の旅。辿り着いて、テラフォーミングをする自動機械を設置してから帰るのに2度ワープをして、順調に行けば5年。トータルで14年のミッションになる。莫大なお金がかかったミッション。希望のミッション。でももしかしたら片道切符のミッションなのかもしれない。暗闇の中で焦りを感じるサラからしてみれば、船は方向を失って漂流しているイカダのように見えた。


この、ポンコツ。宇宙船全体が通常になるのを祈りながらサラはコンピューターボードのボタンを何度か叩いた。


「私はちゃんとミッションをこなしていて、私が悪い事は何にもない」


口にして自分に言い聞かした。


ブギーをコックピットに入れるために、ドアを手動でこじ開けなければいけなかった。フンッと鼻息を荒くしながら細い腕でギアを回しまくって、サラが尻餅をついた時、ようやくブギーが隙間から入った。


「充電パックからのエネルギー供給が停止しました」

早速ブギーが報告した。ブギーの人工のブロンドの髪の毛はこの5年間、一本も変わる事なく整えられている。プラスチックで出来た白人の顔、青い目が尻もちをついて床に座り込んでいるサラを見下ろしていた。


「ど、どうしてよ?」


サラの息は浅い。


「隕石の衝突の可能性があります」


アンドロイドの表情は柔らかく、声にも落ち着きがかかっていた。隕石、衝突?サラはブギーの胸を掴んだ。


「あんた、何でも直せれるんでしょう?早く直してよ」


緊急事態だって事をわかってんの?ブギーの制服を揺らしたが、200kgを超えるアンドロイドが搖れる事はなかった。


ブギーの目が近寄ったサラの顔にズームをして、フォーカスを整えた。


「すでに修理ロボが修復作業に取り掛かっております。修理完了まで2日はかかる見通しです」


あ、よかった。サラはアンドロイドの瞳に映る自分の黒いショートヘアー、そして落ち着きがない顔に気がついた。落ち着け。自分、落ち着け。空調機が止まった空間の空気を吸って、笑顔を見せた。


「じゃあ、大丈夫ってことね?」


ブギーの表情は穏やかから真剣な眼差しへと眉が移動した。


「いえ、エネルギーの流出が酷く、このままでは船内の冷凍睡眠している搭乗員が・・」


次の言葉が何なのかを悟った。


「死ぬってこと?」


「その通りです」


ブギーが頷いた。答えたブギーの顔にはプラスチックの変わらない表情があった。これはドッキリじゃないのか?この3ヶ月間、私はコックピットで雑誌を眺めたり、動画を見たり、運動をしたりする日々を送っていたのに。ただただ嵐のない宇宙を直進する船を見守るだけの平凡な日々だったのに。


サラは肩を抱いた。落ち着け、自分。私の当番の時にこんな状況になってしまった。どうしていつも私が追い込まれるの?どうしてこんな目に合わなければ行けないのよ。サラの視線は床に落ちて固まった。


時間は前に前に進んでいく。サラの質問を待たずにブギーは言った。


「解決は搭乗員を一度起こす事です」


「じゃあ、それを早くしなさいよ!」


サラはブギーの胸を叩いた。問題の根源はブギーにあるかのように。


「90人を冷凍睡眠から起こすエネルギーが残されていないのです。起こす人たちを24時間以内に3人だけ選んでください」


サラの目が大きくなった。開いたまま瞬きが出来ない。


「さ、さ、3人?」


次の言葉が出てこない。聞き間違いであって欲しかった。だがブギーの表情は変わらない。


「その通りです」


「じゃ、じゃあ87人は?」


「ミッションの成功の為に亡くなります。生体維持のスイッチは私が切ります。サラさんは3人を選ぶだけで結構です」


ねえ、他の誰かが答えてよ。私を誰か助けてよ。私はこんな事をする為に宇宙船に乗ったんじゃない。だけど数年間宇宙の地平線を目指してきたこの船から地球に連絡することは出来なくなっていた。


サラは肩を爪にヒビが出来るほど握りしめた。


私は世界の希望、私は地球の選挙で選ばれた優秀な人材。だけど私はこんな決断をしたくない。


「サラさん、時間はありません」


「い、いやよ。絶対にいや」


サラはブギーの催促を跳ね返した。


「地球側に連絡してよ」


「連絡が出来る距離内に私たちがいないことはサラさんもご存知のはずです」


サラはコックピットの天井を突き破るように嫌、嫌、嫌だと叫び始めた。ブギーの提案を私は受け入れられない。絶対に。


ブギーは穏やかな顔を作り、泣きそうなサラの両肩に両手を添えた。機械の手から暖かさが肩に染み込み、サラの震えが止まるのを待った。ブギーは人間を扱うプロ。この船に乗る91人の髪の毛一本から性格の癖などを全て知っていた。サラはブギーが自分の父親と重なって見えた。


20代のサラには3人を救い、地球の希望のミッションを達成するという壮大な物語よりも、これから殺す90人の映像しか頭の中で流れなかった。自分が人を殺す?90人も?


「ブギー」


「何でしょう、サラさん?」


「あなたが決めてよ」


「私に権限はー」


「私は決められないわ。人殺しなんて出来ない」


「人殺しではありません。少数の犠牲により多数を人類を救うのです。それでサラさんが罪に問われることもないでしょう」


罪?法律の事?それとも私が罪意識に押し潰される必要はないと言っているの?さっきからその場所から動かないあんたにそんな理解はできているの?


「それ以外の道は?あるはずでしょう」


「このエネルギー残量の中でミッションの成功に繋がる方法は他にありません。地球に引き返せば、搭乗員の全滅は確実です。今ここで人間のあなたが決めるしかありません。繰り返させてください。地球に引き返せば、搭乗員の全滅は確実です。」


サラに推し寄ってくる責任の波、鉛の重み。そして沈黙。終わりなく広がる宇宙の最先端を開拓している船の中で無力さを感じた。


その時、サラの目にこれまでになかった光が戻った。地球にいた時、搭乗員に選ばれた事を知った時以上に顔が輝いた。そうだ。そうすればいいのだ。何もなかった場所に突然マジックのようにアイデアが現れた。頭の中でバラバラだったパズルのピースが一瞬で組み合って完成した。


「分かったわ、ブギー!」


ーーー


サラとブギーは懐中電灯の光を頼りに、蟻の巣のように枝分かれする船の中を突進した。コールドスリープ(冷凍睡眠)コンテナまで走れば10分で辿り着く。早く行かなきゃ。時間を稼がなきゃ。サラは力強く床を蹴って、懐中電灯の光の先に飛び込んで行った。


コンテナの中は蜂の巣であった。壁や天井に隙間なく卵のようなポッドが積み込められて、青白い光を暗闇の中で放っていた。とっても綺麗だわ。目を凝らせばポッドの中の目を閉じた搭乗員の顔、これからサラが殺す90人の顔が一人一人見えた。側にあったポッドに触れると、冷たかった。


サラの肩はまた震え始めた。


「落ち着いてください」


ブギーもサラの肩に手を添えて言った。その通りだ。落ち着け、自分。


「ブギー。キャプテンを起こして。キャプテンに決めてもらうわ」


それがサラの出した希望の結論だった。脳の役目である上司に残りの二人を決めてもらえば良いのよ。これは上司の問題であって、自分はただの部下のはず。自分は上司の腕でもあり、走れと言われれば走る上司の足なのよ。


ーーーー


9ヶ月の長い間の眠りからキャプテンのマーティンは目覚めた。黒人の瞼が痙攣して、薄っすらと開く。そして筋肉で引き締まった裸体がモゾモゾと動き、肺が空気を求め始めた。


これでいいのよね?これで大丈夫よね?卵のガラスの扉が開くのを眺めながら思った。そしてその思いが、とんでもない期待外れだとすぐに知った。


キャプテンを降ろすのを手伝った瞬間、キャプテンの口からドス黒い血が飛び出たのだ。


手術室にキャプテンを二人で担いで運び、服を脱がしてブギーが検査を始めた。この手術室も暗くて、サラは冷たい懐中電灯の光をキャプテンとブギーに照らさなければいけなかった。


嫌な予感がした。両手と両足が鎖で繋がれていて動けない事に気がつき始めるような、パニック寸前であるような感じ。サラはブギーが裸のキャプテンを目でスキャンする様子を見守った。


眠っていた間に癌がキャプテンの体を好き放題食い物にしていた。そしてこのエネルギー不足の中では手術が出来ない。というより、手遅れだった。サラは手術台に横たわるキャプテンのショボショボした目を凝視した。長くない。この人が生きて惑星ロス128bに辿り着く事はない。そう直感的に知った。


「いつまでだ?」


ブギーを見るキャプテンの目の焦点が合っていない。


「長くて2ヶ月です」


2ヶ月!サラの心臓の鼓動が重くなって、その痛さに胸に手を置いた。気がついたら涙で視界が滲んでいた。そして絶対に誰にも言いたくない思いが浮かび上がった。


「失敗」


この二文字がサラの目蓋の裏に浮かんでいた。涙を見せればその正直な思いがバレてしまう気がした。ジブンハ、ナガクイキレナイヒトヲ、エランデシマッタ。そう思う自分を恥いた。その考えから抜け出せない自分。本当なら目の前の病人に同情し、思いやりのある言葉をかけるべきだった。分かっているのにそれが出来ない。アンタの死はどうでも良い。サラの心は叫んでいた。焦りとパニックを抑えようとするサラの目は睨みに変わっていた。


ブギーの方を見ると、サラを観察しているように顔を向けていた。


「サラさん、大丈夫ですか?次に起こす人を決めなければいけません」


え?サラの口はポカンと開いた。病人を前にして私もアンドロイドも考える事は一緒なのね。


サラは手をキャプテンの肩に添えた。


「キャ、キャプテン」


遠くを見つめるキャプテンから返事がこない。どうしようかと一瞬迷ったが、力強く説明するしかなかった。


「キャプテン。船のエネルギーが不足していて・・」


「そんな事は見れば分かる」


「それで、それで、後は二人しか助ける事が出来ないんです」


死ぬ前にキャプテンが選んでください。私には出来ません。助けて下さい。色々な思いが頭の中で飛び散っていた。


しばらく誰も何も言わなかった。キャプテンは天井を見つめたままだったし、ブギーはキャプテンの体の上に白いシーツをかぶせた。


「残りの二人をキャプテンが選んでください」


「君が選ぶんだ」


キャプテンの乾いた口が開いた。


「え?」


「4人とアンドロイド・・・」


キャプテンは一息入れた。


「いや、3人とアンドロイドだけの生き残りのミッションはどうなると思う?サラの考えを聞かせてくれ」


破滅でしょう。だけど、死の宣告を受けた人を前にして、それを口にする事は出来ない。キャプテンの顔はサラの方を向いているが、相変わらず焦点が合っていない。キャプテンの中の時間はゆっくりと流れているようで、今にも眠ってしまいそうだった。


キャプテンの質問の答えが分かっているなら、誰も苦労はしないわ。キャプテンは咳き込み始めた。


「わかりません。キャプテンが、教えてください」


「それは君自身が考えなきゃいけない」


「そ、そんな」


サラは甲高い声を出した。


「私には無理なんです。だからキャプテンを起こしたんです」


サラの悲願の喚きが続いた。オモチャを買って欲しいとお店の前で喚くようであった。


「サラ・ハルバート、それが君の弱点だ。君は人に任せて、後ろから付いていけばいいと思っている。私が死んだ後、お前と生き残った者達に地球のミッションの責任が全部のしかかる筈だ。君は今、その事実を受け入れるしかないんだ。生き残った者は力強く生きなければならないんだ。君たちが力強く生きるためには、君が強い決断力を持たなければいけない。こうなってしまった以上、もうそれは免れないんだよ」


3人とアンドロイドでロス128bのテラフォーミングは無理だろう。サラは首を激しく横に振った。


「そんな事を言わずに、キャプテン、どうすればいいか教えてくださいよ」


キャプテンが突然サラの腕を掴んでグイっと引き寄せた。それに合わせてサラはキャプテンにぶつかりそうになった。


「甘ったれるな」


キャプテンの声が轟く。キャプテンの目に命が宿った。サラの顔に息が吹きかかるぐらいの距離でキャプテンは睨みつけていた。


「私に最後に出来ることは」


自分の顔が、自分の魂が、自分の全てがキャプテンの中に吸い込まれていくようだった。体が凍りついて、指すら動かすことも出来なかった。


キャプテンが囁いた。


「君を決断できる人間にするだけだ」

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