第11話 手紙の署名

「うわわわわっ!」

 クラウが咳き込みながら、私を抱え込んで扉の外へと逃げ出して扉を閉めた。

『ものすげーな。おい』

 扉の隙間から漏れる白い煙のようなホコリを指さすテイライドは楽し気だ。


 落ち着いた頃を見計らって部屋に入ると、何もかもが白くなっていた。ベッドも鏡台も、大きな鏡も真っ白。見上げた天井は蜘蛛の巣だらけ。

 劣化した掛け布とマット、窓布は裏庭で焼却処分。小さな部屋とはいえ、壁や家具を雑巾で拭くのに半日を費やした。


「中身はどうかな……」

 クラウが恐る恐る鏡台の引き出しを開くと、中には液体の入ったガラス瓶や美しい彫刻が施されたガラス容器がいくつも入っている。


『ふーん。化粧品か?』

「うわー。これも全部処分かなぁ」

 液体は茶色く変色している。容器の中身も茶色く乾燥して固まっていた。


 木箱に引き出しの中身を移すクラウの手が止まった。

「この箱、何だろ?」

 奥深く隠されるように白い箱がしまわれていた。白い石に繊細な花々が彫刻された見事な物。


 中には黒い布に包まれた金の指輪が一つ。角を持つ獅子と百合の花の紋章が刻まれている。

「テイライド、この紋章、何か知ってる?」

『知らねーな。角がある獅子ってこの国の王の紋章じゃなかったか?』

「あ、そうだね。でも、百合は?」

 

 二人の会話を聞いていて気が付いた。これは国王陛下が正妃に贈る指輪。現王妃の指に輝いている物と酷似している。


『それも捨てるのか?』

「さすがにこれは捨てないよ。何だろ……何か、解呪の報酬でもらったのかな?」

『ま、そんな所だろうな』

 もっと近くで見たいと身を乗り出して、私はクラウの肩から転がり落ちた。


      ◆


 小さな家の片づけは順調に進んでいく。廊下や部屋に積まれていた木箱は消えて見違える程綺麗で快適になり、私が床を歩いても手足の裏が汚れることは無くなった。あちこちに積まれていた本も、今は棚に立てられている。


 ゆるやかな時間が流れる中、白い鳥の姿をした光の精霊がクラウに解呪を依頼する手紙を届けた。

『久々の依頼だな』

「そうだね。一年ぶりかな。……これは……かなり難しい呪いだ」

 依頼主の名前に見覚えがあった。私の解呪にクラウを推薦したこの国の神官長。


 その日からクラウは朝から夜、食事も眠る時間も惜しんで、解呪の方法を探し始めた。呪いのすべてを読み取り、解析した術式を再構築して実験を繰り返す。


 五日目の朝にふらつきながらも、完全に解析できたとクラウが笑った。読み取った術式を解説し、対処法と解除法を紙に素早く書いていく。簡潔に書かれていても手紙は十枚に渡る。


「出来たー」

 椅子に沈み込んだクラウの髪を猫の手で撫で、頬をすり寄せる。お疲れ様と口にできないことがもどかしい。私は肩に乗って見ていただけだ。役に立っていないことが心苦しい。


 書き上がった手紙に目をやった私は違和感に気が付いた。手紙の最後、署名サインするべき場所が空白。忘れているのだろうかと思い切って机の上に乗って、空白を手で叩く。


「あー。名前を書けってことかな? ……困ったな……」

 神官長は師匠がまだ生きていて、クラウに代筆させていると思っていると聞いて私は衝撃を受けた。一生懸命に呪いを解析し、実験をして説明を書いているのはクラウで、師匠ではないのに。何故自分の名前を書かないのか。


 クラウの手と手紙を軽く叩き、私は何とか伝えようと身振り手振りで訴える。

「いやー、何となく、言いそびれたというか、師匠が死んだ時、落ち込んじゃって連絡できなかったんだよね……」

 私はクラウの手に手を乗せて見上げる。少し悲し気な瞳は、師匠が死んだ時のことを思い出しているのかもしれない。私は、再度空白を手で叩いた。


「そうだね。師匠は死んだって連絡しないとね。僕の署名を書くよ」

 伝わった。嬉しくなった私は、首を伸ばしてクラウの頬に頬を寄せた。


      ◆


「これが預かってた手紙と荷物だよ」

 酒場の店主から、クラウが何かを受け取っている。私はクラウのローブの中にいるので、外は見えない。


 神官長への手紙を精霊に届けてもらうようにお願いした後、クラウは町へと買い物に向かった。何か美味しい物を買おうと言ってくれたので嬉しい。先日初めて食べた果物は、まだ売っているだろうか。それとも、砂糖掛けのナッツだろうか。


 ちょうど昼時の酒場の中はかなり騒がしい。珍しく女性たちの声もする。

「あらー、リリーナ。久しぶりじゃなーい!」

「おひさー」

「えー、一年ぶり? いい男捕まえたのかと思ってたわー」

 リリーナと呼ばれる女性の声が誰かに似ているような気がして、複数で話す女性たちの声を拾ってしまった。聞いても仕方ないと思いつつも、猫の耳は一度向いてしまうとなかなか他へと向けられない。


「あたし、貴族の娘の身代わりやってたのよ。ごたごたして報酬もらえなかったから、また稼がなきゃ」

 リリーナの声に体が強張る。

「一年タダ働き? 酷い話ねー」

「まぁね。でもそれなりに優雅な生活させてもらったし、それで相殺ってことにしとくわ」


「どういう仕事だったの?」

「傾きかけてた男爵家での仕事だったんだけど、あたしにそっくりな一人娘が突然死んじゃって、娘の結婚相手にたかる予定が狂ったらしいわ。最初はとにかく条件の良い男を捕まえて結婚しろっていう依頼だったの」

 リリーナの声がレンドン男爵家の娘タミラと重なる。何度か挨拶を受けただけで、話をすることもなかったので違うかもしれない。


「結婚してどうするの? そのまま一生騙す予定だったの?」

「一生なんて無理無理。結婚してしばらくしたら、相手が変死するかもねーっていうことでしょ」

「うわー。乗っ取り? 貴族って酷ーい」


「でも、何で戻ってきたの? 処女じゃないってバレたとか?」

「そんなの、新鮮な魚の内臓ちょーっと使って、痛がる演技すれば大丈夫でしょ。みーんな自分が最初の男だったって思うんだから」


「あー、そうじゃなくってさ、第二王子とヤってる最中に婚約者が乗り込んできた訳よ。凄い高慢な女でさ、可愛げなかったわー」

 第二王子と聞いて、さっと血の気が引いて行く。やはりタミラだったのか。


「何、不細工なの?」

「そうでもないけど、キツそうな性格が顔に出てる感じねー。ああいうのが好みの男もいるだろうけどね」


「貴族と結婚じゃなくて、王子の子種貰って孕めば男爵家は安泰かもっていう話になってたんだけど、王が激怒したらしくて、第二王子は王位継承権はく奪、あたしは髪を切って神殿送りが命じられたの」


「それじゃあ、何でここにいるのよ。髪も切ってないし」

「そんなの、護送役に涙を見せて逃がしてもらったに決まってるでしょ。今頃、悲劇の男爵令嬢は神殿に行く途中に崖から身を投げたってことになってるわ」


「王子の婚約者どうなったの?」

「婚約破棄したってことしかわからないわ。逃げるのに精一杯だったもの。男爵家も取り潰しなんじゃない?」

 レンドン男爵家は取り潰しではなく爵位を剥奪されている。もともと一代限りの爵位で、時期が早いか遅いかの差でしかない。


「第二王子って馬鹿なのよー。婚約者を愛しすぎてたから、初夜で失敗したらどうしようなんてちっさいことを大袈裟に悩んでたの。練習相手になってもいいって誘ったんだけど、堕とすまで時間かかったわー」

「でも結局、婚約者とは結婚できなかった訳だ。それは馬鹿だわ」


「婚約者が年上だったから、どうやったら自分が上に立てるか、なーんていつも考えてたんだから、本当馬鹿よねー。しかもさ、『今日は婚約者に心にもない酷いことを言ってしまった』とか、あたしに溜息混じりにいうわけよ。笑っちゃうでしょ」


「酷いことって何?」

「『行き遅れの君を貰ってやるんだから感謝しろ』『可愛げのない女だ』『王命が無ければ従妹の君と結婚はしない』とか言ってたみたい。実際は好きで好きで仕方なくて、正直に言うのが恥ずかしかったみたいよ。昔から憧れてたんですって」

「何それ、子供みたいね」


「あれ? 王族とか貴族って、従妹と結婚できないんじゃなかった?」

「別に決まってる訳じゃないでしょ。平民のあたしたちなんて、神官にお金積めば、親子でも兄妹でも結婚できるじゃない」

「あ、そうねー」


 私は聞いていることが堪えられなくなっていた。猫の耳は、注意を向けた者の言葉を拾ってしまう。両手で耳を塞いでみても気休めにもならない。


「……勘定してくれるかな」

 クラウの声が聞こえる。

「おや、今来たばかりだろ?」

 店主の声だ。

「うん。いいんだ。今日は帰るよ」

 クラウはローブの中にいる私の背中を優しく撫で、そのまま肩に乗せることなく家へと戻った。


      ◆


 猫になってから、久しぶりに人間だった頃の夢を見た。それは思い出さないようにしてきた過去の記憶。


 王立劇場での観劇の直前、突然機嫌を損ねたセブリオ王子が私を置き去りにして帰ってしまった。その日の演目は王家に関する特別なもので、王族が挨拶するのが慣例となっていた。

 

 他の王族は誰も来ておらず、狼狽するだけの支配人を見かねて仕方なく王族の挨拶を替わりに行った私を、多くの貴族たちが驚きの目で見ていた光景は、夢とはいえ思い出すだけで体が震える。


 辺境伯と前王女の娘であり、王子の婚約者とはいえ「身の程知らずだ」という囁きは、後日になっても続いた。ならば、どうすれば良かったのか。その答えを父母に相談することも出来ず、私には相談できる親しい友人はいなかった。


 王族や貴族に多大な影響力を持つ父母に相談してしまえば、軍事力を背景にして問題を片付けてしまうだろう。そのことを理解し過ぎていたからこそ、私は何の相談も出来ずにいた。……思い返せば、父がセブリオ王子との婚約解消を早急に手配してくれたのは、私が初めて心からの願いを口にしたからかもしれない。


 辺境伯の娘である私は貴族の令嬢たちとは異なる教育を受けていて、幼い頃から疎外感を持っていた。

 成人してからも一年のほどんどを辺境の屋敷で過ごしていた私は、社交の場というものが苦手だった。煌びやかに着飾った貴族女性たちの話題は、最新流行の服飾や宝石。そして一際口に上るのは醜聞スキャンダル


 自らが全く非のない他者の醜聞に対して、人は過剰に饒舌となる。私は話題が醜聞になると理由をつけてその場を離れることにしていた。


 話題を共有できない私は変わり者とされ、気取っていると陰で囁かれていた。〝辺境の氷雪姫〟という異名には、感情表現や言葉が乏しく冷淡というだけでなく、さまざまな侮蔑の意味が込められている。


 誰も理解してくれなくてもいい。ただ、伴侶となる夫だけが私を愛し理解してくれれば、それでいい。たった一つの望みを胸に秘めた私はセブリオ王子だけを見つめ、努力を重ねていた。


 セブリオ王子が私を愛していたと言われても、今更な話としか思えない。一度死んだ愛は戻らない。

「セラフィ? ご飯は?」

 クラウの優しい声が、今はつらい。私はベッドの上で丸まったまま、尻尾を振って拒否の感情を示す。


「もう二日目だよ? 呪いじゃなくて、食べずに死ぬよ?」

 お腹は減っている。水は口にできても、何かを食べたいと思えない。


「セラフィ? そういう態度なら、僕も考えるよ?」

 クラウは私の脇に手を入れて、目の位置まで持ち上げた。この二日間丸まって、縮めていた体が伸びていく。


「頬じゃなく口付けしちゃうよー?」

 口を尖らせて、おどけた口調なのに、とても優しい瞳。きっと、たとえ一瞬でも私を怒らせて、元気づける為なのだろう。


 クラウは優しい。尖らせた唇は至近距離で止められていて、いつものように私が猫の爪を行使するのを待っている。

 そっと口付けるとクラウは目を丸くして驚きの表情を見せ、七色の光が私の視界を埋め尽くした。


      ◆


 視野が一気に広がった。私はクラウの手で吊り上げられている。全裸で。

 クラウがそっと私を床に降ろした。久しぶりに自分の元の足で地面を踏むと、真っすぐに立っても平衡を崩したりしないことに感動を覚える。人間の体というのは本当に素晴らしい。


 足元を見ている内に、自分の姿を再確認した。湧き上がる羞恥が悲鳴に変わる。

「きゃ……」

「うあああああああああああああ!」

 私よりも遥かに大きな声でクラウが悲鳴を上げながら、いろんなものを引き倒しつつ壁に張り付いた。


「え?」

「み、見てない! 見てないからっ! 何か着てくれっ!」

 顔を赤くして目を閉じるクラウが叫ぶ姿を見て、私は冷静さを取り戻した。とはいえ私の服は一切ない。とりあえずベッドの掛け布を体に巻きつけてみる。


「あの……」

「うあああああああああああああ!」

 目を開いた途端に、また悲鳴を上げられてしまった。……私の顔はそんなに酷いものなのだろうか。壁にある鏡を見ても以前と変わってはいない。銀色の長い髪に紫色の瞳。……キツイ性格が現れた顔。


「と、とりあえず、こ、これ、着て」

 真っ赤にした顔を逸らしながら、クラウは自分のシャツを手渡してきた。シャツは大きくて袖も長いし、膝近くまで隠れてしまう。


「……落ち着け、落ち着くんだ」

 私に背中を向けているクラウが何かを壁に向かって唱えている。

「着替えが終わりました」

 声を掛けるとクラウの体がびくりと震えた。深呼吸をした後、ゆっくりとクラウが振り向く。


「えーっと、セ、セラフィさん?」

「はい。ありがとうございます。クラウのお陰で人の姿を取り戻すことができました」

 シャツを摘まんで貴族の礼をしてもスカートではないので不格好。クラウの顔はまだ赤い。


「あははー。なんだー。口づけで呪いが解けるのかー」

「この度は大変お世話になりました。家に連絡を……」

 また七色の光に包まれて、私の視界が低くなった。頭の上に、ふぁさりとシャツが覆いかぶさる。


 シャツがクラウの手によって取り除かれると、私はまた白猫に戻っていた。

「……えーっと。……時間限定ってこと?」

 どうやらそのようだ。クラウと私は、いつまでも見つめ合っていた。

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