第9話 魔術師の宿命

 かなり早めの朝食の後、あくびを繰り返しながらクラウは畑に水を撒く。私はクラウの左肩に乗ってぶら下がっている。青い空には、赤と緑の月が輝いていて、白く小さな太陽は先程昇ったばかりだ。


「トマトはそろそろ熟しきっちゃうなー。乾燥させようかな」

 食べきれない野菜は、乾燥させて保存食にするらしい。新鮮な野菜も美味しいけれど、乾燥させた野菜は旨味が凝縮されて美味しいと聞いて、胸が高鳴る。


 ……これまで、食べ物のことでこんな気持ちになったことはなかった。泡風呂の泡を見て子供のように興奮することもなかった。

 私の中で何かが変わろうとしているのかもしれない。まさか、思考まで猫に近づいているのだろうか。


 一旦気が付くと、心が恐怖に囚われる。体だけでなく、すべてが猫になってしまうのか。

「セラフィ?」

 金色がかった緑の瞳が、私を見つめている。肩から降ろされて、胸元で抱きしめられた。爪を立てないようにしながら、震える腕で縋りつく。


「僕が呑気に野菜の世話してるから心配させちゃったかな。太陽が空に昇ってる間はこの呪いの姿が見えにくいんだ。大丈夫。僕の命に代えてもセラフィの呪いは解くよ」

 背中を撫でるクラウの声が優しい。私の為に命を掛けなくていいと言いたいのに、どうやって伝えたらいいのかわからない。もどかしさに心が焦る。


 クラウの心臓の音を聞いていると落ち着いてきた。

「あー、セラフィって、本当に可愛いよねー」

 笑顔のクラウが私に頬ずりをする。温かい頬の感触は心が嬉しくなる。


「可愛いなー」

 ちゅっという音を立てて、クラウが私の頬に口づけた。男性から手の甲以外に口づけされたことがない私は、突然のことに恥ずかしくて混乱する。


 私は、猫の爪を行使した。


      ◆


 一階の居間で、クラウは椅子に座って木箱の中身を出して確認している。私は左肩に乗せられて、一緒に木箱を覗き込む。

「これは……もう使えないかな……これは使える……うーん。全部捨てた方がすっきりするかも」


 木箱の中身は乾燥させた薬草だった。長い間木箱に入れっぱなしだったにしては状態は良くても、手に持った途端にほろほろと崩れてしまう物もある。


 箱ごと全部捨てると決めた所で、テイライドが現れた。

『また顔に怪我か。お前、顔はいいんだから大事にしろよ』

 テイライドの口は悪い。けれどもクラウの顔に伸ばされた手はとても優しくて、指先で撫でると傷が綺麗に消えた。


 クラウがお礼を言うと、テイライドが耳を赤くして目を逸らす光景は微笑ましい。

『……おい? 何か……火の精霊が外に来てるぞ。……弱っちいヤツだな』

 この家を包む結界の中に入れずに外を回っているらしい。


「うん。気付いてる。解呪の依頼だと思うんだけど、今は受けられないよ」

『珍しいな。断るのか?』


 私はクラウの頬を手で叩く。解呪の依頼なら、助けを求める人だろう。受けた方がいいと身振り手振りで表現する。


「えーっと。受けた方がいいってことかな?」

 伝わった。頭を縦に振って、頬を摺り寄せる。

『そうだな。お前は後で絶対に断ったことを悔やむだろ』

 クラウを良くしっているであろうテイライドも私の思いと同じようで安心した。


「セラフィ、くすぐったいよ」

 笑うクラウがぱちりと指を鳴らすと、淡い橙色の小鳥が居間に姿を見せた。


『お願い! 私のあるじを助けて下さい! 呪われて酷い状態なんです!』

 小鳥が言葉を話した。その声は悲痛な色を帯びている。

「えっと……主の持ち物はある?」


『これを!』

 小鳥が掴んでいた緑色の髪束をクラウの手のひらに乗せるとクラウの纏う空気が緊張したものに変化する。


「……〝術式展開〟」

 髪束から黒い光の球体が出現した。鶏の卵ほどの大きさで、複雑な模様が表面を移動している。それはまるで黒い小さな虫たちが這いずっているような不気味な光景。


『うげ。おい、それはヤバイぞ』

 テイライドが顔色を変えた。

「うん。わかってる。……セラフィ、ごめん。肩から降りてくれるかな」

 肩から降りると言っても、テーブルの上に乗りたくはない。床へと飛び降りようとしたところで、テイライドが私の体を持ち上げた。


『何にもしないから、おとなしくしてろ』

 テイライドは椅子に深く腰掛けて、私を膝の上に乗せた。


 黒い球体は、クラウの目の前でくるくると回転している。クラウは手にしていた髪の束を五つに分け、テーブルの上に乗せた。一つの束に手をかざし、聞いたことのない言語で歌う。


『あれは異世界の歌だ。音で呪いの力を抑えながら術式を読み解いてる』

 テイライドが囁く。クラウの瞳が金色の光を帯びていて、淡い金髪が風も無いのにふわりと広がる。不謹慎だと思いつつも、その光景は幻想的で美しい。


 手をかざしていた髪束が突然、茶色の炎に包まれて消え去った。テイライドから歯噛みする音が聞こえる。失敗したのかもしれなくても、クラウの表情は変化しない。歌いながら分けていた毛束の一つを引き寄せ、また手をかざす。


 毛束の三つが燃え去った時、黒い球体から1枚の皮が剥けるように溶け落ちて消えた。続いて二枚、三枚と皮が溶け落ちる。七枚目の皮は溶けずに割れて、中から茶色の光の球が現れた。


 クラウが茶色の光を左手で掴む。熟し過ぎた果実を掴んだような嫌な音がした。

「すべての闇は光の元に。我が名はクラウディオ・ロルカ。〝輝ける白の光〟を継承する者。我を主と認めよ」

 茶色の光は抵抗するように暴れている。指から漏れ出た光が、蛇のように伸びてクラウの腕を締め上げる。その牙で噛みつこうとしても、金色の光がクラウを護る。


「抵抗は無駄だ。受け入れろ」

 金の瞳のクラウが光の蛇に向かって冷たく微笑む。しばらくして、暴れていた蛇が頭を垂れた。


『勝負あったな』

 テイライドが安堵の息を吐く。クラウの手には、小さな茶色の蛇が残った。


「……この蛇を、君の主に渡してくれ。この蛇が呪いの本体を吸収して、呪いを掛けた者へと返るだろう。その時、処分するのもそのまま向かわせるのも任せる。好きにすればいい」

 金色の瞳のクラウは小鳥に小さな蛇を手渡す。


『ありがとうございます! お礼は後でお届けします!』

 蛇を掴んだ小鳥は、淡い橙色の光に包まれて姿を消した。

「……よかった。間に合った」

 深い息を吐いたクラウが椅子から崩れ落ち前るに、テイライドが動いた。膝に乗っていた私を片腕に抱き、片腕で気を失ったクラウを支える。


『……無理するなって言っても無駄だよなぁ』

 その溜息は優しい。私は床に降ろされて、テイライドはクラウを担いで寝室へと向かう。


 ベッドにクラウを寝かせたテイライドは、私を抱き上げて一階に降り、裏口の扉を開けた。どこへ連れていかれるのかと身を固くすると、くすりと笑われた。

『あいつから離したりしないから、安心しろ』


 畑の横、日のあたる温かい場所でテイライドは椅子に座るような姿勢で空中に浮かび上がる。膝の上に乗せられて、背を撫でられるけれど落ち着かない。

『お? 俺の魔力は合わないか?』

 テイライドは私に魔力を注いでいるのだと説明した。いつもはクラウが魔力を注いでいると聞いて、私は驚くしかなかった。


『魔力供給が止まると、お前は猫に近づく』

 テイライドの言葉で、私は今朝感じたことが錯覚ではなかったと理解した。金色の瞳のクラウは精霊が危険だと感じた呪いを抑え込み、支配下に置いた。あれ程の力を持っているのに解けないのだから、この呪いはとても難しいものなのだろう。


 ……猫になってしまった方が、クラウに迷惑を掛けずに済むかもしれない。項垂れた私のあごを、精霊が指先で持ち上げる。

『あいつはお前を助けようと努力してるんだ。お前が諦めたら、あいつの努力が無になってしまう。だから諦めるな』


 クラウは昔、魔女で師匠だった祖母イネスを呪いで失っている。助けられなかったことを悔いて、これまで数え切れない程の呪いを解いてきたと精霊は語る。

『時には失敗して、自分が死に掛けたこともあった。それでもあいつは諦めない』

 

 私にできることはないのだろうか。テイライドの白眼のない紺色の瞳を見つめる。

『はっきり言えば、お嬢ちゃんにできることはない。ただ、まぁ、あいつはずっと独りで生きてきたから、呪いが解けるまでは一緒にいてやってくれ。……あんなに生き生きとして笑ってるのは、初めて見るからな』

 優しい笑顔の精霊は、ほんの少しだけ寂し気な表情を見せた。


 クラウが簡単に解いたように見えた呪いは、とても強い魔力を核にしていて、呪い自体が自らの意思を持っていた。いわば人が作った精霊のようなものらしい。


 人工精霊は目的の為だけに力を使い、通常は呪った者以外の言葉を聞くことは無い。普通の精霊のように情や気分というものはないので、強い魔力を完全に使い切るまで止まらない。


 従わせるには一瞬でも自分の方が魔力があると示し、魅力的な魔力の煌めきを見せつけることが必要で、クラウの魔力はテイライドが初見で契約を望む程のすばらしい煌めきを持っている。


 呪いを解く方法は沢山あって、クラウは呪いのすべてを詳細まで読み解き、その核となったものと直接対峙する。それはとても難しい方法でも、呪われた者に何の影響も残さない優しい方法だとテイライドは語る。


 クラウは古くから続く〝輝ける白の光〟と呼ばれる魔術師の一族の末裔だった。一族は不幸な事故で命を落とすことが多く、残っているのはクラウを含めて片手で数える程しかいない。


『〝堕ちた赤〟って呼ばれる魔術師の末裔が殺して回っているっていう噂もあるけどな』

 もともとは〝輝ける赤い月〟と呼ばれていた一族は、呪詛を極めるだけでなく、直接的な手段で相手を殺すような殺人集団と化していた。〝輝ける白の光〟によって、その卑劣な実態が明らかにされ、数代前の王が粛清したものの数名が逃げたと言われている。精霊の力をもってしてもその魔力は感知できず、行方は辿れない。


『俺と契約してる限り、クラウは事故では死なせない。お嬢ちゃんは心配しなくていいぞ』

 精霊には家族はいないが、弟というのはクラウみたいなものかと思っているとテイライドは笑った。


      ◆


 クラウの目が覚めたのは翌日の朝だった。飛び起きたクラウが最初に心配したのは私のことで、ご飯とお風呂はどうしたのかと聞かれたても、どうやって伝えればいいのかわからない。


『飯は庭の生野菜。風呂は洗面所ですませたぞ』

 呆れた顔のテイライドが説明してくれた。ありがとうと頭を下げれば、精霊が少し乱暴に私の頭を撫でる。幼い子供のような扱いは、猫になる前なら反発していただろう。クラウの兄と思えば、気にならない。


『おい、起き抜けにそんなに食うのか?』

 クラウの用意した朝ご飯の量に、テイライドが引いている。私も少し驚きながら、テイライドの膝の上に乗っている。


「うん。かなり魔力を削られたからね。無理にでも食べて血を増やさなきゃ」

 溶けたチーズを乗せた薄切りパンに目玉焼き、薄切りのソーセージとトマトを重ねて、さらにパンを乗せる。テーブルの上には料理や野菜が山盛りになった大きな皿が三枚置かれ、大きなカップには温められたミルクが入っている。


 私はテイライドに手伝ってもらいながら食事を済ませて、クラウの食事を見守る。細身の体のどこにこの料理が入るのかと思っても、クラウは次々と皿を空にしていく。


『……魔力回復にはいろんな方法があるのは知ってるが……すげえな』

 魔力が見えるテイライドには、底を付いていたクラウの魔力が急激に元に戻って行くのが見えているらしい。


「師匠直伝だよ。試したことはなかったけどね」

 クラウが笑いながら、最後の一口を食べきった。意外と食べられるものだとクラウ自身も苦笑している。


「さて。町に買い出しに行かなきゃいけないかな。おいで、セラフィ」

 差し出された腕に、私は喜んで飛びついた。 

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