第7話 新しい神官

 昼食を終えて裏庭の大鍋に戻ると、うっすらと灰色の脂の膜ができていた。クラウは鍋の下から白い灰をかき出して、鉄でできた箱に移していく。

「脂が固まるまで時間かかりそうだね。黒色輪熊の方を処理しておこうか」

 そう言ったクラウは、テイライドと連れ立って柵を飛び越えた。


 黒色輪熊の体と手足は木の枝にぶら下げられていて、血だまりができている。血抜きをしていたのだろうか。

 山のように大きな魔物だと思っていたのに、クラウの肩の上から見ると、それほど大きいとは思えなかった。腕と脚が斬られているからかもしれない。

 体を覆う黒い毛皮は炎に耐性があり、この毛皮で作られたマントは王族でさえ購入することを躊躇する程の高額品。


「セラフィ、魔物の肉、食べたい?」

 クラウの言葉に、首を横に振る。魔物の肉は毒だと言ったばかりではないかと、私は非難の目を向けた。

「ああ、もちろん、町の神殿に持ち込んで聖別してもらってからだよ」

『ん? あの町の神殿の神官は、長いこと不在じゃなかったか?』

「最近、新しい神官が来たって町で聞いたよ」


 クラウは黒色輪熊の頭を剣で斬り落とし、体をいくつかに斬り分けた。

「あ、血は抜けてるねー」 

『おう。固まると面倒だろ? だからぶら下げておいた』

 得意げな声を上げるテイライドが、小さな子供のようで笑ってしまう。

「ありがとう。大助かりだよ」

 クラウも笑いながら、二人で黒色輪熊を袋に詰めていく。大きな袋が一つ、小さな袋が二つになった。


「後で持っていこうかな。早い方がいいよね」

『そうだな。俺はあの神殿はいけ好かねーから、行かねーぞ』

 前の神官は女神に仕える聖職者でありながら、金と権力を使って贅沢三昧。最期は腹上死だったと町で噂されていて、実際は最高位の光の精霊の怒りを受けてバラバラにされたと、テイライドが語る。


『未だに精霊の怒りの力が残ってるからな。よっぽど怒らせるようなことしたんだろ』

「うわー。だから新しい神官が来なかったのか。全然知らなかったよ。どんな人が後任になったのかな」

『曰く付きの神殿に赴任するヤツは、面倒を押し付けられた気の弱い馬鹿か、神官職についていながら神力なんてない馬鹿だろ。あの怒りの力を感じたら、普通の人間は断る』

「是非とも良い人であることを願うよ」


 袋を持って戻ってくると、大鍋には灰色の脂が固まっていた。脂を大きな柄杓ですくい、水を捨てた鍋の中へと戻す。肉は美味しそうな匂いだったのに、脂の匂いは酷い。作業直前、口元に巻かれた布は気休めでしかない。


『魔物の脂で石けんを作るなんて聞いたことねーぞ。お前の師匠って女だったよな? 魔物を狩る為に魔性とでも契約してたのか?』

 魔性というのは、悪魔とも呼ばれる恐ろしい存在。精霊よりも強力な魔力を持ち、気まぐれにその力を使って町や国を滅ぼすこともある。

 その存在自体が魔力で出来ていると言われていて、多くの魔術師が契約を試みて命を落としている。


「うーん。魔性と契約してても不思議はなかったけど、それは聞いたことないなぁ。師匠は気が向いたら、ふらっと森に入って、魔物狩ってたよ」

『おい、えらく怖えぇ女だな』

「剣も師匠から習ったんだ。『見た目より効率』が信条の人だったなぁ」

『マジか』

 テイライドが驚くのも無理はない。通常、魔物狩りは人死にが出る程の危険なもの。領地で数匹でも魔物が出た場合は、小隊五十名を二つ三つ出すことも不思議ではない。


 一番危険なのが熊に似た黒色輪熊、次が狼に似たフェデストス。魔女とはいえ、たった一人の女性がフェデストスを狩るなんて常識からかけ離れている。


 大鍋に戻された脂を熱すると、溶けて透明な液体になった。

「火を止めて、この灰と水を混ぜたものを、少しずつ入れるよ」

 白い灰は、キザンという草とサジという木の灰だった。

『えらく適当だな』

「一応、分量通りに作ってるよ」

 クラウの言葉でよく見れば、灰を入れていた鉄の箱にも大鍋にも一定の間隔で線が刻まれている。これで量っているようだ。


 クラウとテイライドが交代で大きなヘラを使って、鍋の中身を混ぜていると、徐々に色が白くなり、粘度が増してきた。

「あとは型に流し込んで、乾燥だね」

『どのくらいで出来るんだ?』

「約一ケ月乾燥させれば出来上がりだよ」

『は? んなもん、魔法で乾燥させろよ』

「あー。それでもいいみたいだけど、割れやすくなるから、なるべく時間かけろって書いてあったよ」

 石けんができるまで一ケ月も時間が必要だとは知らなかった。


 木で出来た大きな型に次々と白い液体が流し込まれていく。型を少し上から落として空気を抜き、表面を木で平らにならして積み上げる。

「倉庫に運ぶよ。手伝ってくれるかな」

『おう。任せとけ』

 大きな型を指先で回しながら持ち上げたテイライドは楽しそうで、私も手伝いたいと思うのに猫の手では何も手伝えない。

「セラフィには、出来上がりを確認してもらうっていう、重要なお仕事があるからね」

 クラウの言葉に喜んで頷いてみたものの、冷静に考えてみれば、それは私を洗うと宣言しているようなもの。

 恥ずかしくなった私は、クラウの顔をひっかいた。


      ◆


「よし。神殿に行ってくる」

 黒いローブを着たクラウは、一番大きな袋を肩に担いだ。私は反対側の肩に乗っている。

『えらい変わりようだな。何をどう言っても町に行こうとしなかったのに』

「本当は行きたくないんだよねー。できれば家にいたいよ」

 テイライドの驚きに苦笑を返して、クラウは町へと続く倉庫の扉を開いた。


 扉の先は、前回と同じ狭い路地。大きな袋を担いでいるので、脱出するのも楽ではなかった。行き交う人々を避けながら、賑やかな町を歩く。

 しばらく歩くと緑が多くなって、石畳が灰色のレンガに変わる。硬い石畳と違って、道に使われるレンガは柔らかくて歩く際に体に優しいと言われていても耐久性は低い。頻繁に替えることができないと、すぐに見た目が悪くなると聞いているのに、綺麗に整っている。神殿に寄進する信者が多いのか、それとも人が来ないから綺麗なのかは判断が難しい。


「ここがこの町の神殿だよ」

 私は、灰色の石で造られた荘厳な建物に驚いた。領地にある神殿は白い石でできた建物で、もっと簡素な造り。周囲には石で池が作られていて、神殿が逆さに映り込んでいる。

 

「はー。緊張するなー」

 神殿の入り口で、クラウは深呼吸を繰り返す。神殿と魔術師は相性が悪いらしい。

「何かお困りですか?」

 優しい男の声が突然聞こえて、深呼吸していたクラウが咳き込む。振り向くと、三十前後の紺色の髪に碧の瞳の男が微笑んでいた。

 整った顔立ちの男は細身で、白い神官服を着用している。

「あの、魔物の肉の聖別をお願いしにきました」

 咳を抑えながらクラウが告げると、男は自分が神官だと言った。

「先日、こちらの神殿に参りました。神官フィデル・セルバンテスです」

「クラウディオ・ロルカです」

 挨拶を交わすと、フィデルの視線が私へと真っすぐ向かう。

「……その白猫は?」

「預かっている猫です」

 クラウは微妙に返答を逸らした。

「その猫から神力を感じます。これまで猫が神力を持っているなどということは聞いたこともありません」

 碧の瞳に射抜かれるようで怖い。私はクラウの肩に強くしがみつく。

「大丈夫だよ」

 クラウは笑って、私の背を撫でた。 


「今日は、魔物の肉の聖別をお願いしに来ました」

 クラウは強引に話題を変えた。フィデルの視線は私から、クラウが地面に降ろした布袋へと向かう。

「魔物の肉、ですか?」

 袋を開くと、フィデルが驚愕の表情を見せた。

「これは黒色輪熊ですね。まさか、貴方独りで狩ったのですか?」

「いいえ。違います。僕は運んできただけです」

 クラウの声と表情は、いつもと同じで柔らかだけれど、どこか緊張している。

「肉が少し手に入ればいいので、残りは神殿に納めます」

「それは、ありがとうございます。そうですね。聖別だけなら三日もあれば完了します。干し肉にするなら一ケ月です」

 フィデルに三日後に取りに来ると約束して、クラウは神殿から足早に離れる。


 視線を感じて振り返ると、フィデルは私に向かって、どこか不吉な笑顔を見せた。

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