第5話 魔物狩り

 クラウの家から、かなり離れた黒い森の奥に私たちはいた。明るい空の下なのに、森に広がる空気は暗くて重い。

「えーっと。セラフィ、この魔法陣の中にいてくれるかな」

 魔法陣を岩の上に描いて、クラウが私を肩から降ろす。本当はクラウから離れたくても、これから行うことを考えれば、私は足手まといにしかならない。


 イネスの石けんに使われている獣油が、狼に似た魔物――フェデストスの脂だと知ったのは、つい先程。フェデストスという正式名称を口にすると魔物を呼び寄せると昔から信じられているので、読み書きのできない一般国民には名前を知られてはいない。

『魔物狩りなんて、久々だな!』

 水の精霊テイライドは嬉しさを隠せないようで、先程から落ち着かない。

「そうだねー。何年ぶりかなー」

 苦笑するクラウは、生成色のシャツに黒いズボン、茶色い皮のロングベストという出で立ちで、細身の剣をベルトに下げている。あの細腕で剣を使うことができるのだろうかと心配でたまらない。


 クラウが肉屋で購入した鹿の肝臓を木の枝に刺してぶら下げる。剣で数回突き刺すと、周囲に濃厚な血の匂いが漂う。

『来たぞ!』

 正面の茂みの中から黒い魔物が姿を見せた。それほど大きくはない。赤い目がぎらぎらと光っていて、鋭い牙を剥く。

 一匹なら……と安心した途端に、茂みから次々と魔物が姿を見せた。正面からだけでなく、後ろにもいる。いつの間にか魔物に囲まれていたらしいと気が付いて、私は震えた。黒い魔物たちが舌なめずりをしながら、赤い不吉な舌を見せつけている。


 三匹の魔物がクラウに向かって飛び掛かる。それを合図にするように、次々と魔物が襲い掛かってきた。魔法陣の中にいる私には、一切向かってこない。おそらくは感知できないのだろう。


 クラウが剣を振るう姿は、正直に言って頼りない。剣速もなく、ぶれることも多い。クラウの背中合わせに立つ精霊は、煌めく水を刃にして魔物を斬り裂いている。

 人の味を知らない魔物が人を襲うことはないのに、魔物の赤い目はクラウに向けられている。間違いなく、この魔物たちは人の味を知っている。


 数が多すぎる。私は戦慄するしかなかった。精霊が一緒にいるとはいえ、たった二人で五十匹近い魔物と対峙するなんて、無謀な戦い。何かできないかと辺りを見回しても、猫の体では剣も弓も持つことはできない。


「セラフィ! 動かないで!」

 剣を振るいながらクラウが叫び、私は後悔した。戦っているクラウの集中を欠くようなことをしてはならない。魔法陣の中央に戻って硬直する。


 静かにクラウの動きを見ていて気が付いた。ふらふらとしているように見えても、確実に魔物の爪を避けている。刃には水色の魔力光が絡みついていて、軽く薙ぎ払うだけで、魔物に傷を負わせている。

 その姿は遠い外国にいるという魔法騎士という言葉が頭をよぎる。


 次々と魔物が倒れても、クラウの顔色が悪くなっていく。見ているだけで何もできない自分が悔しくてたまらない。心の中で応援しながら無事を願い続ける。

『多すぎるだろ!』

 精霊は苦笑しながら、魔物を屠る。精霊も疲れ始めているのか、動きが鈍い。

「そうだねー。ちょっと多いかなー」

 ふらりと爪をかわすクラウの言葉はいつもの調子。


 クラウの剣が不思議な動きを見せるようになり、一撃で魔物が倒れ始めた。魔物の急所を狙っているらしい。魔物の心臓ではない場所を剣で貫く。

 その姿に、魔物たちが怯えるようなそぶりを見せる。実際、何匹かは尻尾を巻いて逃げ出していった。


 最後の魔物が倒されて、私は安堵の息を吐く。

「セラフィ。ちょっと待ってて。血を拭くから」

 疲れ果て、魔物の血にまみれたクラウが、剣を納めて息を整えていた。精霊は魔法で魔物の死体を数えながら積み上げている。

 死体は山のようになり、周囲の木々や草は真っ赤な血に染まっていた。血を吸い込みきれない場所には血だまりができている。

 辺境伯の娘である私は、戦場の血は怯んではならないものだと教えられてきた。私は魔法陣から出てクラウに駆け寄る。


 あと少し。クラウにお疲れ様と伝えたい。そう考えた途端に、左横の茂みが揺れた。反射的に立ち止まって視線を向ける。

 目の前には、大きな黒い影。熊に似た姿は、魔物の中でも一番凶悪な黒色輪熊。絵でしか見たことのなかった姿が立ち上がり、山のようにそびえ立っている。


「セラフィ!」

 クラウの叫びと同時に私の体を衝撃が襲い、私の意識は唐突に途切れた。


      ◆


 僕は魔物の爪を受けようとしていたセラフィを辛うじて掴んで引き寄せた。

あるじを護れ! 流星刃!」

 セラフィを胸に抱きしめて、僕は非常用として用意していた攻撃魔法を放った。水と光が混ざる煌めく刃が、人の背よりも大きな黒色輪熊の四肢を切断する。

 いくら狂暴な魔物といえども、四肢が無ければ動くことはできない。それでも、魔物は血をまき散らしながらのたうち回り、牙を剥いている。

 魔物はまだ死んではいない。油断して近づけば、その牙で斬り裂かれるだろう。


完了エンド!」

 攻撃魔法の終焉符を詠唱すれば、水と光の槍が魔物の急所全てを貫いた。魔物が完全に息絶えたことを確認して、僕は地面にへたり込む。

 腕の中のセラフィは気を失っていた。くたりと力の抜けた猫の体は軽くて小さい。護ることができて良かったと、僕は安堵の息を吐く。

 

『……お前、この女に入れ込み過ぎだろ。主はこいつか』

 近づいてきたテイライドが大袈裟な溜息を吐いた。やはり精霊には隠しきれない。

「魔力供給を止めたら、猫化が進むんだ」

 セラフィに掛けられた呪いの八十階層まで解読した途端、猫化の速度が加速した。僕は咄嗟にセラフィに常時魔力供給できるようにと、魔法による主従契約を結んだ。

 主従契約を結ぶと、主は必要な時に魔力を従者から奪うことができ、従者は自らの意思で主に魔力を捧げることができる。

 今、僕は従者として、主であるセラフィに魔力を注いで猫化を阻止している。


『猫化が加速するのは、その呪いを解こうとする者への挑戦だな』

「あー、やっぱり、そう思う?」

 僕が苦笑するとテイライドも苦笑した。 

『ま、最期までやってみろ。俺が見届けてやる』

 にやりと笑ったテイライドは、僕を立ち上がらせようと手を差し出した。


『流石にもう魔物はこねーだろ』

 魔物の血は、魔物を避ける効果がある。一番強力な黒色輪熊の血が飛び散るこの場所は、しばらくは魔物が寄り付くこともないだろう。

「あー。汚れちゃったなー」

 血塗れのまま、セラフィを抱きしめてしまったので、白い毛皮が所々赤く染まっている。

『魔物は家に運んでやるから、先に帰ってていいぞ』

 テイライドの提案に、僕はありがたく乗ることにして、家路についた。


 暗い森を抜けて家が見えると、ほっとした。

 誰もいない家に帰ることが嫌いだった僕は、出掛けることが億劫になっていた。他にも出掛けなかった理由はあるけれど、今は腕の中の小さなぬくもりが寂しさを和らげてくれている。


 小さくて可愛いセラフィは一生懸命何かを僕に伝えようと努力してくれているから、僕もなるべく言葉にするようにしている。これまでは、何ヶ月もまともな言葉を発しないこともあった。そのうち、話せなくなるんじゃないかと思ったこともある。


 人との付き合いを避けて家に引きこもっていた僕に護りたいものが出来た。ただ、それだけのことが心から嬉しい。呪いを解くまでの短い間でも、一緒にいられる幸運をただただ大事にしたい。


 扉を開けて、魔法灯を点けると床の黒い汚れが気になった。そうだ。明日は床掃除をしよう。師匠が残した雑巾が、木箱にいっぱい入っているはずだ。

 家の中の大部分を塞いでいる木箱は、師匠の物ばかりだ。師匠は呪いの身代わりを受けてから、とにかくいろんな物を溜め込んで、箱ごと僕に残した。

 この十五年、僕はいくつかの箱の中を確認しただけで放置していたのに、全部を開けてみようという気になっている。


 二階に上がり、服のまま浴室へ入ってセラフィの体を洗ううちに、血に汚れたままの服を着ていると効率が悪いと気が付いた。セラフィを一旦、タオルの上に寝かして、服を脱ぐ。

 セラフィに逃げられてから、タオルとシーツは洗濯した。確かに一月ほど洗濯していなかった。見た目が綺麗なままだったから、大丈夫だと思っていたということもある。セラフィは猫だからか、匂いに敏感だ。


 自分の体を洗ってから、気を失って柔らかいセラフィを落とさないようにと慎重に洗う。泡に包まれたセラフィが可愛く思えて仕方ない。猫に欲情したら変態だと思いつつ、洗い終えた。


「よし。綺麗になった」

 濡れた白い体を胸に抱きしめた途端に、その紫色の瞳が開いた。

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