モナリザとわたし

@Wednesday1029

SideA





「モナリザってどう思う?」

「どうって何が?」


鉛筆を止めて彼女を見る。


美術部員の私と絵の話をするのが少し照れ臭いのか、

ポーズモデル用に渡した本から、すこしだけ顔をあげて話しかけてくる。




「すっごく有名な絵だけど芸術家的にはどうなのかなーって。」

「私、別に芸術家じゃないけど、絵だって別にうまいってほどじゃないし……」

「またまた、こういうのは本人より友達のほうがわかるから」

友達か……

言葉にはせずに彼女の問いに答える。




「モナリザはそんなに好きじゃないかも」

吹奏楽の音に負けないように少しだけ声を張る。


「そうかなあ、私、結構好きだけど」

「だって15年も同じ絵を描いてたって聞いたことあるよ。」

「そんなに描いてるなんてすごいよね。」

好きなところそこなの?と思ってしまう。


「そもそもあなた、モナリザくらいしか、知らなないんじゃないの?」


私は鉛筆を止めずに彼女の方を見る。

しんとした美術室の中に鉛筆が紙にこすれる音だけが響く。


六月の放課後。

遠くのグラウンドからは野球部の声がかすかに聞こえる。

上階からは吹奏楽部の音合わせ。どことなく気だるげな音。


「んーばれた?あなたの絵が一番好きで次はモナリザ。」


屈託のない笑みで答える。

昔からずっとこの調子だ。私の絵が一番好きなんてあるわけないのに。

不意に顔を上げた彼女の目と真正面からぶつかる。

「ちょっと、こっちみてないでちゃんと本読んでてよ、描けないじゃない」

照れ隠しについ、強い口調になった。


彼女の瞳を見るたびに、自分の目とは何もかも違うと思い知らされる。

上品に淹れた珈琲のような深く透明感のある色。

西日が、澄んだ琥珀の湖に、より深いゆらめきを加えている。



赤くなった頬をごまかそうとそっけなく答える。


「もともと、ルネサンス絵画はそんなすきじゃないんだ」

「好きな作家もいるけど、話すと長くなっちゃうから」

「そっか」


「それより、手は大丈夫?」


「まあね」


彼女の手に巻かれた包帯を見ながら、私は思い出していた。

彼女との出会いは中学のころ。

何もかも間逆な彼女とは不思議と話が合った。

何でもできて学校の人気者の彼女と、冴えない美術部員の私。

でも、私のつたない絵をほめてくれたのだ。

絵なんかよりずっと素晴らしい瞳をキラキラさせながら。

私も彼女の試合には毎回足を運んだ。

前の方で応援なんて無理だから後ろの方でそっとだけど……

でも高校に入ってからは彼女は全国区、ううん

世界にも届く才能を開花させた。

つりあわないどころの話じゃない。

それで私からは話しかけることはなくなった。 

彼女は最初の頃は話しかけてきたけど、忙しい身だ。

今は時々挨拶をするくらい。


そんな彼女がこの春に怪我をした。

詳しく聴くのは怖かった。

結構重いみたいだったから。


GWを少し過ぎたその日はたまたまリハビリもなかったのか、

彼女は放課後の教室でひとり退屈そうに外を眺めていた。

その姿を見てつい声をかけてしまった。


「ねえ、暇なんでしょ?」

「絵のモデルになってくれないかな」

 精一杯の声で、昔のように。

高校に入ってから、まともに話してなかったのにどうしてだろう。

気づいたらそんな言葉が口から出ていた。

彼女は満面の笑みでOKをくれたのだ。

昔と変わらない笑顔で。


モデルを頼んだことを少しだけ後悔しはじめていた。

すらっとした肩から上腕の流れがうまく描けないのだ。

何度も消しゴムをかけてしまう。それを察したのか彼女が再び話しかけてくる。


「モナリザって、お金持ちの奥さんを書いた絵なんでしょ?」

こちらをみないように本に目を落としたまま話しかけてくる。



「そうね。ジョコンダ夫人がモデル最有力かな。」

「ダヴィンチの理想の女性を書いたって言う人もいるけどどうだろ」

「もし理想の女性を描くならもっと美人に描くかもね」

「他にも四枚のモナリザがあるって言われてて……」

「一枚は依頼主に、もう一枚はダヴィンチがもってたのかなって。ほかの二枚は……」


まくしたてるように話して、口をつぐんだ。

彼女をそっと見る

ふんわりと微笑みながらページをめくっている。


彼女が応える。


「その人のこと好きだったのかな?ダヴィンチさん」

「それとも純粋に絵を描くことがすきだったのかな?」


「どうだろうね」

「好きだったんじゃないかな」

どちらが好きだったかとは言わずに、私は続ける。


「おんなじ絵を15年も描くなんて好きじゃないとできないと思う」

「ダヴィンチならできるのかもしれないけど」


「無理、わたしには。」

「無理」

言い訳のように強く言ってしまう。



再び流れる沈黙。

鉛筆の走るリズムと、吹奏楽の音が不思議なハーモニーを奏でる。


「怪我が治るまでに仕上げてくれないとこれなくなっちゃうね」

包帯をそっと指でなぞりながら彼女はいう。


「ゆっくり描いても一ヶ月くらいだから」

「ちゃんと完成するから大丈夫」

「それまでに怪我なおしなよ」


「ずーっと描いてもらいたかったのになぁ」

吹奏楽部の出す音にかき消される声。


「よく聞こえない」


「なんでもないよ」

ほんの少しだけ強い口調の彼女。


ポツリと呟く。

「けが、治るかなあ」


「治るに決まってるでしょ!」

「だからリハビリの日は絶対に来ないで、甘やかさないから」


「ちょっとうれしい」

「なんだかその言い方、昔みたいだ」




私は、照れ隠しにまた窓の外を見てしまう。

誰もいない校舎が目に入る。別世界のようだ。

まるで、世界に二人だけのよう。だからだろうか。

いつかの時間が戻ってきたように感じてしまう。


「もし……治らなかったら……ずっと描いてあげるから」

「私だけはあなたを……見ているから」

放課後の教室で一人外を見ていた彼女に言いたかった言葉を

誰にも聞こえないようにつぶやいた。



その瞬間、世界から音が消えた。

私の声だけが美術室にこだまする。


慌ててごまかそうとする私。


彼女の顔がぱっと明るくなる。


「絶対に描いてね?約束だよ」

「でもひとつだけ違う、治らなかったら、じゃない」

「治ったら、だよ。怪我が治ったら」


「えっ」

意味が理解できずに聞き返す。


「私、ちゃんと怪我を治すから、そしたら私の絵をずっと描き続けて欲しい」

「絵を描くことをやめないで欲しい」

「あなたが描く絵、好きだから」


「ずっとずっと描いてほしい」


「ほらさっき、ダヴィンチさん、二枚描いてたって」

「一枚は、ね?私もらうから」


「もう一枚」

「時々、気が向いたときにすこしずつでいいから描き続けてほしいんだ」

私とは目を合わせずに、つぶやくように先を続ける。


「そしたら今日のこと、忘れないでしょ?」

風の中に消え入りそうだった。


「わかったよ、描くよ」

とつい、勢いに任せて言いたくなる。


「は!描くの私じゃん!」

自分でもびっくりするような声が出た。


「違うよ!私も頑張るから」


何が違うというのだろうか。

不思議と笑いがこみあげてきた。

つられて彼女も笑う。

楽器の音と白球を追う声が再び聞こえる。

でも二人の世界がかき消されることはない。


「あなたがずっと絵を描いてくれたら」

「わたしもきっとがんばれるから」


綺麗に日焼けした頬が真っ赤に染まっている。

西日のせいだけだろうか。


未来の夢を見る。


世界的に活躍する彼女。

それを見ながら、筆を取る。

あの頃と変わらない笑みがこちらを見返してくる。

その瞳に照れて窓の外を見る。

六月、繰り返す新緑の季節。

自分の描いた絵に惚れるなんてとんだピュグマリオンだ。


今度は、まっすぐに彼女の目を見て伝える。


「いいよ、描くよ」

「描き続けるよ、わたし」

「ふふっ案外、私のほうが活躍してるかもよ?」

夢を語り合ったあの頃のように、何の含みもない言葉。


かつての私といつかの私が今、出会うのを感じる。


私は筆を取る。今もそして未来も。

そこは静寂の世界。でも生命にあふれている。

湖を船が渡り、南を目指す鳥が飛ぶ。

私も飛べるだろうか。


ううん、たとえ飛べなくても構わない。

彼女とともに行くのだ。


自信なんて、ない。そんなものなくていい。

この瞬間を永遠にしたいという想い、それだけがあれば。


私は旅をするのだ。空を飛ぶ彼女を追いながら。

この気持ちだけは誰にも負けないように。

たとえダヴィンチにだって負けないように。

私にとってのモナリザは彼女なのだから。


鉛筆を動かす。

彼女と私の心がつながるのを感じる。

私は描くのだ。


6月の夕暮れ。冷たい風が頬をなでる。


「すこし冷えてきたね。明日は雨かな」


「きっと晴れるよ」


「ほら」


「夕焼けがこんなに綺麗」

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