年を留めた男

京本寿和

第1話酒と煙草

  紫煙を燻らせるたび時計の針に目をやるが、時計が壊れているのではないか、という疑問が頭に浮かぶばかり。今私は人生の中で最も遅い時の流れに苦しんでいる。あと五分がなかなか経たない。何本目の煙草だろうか?肺が痛くなってきた。

 私は人生の分岐点に立っている。あと五分で掲示板に単位取得者の学籍番号が貼りだされる。気を紛らわすために喫煙所でタバコを吸っているが、この場所には崖っぷちに立っている学生が多く押し寄せ、重い空気が流れていた。煙草を吸い終わり、新しい煙草に火をつけた。外がざわつき始めたため、煙草を半分残しながらも、火を消し掲示板の前へ向かう。足取りは重く遅いのに対し、鼓動は早くなるばかり。人生が分岐する。

 掲示板前には学生が集まり、みな自分の番号を探していた。悪いが一年生が何をそんなに騒ぐのか俺には全く理解できない。溜まるな。いなくなれ。消えろ。邪魔だ。見えない。学生を掻き分けよやく文字が見える距離にたどり着き自分の番号を探した。あった。あった。あった。あった。しかし、無かった。必修の単位が二つなかった。俺はその場に崩れ奇声を上げた。周りの学生は驚き、こちらに目を落とす。あぁ。あの人はダメだったんだとみな思ったことだろう。私の卒業が危ういのは有名だ。奇声を聞いた友達が、私のもとに駆け付け肩を貸してくれた。大丈夫。一言そう伝えいったん私は後ろへ下がり、そこで座り込んだ。二月の終わり。凍えるような寒さの雪の日に、もう一年この校舎に通うことが決まった。

 昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り響き、私は集中講義を行っている教室に戻った。出欠確認の点呼が終わり、講師が金本位制について話し出すが、内容が頭に入ってこない。ペンを持つ手に力が入らない。講義などどうでもいい。そう思い、教授が板書をしている隙に、もう一度確認しに行こうと席を立った。周りを見ると多くの学生が立ち、出口に向かっている。考えることはみな一緒だ。

 掲示板前にはまだまだ学生が多く溜まっていた。一年消えろ。邪魔だ全員消えろ。掲示板の紙をもう一度確認する。やはりない。しかしあることに気づく。英語リーディング演習の紙に二年生全員分の番号がない。近くに英語リーディングを共に受講していた二年生が居たので話しかけてみた。

「コバ。お前も落とした?英語。」

すると力なく

「ないね。番号。」

と短く答えた。二年生が全員落としていることを伝えると

「何かのミスかもしれないから支援課に聞いてみよう。」

と返ってきた。

ともに支援課に赴き、ミスがないのか、本当に二年全員落としているのか、本当に我々は留年決定なのか、支援課の人間に尋ねたところ

「紙にそう書いてあるならそうなんじゃない?先生のほうからミスがあると連絡があれば訂正するけど、今のところはない。諦めな。」

冷たい言葉に聞こえるが、余計な励ましは苦になると知っているからこその言葉なのだろう。しかし余裕のない人間は、その言葉に怒りを覚える。青い。同時にこれ以上の抗議に意味がないことも理解している。私たちは支援課をあとにした。

 親に連絡をするのが先決なのだろう。普通はそうするはずだ。集中講義の最中でもある。講義に出るべきだ。だが、私はそのままコンビニへ向かい、ストロングチュウハイを三缶買って家に帰った。三缶を飲みほしても、意識が鮮明なままだ。家に置いてあるワイルドターキーとアマレットでゴッドファーザーを作り、飲む。飲む。飲む。何杯か飲んだ次の記憶は布団で横たわる記憶。途中から記憶がないが、テーブルの上には空になったワイルドターキーがあった。時間を見たら二時。夜中に目が覚めた。どうせなら朝まで眠っとけ。頭が痛い。世界が回る。とりあえずタバコに火をつけ、一吸い。そこで気づいた。薬を飲み忘れたことに。この薬は二か月ほど前から飲み始めた薬で、飲まないと正気が保てない。後期学校に行けなかったのは鬱のせいだ。体が動かなくなり、食欲もなくなり、寝れない日が続いてようやく病院に行きもらった薬。おかしいという感覚は、自分では気づかないものだ。周りの指摘で気づいた。向精神薬と睡眠導入剤を飲み、もう一度寝ようと試みる。眠れない。眠剤をもう一錠飲む。一時間たっても眠れない。もう二錠取り出し、ウォッカで飲む。まだ眠れる気がしないので、ウォッカをもう一杯。ストレートは流石においしくないが、カクテルを作る気力も、余裕もない。流し込む。少しすると意識が遠のく感覚。やっと寝れる。そして、俺はようやく眠ることが出来た。

 翌朝八時半。集中講義期間中朝起こしに来てくれるモリタカがうちに来た。体をゆすられ、目を覚ます。

「お前酒臭いな。昨日どんだけ飲んだ?大丈夫か?」

心配してくれたのだろう。ありがとう。

「大丈夫。悪いんだけど水くれ。」

頭が痛い。とりあえず水を持ってきてもらい、一気に飲み干す。

「ありがと。少ししたら行くよ。先行ってて。」

モリタカは、分かったと一言。そのまま学校に向かった。小さな学校だ。おそらく何が起こったか分かっているのだろう。俺を見てすべてを察したのだろう。ありがとう。起こしてくれたけどごめん。行く気が起きない。今日はさぼるよ。ごめん。などと考えていると、涙があふれた。泣きたいわけでも何でもない。でも、溢れて止まらなかった。

 昼過ぎ。さすがに親に連絡をしなければまずいと思い、スマホを手に取った。LINEを開くと親からの通知が溜まっていた。発表の日程を伝えていたし、向こうも気になったんだろう。しかし親から二桁の通知。不在着信。なんと伝えるのが良いか急に分からなくなった。話すのが怖くなった。とりあえず、煙草を手に取り火をつける。落ち着かない。また視界がかすみ始めた。悲壮感からではなく、恐怖によるものだろう。結局電源を消し、床に置いてしまった。

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