第六羽 才能とわたし

 第六羽 才能とわたし


 わたしは努力を惜しまない。


 朝早く、収録スタジオが開くよりも早く私はスタジオに到着する。

 朝一の収録では大御所ほど早くスタジオについていたりする。


「おはようございます!」


 わたしは子どもらしく元気に挨拶する。


「おはよう。ゆずちゃん。早いね」


 超人気声優の古畑さんは私よりも先に来ていた。

 冬の寒空の中、わたしが来るまで真剣に台本を読んでいたのだ。

 わたしはひどく声をかけづらかった。

 それほどの切羽詰まった表情をなさっていた。


「いえ。古畑さんこそ」


 わたしは気の利いた話でもできれば、と思う。

 でも、わたしはよく女性声優さんなどがしている気軽なトークができない。

 真面目過ぎるのだろう。


「古畑さんはどうしていつもこんなに早いんですか?」


 古畑島根は今や声を聞くだけで誰かが何らかのキャラクターをイメージすることができるほどの声優だった。

 まだ小学生のわたしなんかが気軽に話してもいい存在ではない。


「いやあ、なんだかいつもの癖で早く起きちゃって。ほら、僕たちって朝早くて夜遅いのが普通だから、つい、睡眠時間が少なくでも活動できるようになっちゃって。って、ゆずちゃんはまだ小学生だから、夜遅くまではやらないのか」

「そうですね。まだ夜までやったことはありません」


 それに、朝から夜までぎっしりとスケジュールが詰まっている古畑さんならではの習慣だろう。


「ゆずちゃんは今日、学校休むの?」


 今日は平日だった。


「収録が終われば学校に向かいます」

「そっか。じゃあ、みんなで撮り直しをしないように気をつけなくちゃね」


 そんな風に言われると、緊張してしまう。

 いつも足を引っ張っているのはわたしだからだ。

 そんなわたしの心境を察したのか、古畑さんはこう提案した。


「みんなが来るまでだけど、ちょっと読み合わせする?」

「お願いします」


 わたしは深々と頭を下げる。


「いや、そんなかしこまらなくても」


 いや、かしこまらなければならない。

 日本の未来を背負って行く若手声優の王様が古畑さんなのだから。


 わたしと古畑さんは台本の読み合わせをする。


 役は、わたしが主人公の女の子の友達で、古畑さんは主人公の女の子のお父さんだ。

 こんな甘い声のお父さんがいていいはずがない、とわたしは興奮して鼻息を荒くする。


 役を見て分かる通り、わたしと古畑さんの絡みはそれほど多くはない。

 もしかしたら、今回の収録だけが唯一のやり取りになるかもしれなかった。

 わたしはレギュラーキャラであるが、古畑さんは出演しない回もあるのだそうだ。

 それでも古畑さんは毎回収録には顔を出している。多忙の中である。


「うん。メアリちゃんの性格をよく理解して演じれていると思うよ。さすがゆずちゃん」


 わたしは古畑さんに頭を撫でられる。


「でも、まだ、お父さんとメアリちゃんの関係性がよく分からなくって」


 友達のお父さんと娘の友達という関係はやっぱり難しい。

 お父さんは優しい人だというのは分かるが、わたしはその優しさをどう受け入れればいいのか、まだ戸惑っている。


「友達のお父さんと接するような感じでいいんじゃないかな?ゆずちゃんはいつもどんな風に接してる?」

「お友達、いないです」


 その言葉を聞いて、古畑さんは少し慌てる。


「そうだ!じゃあ、今から僕と友達になろう。うん。それがいい」

「小さいお友達がいるんですね」

「なんだかそう言われると、凄く心にくる何かがあるよ……」


 わたしは古畑さんの好意が嬉しかった。


「そうだね。じゃあ、僕のお父さんの話をしよう。もうすぐ定年なんだけど、趣味がね、なんとバービー人形を集めることなんだ」

「すごいですね」

「僕も影響されちゃって、時々女児向けアーケードゲームでコーデを楽しんだりしてさ」

「は、はあ」

「あ、もしかしてひいちゃった?」

「あはははははは」


 古畑さんは少し落ち込んだようだった。

 そんな時、新しい声優さんたちが訪れた。

 最若手の人たちで、それでもわたしより年は大きい。


「おはようございます」

「おはようございます」


 わたしたちは挨拶をするが、彼女たちの態度はどこか冷たい。

 それもそうだろう。

 小学生のわたしが声優で、それもレギュラーキャラを担当するのだ。

 話題作りのためだけのものだと思われているだろう。

 だが、わたしはそんな考えを自分の磨き上げた演技力で払拭してやると意気込んでいた。


 *********


 会場に入り、先輩声優さん方に挨拶をして回る。

 大御所から順に、たとえ無名の声優でも挨拶は欠かさない。

 次は監督さんなどのスタッフにも挨拶をする。

 先輩声優に挨拶をしていて時間は少ないのであまり挨拶はできない。

 スタッフも準備で忙しそうである。

 それでも、挨拶をする。

 どんな人にでも顔と名前を覚えてもらって次の仕事を、というのもあるだろうけどわたしはこうすべきだと思うから普通に挨拶をしているだけである。

 みなさんから小学生なのに偉いねえ、などと言ってもらえてうれしいが、小学生だろうと声優である以上は同じ土俵に立つ仲間でありライバルでもある。

 だから、やって当然のことなのだ。


 そう、当然なのだが……


「コロネちゃん、まだ来てないの?」


 ひそひそとスタッフが話しているのが聞こえた。

 まだ一人、声優が来ていないのだ。

 それも今回のアニメで主役を務める声優である。


「おお!みなのもの!おはようなのだ!」


 そんな声とともに、主役は遅れて登場した。


「ああ、コロネちゃん。間に合ってよかった」


 スタッフの安堵の声が漏れる。


「おはよう。コロネちゃん」

「おお!おはよう!」


 コロネは先輩声優さん方に挨拶する。

 だが、おはようございますだろうに。


「初日から遅刻なんていい度胸じゃない」


 わたしはいそいそと準備を始めているコロネに言った。


「おお!ゆずじゃないか!ワタシは朝に弱いのだ!」


 金髪のツインテールを揺らす。


 コロネはわたしと同じ小学生の声優である。そして――


「では、リハいきます!」

「はい!」


 その掛け声とともにコロネの表情は一転する。

 セリフに合わせ、声だけでなく身振りや表情までも変えていく。

 そして、雑音は出さない。

 ほとんど線で描かれたラフ画を見ながら、まるで全てが見えているようにコロネはキャラクターになりきる。

 そこにはもう、さきほどの楽天家なガキはいない。


 コロネはわたしと同じ小学生の声優である。

 そして、わたしよりも才能に恵まれている。


「ゆずちゃん?」


 わたしは声をかけられて、自分の番であったことに気がつく。


「すいません」


 わたしは頭を下げた。


 ぼーっとしていたということも許せないが、なにより、コロネの演技に見とれていた自分が許せない。


「ドンマイだぞ!ゆず!お前はやればできる子だ!」

「うるさいわよ」


 わたしは苛立って言う。

 コロネの言葉は一々癪に障るのだ。


「では、もう一度行きます」


 コロネがセリフを言う。


 わたしは気付く。

 さっきと少し違う。

 さっきよりもよりよくなっている。


「――――」


 わたしはタイミングを合わせてセリフを言う。

 だが、一瞬だけタイミングが遅れた。


 わたしは怖気づいたのだ。

 才能という壁に。


 **********


 無事、本番は終わった。


 無事、と言っていいのかわたしにはよくわからない。


 わたしの演技は凡庸だ。

 技術的には高いものであるとわたしは自負する。

 でも、どこか一皮むけないのだ。

 コロネの演技を見るたびにそう思う。

 彼女から迸るキラキラこそ才能というものなのだろう。


「ゆず、これから学校か?」

「ええ。そうよ。コロネは?」

「ワタシもだ!」


 毎日楽しそうに暮らしているコロネが憎い。

 才能だけで生きている存在が死ぬほど憎い。


「あなた、わたしをバカにしてるの?」


 我慢の限界だった。

 割と簡単に我慢の限界は来るのだけれど。


「わたしは声優になるために生まれてきた。言葉が分かるようになったころからずっとレッスンを受け続けてきた。常に努力を続けてきたの。でも、天才であるあなたは簡単にそれを踏みにじる。わたしを簡単にバカにする」


 コロネは訳が分からないといった風な、ポカンとした顔をする。


「ゆずは声優になりたかったんじゃないのか?」


 当たり前のように言われて、わたしはハッとする。

 それ以上は考えてはいけないと思っていたことを無理矢理心の奥から引きずり出された。


 わたしは生まれながらの声優だった。

 生まれながらにして、親の願いを叶える、ロボットだった。

 そこにわたしの願いなどありようもない。


 わたしは声優になりたくて声優をしているわけじゃない。


「ワタシはやりたいことをやりたいようにやってるだけだ。ただ、それだけだぞ」


 ああ、もう、ダメだ。


 わたしはスタジオを飛び出していた。


 歩道を走るわたしを車が追い越していく。


 やりたいことをやりたいようにできる存在など限られている。

 人はそれを天才と呼ぶ。


 わたしにはやりたいことがない。

 ただ、そうあるべきだからという意思しかない。


 だから、親の願いを叶えたいというだけでしかない。


 わたしって、一体なんなの?


 よく分からないものがぐるぐると私の中に渦巻いている。


 ドンガッシャーン。


「え?」


 わたしは目を丸くして目の前を見る。

 道路の先にはさっきわたしを追い越していった車が煙を上げている。

 そして、その先には、巨大な幼虫のような存在が。


「モスラ?」


 なんと呑気なことを考えているのだろう。モスラといえば、一般的には成虫が有名だったりするが、特撮ファンからすれば、モスラといえば幼虫の方なのだ。


 そんなことを考えている場合ではない。

 わたしは巨大な幼虫の化け物に背を向けて走り出す。

 幼虫はわたしを追ってきているようだった。


「どうして!」


 どうしてわたしだけこんな目に遭わないといけない。

 どうして、わたしは恵まれていないんだ。


 そんな時だった。


 幼虫に向けて黄色光が突っ込んでいく。

 その光の中には金色のツインテールがたなびいていて……


「って、コロネ?」

「おお!ゆずじゃないか!」


 これが噂に聞く魔法少女というやつなのだろう。

 でも、こんな簡単に正体をばらしてしまってもよいのだろうか。


「無事か!ゆず!」

「大丈夫だけど……」


 わたしはコロネが幼虫を倒せるのか心配だった。

 魔法少女であれ、中身は普通の小学生の女子だ。

 できることとできないことが存在する。


「君にも彼女が見えるザウルスか」


 気がつくと、わたしの足元に、トカゲっぽい何かがいた。

 言葉を話しているから、これが世に聞く妖精というやつなのだろう。


「おお!待ってろよ、ゆず!今すぐこいつをバーンだ!」


 その言葉とともに、コロネの体からビームが放たれ、あっという間に幼虫は消え去ってしまった。


「魔法少女としての能力は史上最強ザウルスが、力の制御が難しいザウルス。君もコロネのともだちなら、コロネが暴走気味なのを知ってるザウルス。はあ。誰かいいマネージャはいないザウルスか」


 妖精も苦労しているのだとわたしは思った。


「ゆず!どうだ?箒に乗って学校まで行くか?」

「いや、普通に行くわ」


 なんだかもう、法外すぎるスペックで呆れざるを得ない。

 天才というのは本当に呆れてしまう。


 でも、いつの間にかわたしの胸のもやもやは消え去ってしまっていた。

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