初めまして、幽霊です!

ルカ

幽霊少女と夏

「初めまして、幽霊です!さっそくですが、この世でやり残した事はありますか?」


 道路の脇で一服していた俺の前にいきなり現れた少女は、満面の笑みで訳のわからない事を言い出した。

 白いワンピースに裸足、まるで時代錯誤な田舎娘。長く黒い髪を前にたらせば、たしかに幽霊としては"よくある幽霊"かもしれない。

 だとしても、今の俺にはそんな遊びに付き合ってる余裕はない。何も出来ない俺は会社で疎まれ、耐え切れなくて辞職した、就活中の貧乏人。

 就活中とは言ったが若干諦めモードで、髭や髪はだらしなくのび、服装も染みのついたシャツを着回しているほど。そんな人間がこんな少女と話してるだけでも、お巡りさんに職質をされてしまいそうだ。

 俺は少女を無視してその場を離れようとしたが、腕を掴まれた。


「ちょっと、無視しないでください!私はあなたのお手伝いをしたいのです!」

「手伝いも何もいらねぇから放っといてくれ。俺は冤罪なんてごめんなんだよ。」


 少女の手を降り払った。しかし少女はそれでも俺の腕にしがみついてくる。


「しつけぇな!俺は金なんか持ってねぇよ!もっと余裕ある奴に貰えよ!」

「お金なんていりません!私はあなたに協力したいのです!」


 俺がしつこい少女と言い合いしていると、タイミングの悪いことに巡回中の警官に見つかってしまった。


「何をしているんですか?」

「あっ、いや……俺は何も手を出してませんから!この子が勝手に!」


 警官の前で焦ってしまった。この反応、どう見てもやましい心のある言い方だ。終わった……そう思った。


「この子……?どの子ですか?」

「え?いや、どの子って、今も腕に!」

「腕に?その虫ですか?」

「虫?」


 俺が自分の腕を見ると、小さな虫が袖についていた。


「あ、動かないでください。下手に動くと翔びますから。」


 警官は俺の腕についていた虫を指で掴み、近くの茂みに放った。


「暑くなってきたから虫も増えてきましたよね。そんなに腕を振り回すほど苦手なら、虫除けスプレーとかあるといいかもしれませんね。では、これで。」


 警官は虫の話をして、そのまま去っていった。俺の腕にしがみついている少女には一切触れず。

 その後、家に帰るまで様子を見ていた。少女は俺に話しかけていたが、ずっと無視をしていた。

 通行人はそんな様子を気にする事もなく、誰一人として不審な目を向けてこなかった。その時点で、少女が俺にしか見えていない、というのは理解した。

 一人暮らしのアパートに帰って来て、俺は自分だけ部屋の中に入ってきた。

 それなのに少女は、俺よりも先に部屋のソファに座っていた。

 俺は理解力がある方だと自負している。これまでの行動で、この少女が少なくとも普通ではない事はわかる。

 床に座り、冷蔵庫から取り出した酒を一口。


「お酒、好きなんですね!」

「まぁな。良い事があれば酒、悪い事があれば酒。酒はいつでも美味いんだよ。」

「それ、いつでも同じでは?」

「まぁ……良い事があった時の方が格段に美味いけどな。」

「なるほど、良い事があった時のお酒は格段に美味しい、と。」

「そういうもんだ。」

「じゃあ、良い事があった後のお酒をたくさん飲みたい、がやり残した事ですか!?」

「んなわけあるか。で、お前はなんなんだよ?」

「私は幽霊です!」

「幽霊なのはわかったよ。で、そもそもなんで俺にだけ見えて、やり残した事なんか聞くんだよ。」


 俺は聞きたい事を全て並べた。だが少女は、首を傾けて不思議そうにしていた。


「別にあなたにだけ見えてるわけじゃないですよ?」


 少女はそのまま喋り続けて、恐ろしい事を言い放った。


「私の姿は、"死期が近い人"に見えるんですよ。」


 何を言っているのか理解が出来なかった。だが少女は、そんな俺を置き去りに話を進めていく。


「聞いたことありませんか?"死期が近い人は不思議な行動をとる"って話。その中のひとつに、"黒い影や人が見えている"というのがあるんです。きっとその現象の一部として、私が見えてしまうのでしょうね!」

「じゃあ、なんだ……お前は死神か?」

「いいえ、幽霊です!実は私もよくわかってませんけど、"私が見えるようになった人は全員死んだ"ので、私はそう解釈してます!」

「死神じゃねぇか!」

「違います!私はあなたを殺しても得しないし、むしろ死に目になんて会いたくないですよ!でも死ぬとわかってる以上、無視はしたくありません!だから、私はその人のやり残した事をさせてあげたい、そのために私がいるんだと思います!」


 むちゃくちゃな話で、とても信じられない話だった。でも、この少女が幽霊である事は間違いない。

 わざわざ幽霊が俺をからかうだろうか?悪戯な幽霊ならやるのかもしれない。

 そもそもこんな存在を俺は信じていなかった。だから余計に困惑しているのかもしれない。


「これ、美味しくないですね……。」


 ハッとなって少女を見ると、俺の酒を勝手に飲んでいた。


「おいバカ!ガキの飲み物じゃねぇよ!」


 俺は少女から酒を取り返した。少ししか口にしていなかったのに、ほとんど残っていなかった。

 幽霊でも飲むことは出来るという点もだが、不味いと言いながらここまで飲んでいた事に呆れた。


「大丈夫ですよー!私これでも成人してますから!」

「そうなのか?子供にしか見えないけど……。」

「記憶はありませんが、多分成人してます!」


 いちいちふざけているのか本気なのか、俺の調子は悉く狂わされている。

 ただ、何故か嘘をついているとは思えず、少女の話を真剣に捉えていた。


「なぁ、もし死ぬなら、俺は何をしたらいい?」

「もちろん、やりたい事ですよ!あれしたかった!って死んでからじゃ遅いですから!」

「他の人の死に目にも会ってきたんだろ?何してたんだ?」

「色々ですよ!今までの感謝の気持ちを家族に伝えたり、旅行したり!後は昔の日記やアルバムを眺めて、懐かしさに浸ってる人もいました!」


 もし死ぬなら。そんな事を真面目に考えた事はない。改めて考えれば、やり残した事、という程の事はない。

 職はなく、愛する人もいない。家族でさえも、優秀な兄ばかり見ていて、失敗作の俺なんか見向きもしない。

 もし仮に死ぬなんて伝えても……いや、死んだとしても、それほど悲しみもしないだろう。

 昔はヒーローに憧れた。どんな悪にも屈しない正義のヒーロー。とか言いつつ、好きだった子が他の男子にちょっかいを出されてるのに、何も出来なかった情けない正義のヒーローだった。それも今では笑い話だ。もちろん、こんな社会にヒーローなんて存在しないから、ただの憧れで終わった話だ。

 人生を振り返る機会が出来た。人に誇れる武勇もなし、残すべき遺産もない。俺に悔いはない。それがわかっただけでも、マシな人生なのかもしれない。


「おい、俺はいつ死ぬんだ?」

「わかりません。私が見えてからすぐの人もいましたし、結局1年生きた人もいます!」

「今から1年かよ……せっかく働かなくていいと思ったのに、死因が餓死になっちまうのはごめんだ。」


 やりたい事が何も浮かばないのなら、平凡に過ごせばいい。もしかすると、車に轢かれて終わるかもしれないが、それもいいかもしれない。

 自分から死ぬつもりはないけど、死ぬとわかれば、思ったほど怖くはない。俺は理解力がある方だと自負している。


「どこか行かないんですか?」

「今から出ても暗いし、どこもやってねぇよ。」

「でも、一刻も早く家族に会いに行くとか!お兄様も会いたいと思ってるかもしれませんよ!」


 さっきの考えていた事が口に出ていたらしい。家族の事、昔の話、恥ずかしい事を聞かれた。

 だが、今更どんな顔をして会えばいいのかもわからない。家族には、死ぬまで会う事はないだろう。


 毎日少女が付いて来る生活にも慣れてきた。こうして一緒にいると、まるで彼女が出来たかのような気分だった。

 少女は記憶が曖昧らしく、自分の名前すら覚えていないらしい。それと都合のいい事に、少女は"自分が触りたいと思ったもの"にだけ触れるらしい。

 ただし、生き物は"少女が見えている人"……要するに"死期が近い人"しか触れないらしい。つまり、少女側が一方的に、見えない人に悪戯する事は出来ないという事だ。

 このまま少女と過ごして、死ぬのも悪くない。少女には悪いが、俺の死に目に会ってくれる人がいるなら寂しくもない。幽霊だが。


 就活は上手くいかなかったが、俺にとっては平穏な生活が続いていた。少女と過ごす夏の日々。響きも悪くない。

 帰りが遅くなり、暗くなった人気のない夜道。コンビニで夕食と紙パックのお茶、それから分厚い少年誌を買った。

 少女は体に悪い、と母親のような事を言っているが、外では会話は出来ない。お詫びとして、少女の好物のかき氷をするための大きいブロックアイスも購入した。

 コンビニを出ると、女性が早足で、俺が帰る方向に歩いていった。

 その後を追うように、パーカーを被った男も早足で同じ方向に歩いていった。俺は理解力がある方だと自負している。それだけでなんとなく状況は掴んだ。


「なぁ、今の……。」

「怪しいですね、ストーカーかもしれません!」


 俺は一瞬迷ったが、追いかけた。だが、迷っていたうちに見失い、二人の姿は見えなかった。


「おい、お前今の二人探せないか?」

「わっかりましたー!」


 少女は幽霊らしく浮遊し、空から今の二人を探した。


「あっちです!」


 俺は少女の指示に従い、二人を追いかけた。

 しばらく少女の指示通り進むと、さっきの男女が会話している声が聞こえた。


「頼むよ、やり直してくれよ!」

「しつこい!あんたとはもう終わったの!離して!」


 どうやら、別れたものの男がしつこく言い寄ってるようだ。

 俺は飛び出す勇気もなく、物影から様子を見た。


「ちょっと何してるんですか!早く助けないと!」


 少女が急かしてくる。頭ではわかっている。このままだと女性が危ないのは。

 でも、もし男が刃物でも持っていたら?俺が行かない方が男を刺激しないかもしれない。

 俺はそんな事をうじうじと考えていた。ここまで来たのに、怖いんだ。かっこつけても、死にたくないし痛い思いはしたくない。

 こんな俺だから、家族にも見限られて、職場でも居場所を失った。俺は元々こんな人間だから。

 俺は臆病だ。あの時も、好きだった子を助けられず、指をくわえて見ていた。 今も何も変わっちゃいない。

 正義のヒーローになんかなれない。その場を離れようとした俺の右手に、ふと冷たいものが当たった。


「大丈夫です。私が、ついています。」


 少女の手は氷のように冷たい。そんな手で固く握りしめていた俺の手を開いてくれた。

 少女は俺を真っ直ぐな目で見つめている。

 俺は理解力がある方だと自負している。俺は悟った、自分の死期を。

 俺がやり残した事……それは……。


「おっ……おいお前!や、やややめろ!」


 裏返りそうな声で、足を奮わせながら飛び出した。

 あまりに情けない。この行動で俺は死ぬんだ。男を刺激して、殺されるんだ。そう感じ取っていた。


「なんだお前……まさか新しい彼氏か?俺を捨ててこんな奴と!?」

「ち、違う!知らない人よ!」

「許さねぇ……俺の女とりやがってよぉ……」


 男はふらふらと近付いて来た。その手に、きらりと光るものが見えた。

 やっぱり、俺の死に場はここらしい。俺は理解力がある方だと自負しているからわかる。

 だがせめて、せめてあの女性だけでも逃げてくれれば……。


「許さねぇ!」

「逃げろ!」


 一子報いたくて、喧嘩もした事のない俺の拳が、飛びかかってくる男に向かって放たれた。

 俺の腹部に、その手に持つ光るものが向けられていたのは見えていた。

 俺の拳は男の頬に当たったが、へっぴり腰の俺の攻撃が効くはずもなく、男は俺の腹部を見ている。

 刺されたんだ。俺の人生は、こんな終わり方か……女性を守る、正義のヒーローにすらなれずに……。

 その直後、ゴン、という鈍い音がした。音と共に、男はそのまま前のめりに倒れ込んできた。俺がそれを避けると、男の後ろには少女がブロックアイスを持って浮いていた。


「人には触れませんけど、これなら問題ありません!」


 それなら俺が飛び出す前にやれよ。とツッコミを入れる力もなく、俺もそのまま地面にしりもちをついた。


「大丈夫ですか!?」


 女性が俺に駆け寄ってきた。そういえば、刺されたんだった。そう思って俺は腹部を見た。

 少年誌に刃物が刺さっていた。

 俺は腹部に少年誌なんて構えた記憶はない。もちろん、コンビニ袋から出した覚えすらない。そう、こんなベタな展開をして守ってくれるようなのは……。


「幽霊っ!?」


 俺は女性がいるのを忘れ、浮遊していた少女を見上げた。

 でも、そこに少女の姿はなかった。

 それだけじゃない、周りをいくら見渡しても、少女の姿はなく、たしかに買ったはずのブロックアイスも見当たらなかった。


 数日後、俺は就職した。髭を剃り、髪を切り、スーツを新調した。

 あの後女性が警察を呼び、男を逮捕。突然幽霊と叫んだ俺は病院に連れて行かれたが、何も問題ないと言われて、俺はそれまでの生活に戻っていた。

 あれから少女の姿は見えない。家にいても、勝手に冷蔵庫のお茶を飲まれる事も、寝ようとしてる時にお腹に乗られる事もない。

 俺が夢を見ていたのかもしれない。そう思えるほどに、何もない日常だ。

 変わったものと言えば……。


「就職おめでとー!いやー、この勝利の女神様のお陰だね!」

「へいへい、そりゃーどーもありがとーございますよ。」


 あの時の女性は、俺の彼女になっている。

 少し調子に乗りやすいが、気を遣わなくて済むほどに話が合う、いい相手に巡り会えた。

 彼女には少女の話はしていない。今見えないのに話をしても、嘘だと思われるだけだろう。

 ブロックアイスであの男が攻撃されたのも見えていなかったらしく、俺が拳で沈めたように見えたそうだ。


 そこから更に1年経った。俺は生きていた。

 もう少女の事など忘れかけていた俺だったが、家に帰るとテーブルに出した覚えのないかき氷機が出ていた。

 それだけで俺は察した。俺は理解力がある方だと自負している。

 少女は死期が近い人にしか見えない。あの時、俺を助けたことで、俺は"死期が近い人ではなくなった"のだろう。だから俺は少女が見えなくなった。

 だけど、だけど……少女はずっと、俺のそばにいたんだ。

 長くても1年経てば死ぬ。そう言ってしまったから、俺が死ぬかもしれないと心配して、ずっと憑いていてくれたんだ。

 だからこのかき氷機は、俺への挨拶だ。

 もう死なないから、安心して彼女と幸せになれって、少女からのメッセージだ。


「ありがとう……俺、まだやり残した事あるよ、たくさん。だからまだお前に会うわけにはいかないな?」


 酒の缶をかき氷機に軽く当て、一口飲んだ。


「今日の酒は、格段に美味いなぁ。」

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