第9話 徐々に、徐々に

 梅次は、さゆりを一方的に見ているだけでは満足できなかった。他のファンと同じようなスタンスでは満足できないくらい、さゆりのことが好きになっていた。

 アイドル雑誌や成人誌、週刊誌にスポーツ新聞にいたるまで、たとえ文字だけの小さい記事であろうと「安里さゆり」と書いてあれば、すべて購入してスクラップブックに収集した。出演するテレビ番組はすべて録画し、それを編集して保存した。


 どうしたら、さゆりと話ができるだろうか──本人にはなかなか近づけないだろうし、おいそれと関西から東京へも行けない。そこで梅次は、外堀から埋めていく作戦を考えた。

 ファンクラブの会報には、ファンからのお便りコーナーがあって、似顔絵なども募集していた。まずはその似顔絵コーナーに応募することから始めた。

 梅次は、体操部へ入る前は美術部に所属していた。中学校へ入学してしばらく経った頃、梅次の描いた絵を見た美術教師が、梅次を美術部へと勧誘し、半ば強制的に入部させた。その後、プロレスブームの到来とともに体操部へと転部するのだが、梅次は絵を描くことに関しては、腕に覚えがあったのだ。


 梅次が似顔絵をファンクラブへ投稿してから2ヶ月後、次の会報が送られてきた。梅次の思惑通り、似顔絵コーナーに梅次が描いた絵は掲載されていた。あまり上手すぎず、下手すぎずのところを狙ったのが功を奏したのかもしれない。これを毎号続け、毎号のように採用された。しかし、絵が採用されることが梅次の目的ではなかった。毎回似顔絵を送ってくる「真山梅次」という名前を、事務所スタッフに印象付けたかったのだ。

 ファンクラブには、毎週土曜日の午後に、ファンからの問い合わせにスタッフが対応する、ファンクラブ直通ダイヤルというものが設置されていた。梅次が次にとった行動は、その直通ダイヤルに毎週土曜日に電話をかけることだった。

 関西の自宅の電話から東京へかけると、月の電話代がはね上がり、親にバレてしまう。当時は携帯電話などなかったので、毎週土曜の午後になると、近くの公衆電話ボックスへ行って、そこからファンクラブへ電話をかけた。テレフォンカードすら存在していなかった時代なので、100円玉を大量に用意して公衆電話の上に積み、すごいスピードでガチャン、ガチャンと落ちていく100円玉を、次から次へと投入しながら電話をかけた。


 問い合わせ内容は、なんでもよかった。ただ、最初は「似顔絵を掲載していただいた、真山梅次と申しますが──」と、前口上を述べてから質問にはいった。質問の内容よりも、この前口上こそが、梅次にとって重要だったのだ。

 直通ダイヤルを担当していた女性スタッフは、毎回同じ声であったので、毎週のように電話をしていると、そのうち「真山です」で、わかってもらえるようになった。彼女は、さゆりの初代マネージャーをしていた沖村さんという人だった。現在は現場の仕事を離れ、さゆりの仕事の総合的なマネィジメントをしてるとのことだった。


「沖村さん、こんにちは。真山です」

「あぁ、真山くん、こんにちは」

「さゆりちゃん、来月に大阪の大学の学祭に来るみたいなんですけど、何時から出演するんですか」

「一応、3時からの予定なんだ。進行の具合で遅れるかもしれないけどね」

「わかりました。応援に行ってきます」

「うん、さゆりちゃん喜ぶと思うから、行ってあげて。あ、それから、真山くんにお願いしたいことがあるんだけど」

「なんですか?」

「大阪のラジオ局のリクエスト番組に、さゆりちゃんの新曲のリクエストハガキを出してほしいの。こっちからハガキを送るから、真山くんの友達とかにも頼むことできるかな?」

「もちろん書きます!」

「ありがとう。じゃあ、ビクトリーレコードの大阪支社に、とりあえずハガキを200枚ほど送るから、受け取りに行ってもらえるかな。安達さんって女性が担当だから。よろしくお願いします」

「わかりました!」


 ビクトリーレコードは、さゆりの所属するレコード会社で、そこの大阪支社・販売促進部の安達さんを訪ねるようにと、梅次は指示された。

 さゆりに少し近づけたような気がしたこと、そして、まるで自分が芸能界の仕事をしているかのような気分になっていることが、梅次は純粋に嬉しかった。

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