第42話 『殺人鬼』セレスティア・ヴァレンタイン(後編)

 ――――エルメラド国軍本部にあるバルコニーにて。


「さて」


 くるくると。

 腕を広げ軽快なステップを踏みながら咲良は回り続ける。


「賽は投げられた。すでにゲームは始まった。あとは誰が最後まで生き残るか見守るだけ」


 ぴたりと動きを止め。

 咲良はどこからともなくその場に5つのカードを出現させ、並べ立てる。

 それぞれのカードにはナイフを構えた殺人鬼、コートを被った復讐鬼、背中にコウモリの羽を生やした吸血鬼、女軍人の快楽者、そして女神が描かれていた。


「今生き残っている不死者はセラ、霧乃ちゃん、ヘイゼルたん、カレンさんにこの咲良。アリスちんはまあ、この咲良がぶっ殺しちゃうから除外しよう。と・も・か・く! これでこの咲良の『計画』が完遂するまであと少しまで来たって所だ」


 両手を頬に添えて身悶えしながら咲良は心底楽しそうに呟く。


「ふふふ。さあさ、最後にこの咲良と殺し合うのは誰になるのかなー? ……ま、結局は誰が来たって結末は変わらないんだけどね」






※※※※






右手に刀を握り締め部屋を出るセラ。

空色の瞳を濁らせ、ゆっくりとした足取りで目的もなく歩き始める。

――――まずは、誰から殺そうか。

切っ先をだらりと垂らし、せわしなく視線をあちこちに向けながらセラは人影を探す。

 ……と。


「ふっふふんふふーん」


 と、鼻歌を口ずさむ少女の声が聞こえた。

 聞こえたのは外の方。そちらの方に目を向けると玄関のドアが開いており、ジリアンが洗濯物を畳んでいる姿が目に入った。


「……ふふ」


 笑みが溢れる。

 心臓が高鳴るのを覚えながらもゆっくりと着実にセラは彼女の元に近付いて行く。

 そしてジリアンも気配を感じたのか、背後を振り返り目を見開いた。


「先輩……!?」


 2週間ぶりに目にするセラの姿にジリアンは涙すら浮かべて喜び、セラの元に駆け寄っていく。

 ――――この時、ジリアンが一瞬も警戒しなかったことを誰も咎めることはできなかったであろう。

 どうしてセラが刀を持っているのか、そして不敵に微笑んでいるのか。そんなことを疑問に思う余裕は彼女になかった。

 確かに二度も命を狙われそうになったことはある。だが、いずれも本人の意思ではないものであったし、ここ最近は自分の狂気を抑えていた姿も何度か目にしていた。

 故に、彼女はセラを信用してしまっていたのだ。


「ああ、先輩、良かったっス! あたし、ずっと先輩のこと心配してて! と、tとにかく一度皆のところに――――」


「ジリアン」


「はい?」


 ジリアンの言葉を遮り、セラはジリアンをじっと見つめる。

 瞳を濁らせ、不気味な笑顔を浮かべたまま。

 ようやく、ジリアンは異様な雰囲気を察知し後ずさろうとした。


「あ、あのっ、先輩、どうしたんスか……? 様子が変で――――」


「ごめんなさい」




 ざくり、と。

 セラはジリアンの左胸に刀を突き刺した。



「ぁ…………、う、ぇ…………?」


 何が起きたのか理解できない、そんな顔をジリアンは浮かべていた。

 戸惑うあまり、痛みを感じていないらしく交互に自分の胸とセラの顔を見つめる。

 だが、セラは内心苛立ちを覚えていた。

 急所を外してしまった。まだ彼女は生きている。

 ――――早く。早く殺してあげないと。

 体中の力が抜けていたのか、刀を引き抜くとあっさりとジリアンが仰向けに

倒れ込んでいく。

 すかさずセラが馬乗りになり、ジリアンを殺そうと刀を構える。

 ようやく、状況を理解したのかジリアンの顔が恐怖に引きつった。


「ひっ!? いっ、ぁ、やっ、やだ……! 嫌だ、せん、ぱっ、お願い、やめて!!」


「暴れないで。じゃないと余計に苦しむよ?」


「いやっ、嫌ぁ!! ごめんなさ、い、やめ、殺さないでっ、助けて!!」


 迫り来る死に恐怖し、ジリアンが泣き喚きながら必死に暴れて抵抗しようとする。

 ――――そんなことするから痛いのに。

 左腕でジリアンの体を押さえつけ、右腕で刀を垂直に構える。

 そして一切の逡巡もなく、何度もジリアンの胸をめがけて突き刺した。


「ああああぁぁぁぁ!! が、ふっ、ぅぁああああぁぁぁ…………!!」


 夥しい量の血液を撒き散らし、泣き叫ぶジリアン。

 だが、セラの腕を掴む力は弱まっていき比例して声も小さくなっていく。

 そして突き刺すこと数回。


「――――は」


 ぴたり、とセラは動きを止めた。

 ジリアンが動かなくなっていた。

 体を赤く染め、瞳は何も移さず、体温すら感じられなくなっている。

 そしてセラも、返り血を浴びて体を真っ赤に染め上げていた。

 

「はは」


 ジリアンを、殺した。

 ついに、彼女は仲間を手にかけてしまった。それは彼女にとって最大の禁忌であった。そこだけは一線を超えないように必死で守っていたのに自らの手で安々と超えてしまったのだ。



 ぷちり、とセラの中で何かが切れる音がした。

 それを最後に、とうとうセラは『』。



「あはははははははははははは!! ひひっ、えへへぇ、はははははははははははははは!!!!」


 興奮が止まらない。命を奪う感触がこんなにも心地いい。

 抑圧していた衝動が解放され、それまで形作っていた『セレスティア・ヴァレンタイン』が崩れ去っていく感覚を覚えながらセラは笑う。

 否、これは自我の崩壊ではない。昇華だ。

 今、セレスティア・ヴァレンタインは『殺人鬼』として生まれ変わったのだ。


「――――セラ?」


 背後。

 女性の声が耳に入り、笑いながらセラは振り返る。

 そこに立っていたのは目を見開く隻眼の女と黒髪の女。カレンとオリヴィアだ。

 目の前に広がる光景が信じられないという顔でカレンは声を震わせながらセラに尋ねる。


「お、い……。セラ、何して、そこで寝てるのは……?」


「あはっ」


 カレンの問をセラは一笑する。

 寝ている? 何を馬鹿な。

 

「ジリアンは死にましたよ。わたしが殺しました」


「は……?」


「っ!? お前――――!!」


 両者の反応は別々だった。

 カレンはセラの言葉に耳を疑うように困惑した声を上げ。

 対してオリヴィアは怒りに顔を染め、セラを睨み付ける。

 ――――そういえばオリヴィアさんはジリアンのことが好きなんだっけ。

 そこまで思考してセラは彼女たちを焚き付けようと。

 屍体となったジリアンの胸に刀を突き立てる。


「ほら」


「もういい、やめろ――――」


「セレスティアぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああ!!!!!!」


 セラの非道な行動を見たオリヴィアが激昂し。

 ホルスターから二挺の拳銃を取り出して躊躇なくセラに向ける。


「待て、オリヴィア! 何をしているんだ! セラはまだ――――」


「うるさい! こいつは、ジリアンを殺したんだ! 許せない!! こいつは、こいつだけはっ、わたしが――――」


「遅いですよ」


 左耳から聞こえる距離。

 わずかに目を向けると、すぐ側までセラが迫っていた。

 セラの『権能』。カレンたちはその実態を詳しく知らなかった。彼女たちからすれば、ただセラが今まさにオリヴィアの首を刈り取る寸前まで迫っているということだ。

 何の反応もできず。

 容赦なくセラは刀を振り下ろし。



 ぐしゃ、と肉が切り裂かれる音と共に。

 カレンがオリヴィアの体を突き飛ばし、セラの刀を右腕で受け止めていた。


  

「…………」


「カレンさんっ!!!?」


 ぽとり、とカレンの右腕が落ちていく。

 そこからだばだばと、誰が見ても手遅れなほどの量の血液が流れ出す。

 荒い息を吐きながらカレンは背後のオリヴィアに告げる。


「逃げろ……」


「で、でも!!」


「早く逃げろ!!」


 遮るようにカレンが叫び返す。

 カレンは残った左腕で腰からカトラスを抜く。

 誰が見ても明らかな満身創痍。それでもセラの前に立ちふさがり、彼女は声をあげる。


「どうせ、すぐに治る体だ……。セラは私が何とかする。だから、お前は早く安全なところまで逃げろ」


「でも、それじゃカレンさんは!!」


「私も何だかんだ言って不死者だ。それに『臨界点』を超えていない。だから簡単に死なねえよ」


 それからふっと笑ってカレンはオリヴィアの方へ振り返った。


「行け」


「っ! 後で、必ず会いましょう……!」


 悔しそうにオリヴィアは別れを告げ、カレンたちとは反対方向に振り返り走り出す。

 オリヴィアの気配が消えたのを感じてからカレンはセラに尋ねた。


「……なんで」


「?」


 一言、呟くカレンにセラは首を傾げるのみ。

 その仕草を見て、カレンはいよいよ彼女がもう自分の知るセラではなくなったことを悟り、感情が爆発した。


「なんでジリアンを殺した!? お前はこんなことをするために戦っていたんじゃないんだろう!?」


「……そんなの、決まっているじゃないですか」


 対してセラは表情一つ変えることなく答える。

 その瞳に、純粋な殺意を宿して。


「リコと約束したんです。わたしは『生きる』って。だから、自分の好きなように生きるって決めました」


「でも、リコはもういない! こんなことしたって何の意味もないじゃないか!!」


「ないですよ」


 対して、セラは平然と答えるのみだった。

 その顔に、咲良の姿が重なるのをカレンは見たような気がした。


「リコはこの世界にもういない。だったら何をしたって無意味じゃないですか。例えわたしのやっていることがリコの意思に反していたからといってそれを咎めてくれるリコはもういません」


 わずかに。

 悲しそうな表情を浮かべてセラは言う。


「いないんですよ……。リコはもうこの世界にいない! なのに、世界は相変わらず笑うんです! 世界で一番大好きで大切な人を失っても世界は変わらずに居続けるんです! まるでリコが初めからいなかったのように!!」


「…………っ」


「だから、殺すと決めました」


 そこから。

 表情を消していたセラに笑顔が戻る。

 ――――もう、そこに以前の心優しいセラの姿はどこにもなかった。

 ただ、おぞましく狂った笑みを浮かべる『殺人鬼』の姿しかなかった。


「わたしは、あなたをここで殺します。まさかカレンさんまで不死者だったなんて。おかげで遠慮なく殺す理由ができました」


「……くそっ」


 セラから目を逸らし悪態をつくカレン。

 いつの間にか右腕が再生していた。

 右腰からも鞘からカトラスを引き抜き、両手に構えて心底悲しそうな顔でカレンは言う。


「本当に堕ちてしまったんだな、セラ」


「ええ、そうです。殺し合いましょう」


 セラも笑顔で刀を構え、カレンに向ける。

 視線を交わすこと一瞬。

 どちらからともなく、剣先を振り下ろし、戦いが始まった。


 無意味で、誰も救われない悲しい戦いが。


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