第27話 『咲良』・中編
「……はは」
ツインテールに眼鏡をかけた少女、咲良は培養器の前で笑みをこぼしていた。
艶があった黒髪はすっかりぼさぼさになり、瞳の下には濃い
睡眠も食事もろくに取らず、ひたすら研究に身を費やす日々。
憔悴しきってもなお、彼女はこの『人形』を完成させる必要があった。
「はは、あはははははは! 出来た、ついに出来たぞぉぉぉぉ!!」
培養器の前で彼女は歓喜する。
政府に隠して作った最高傑作の『
難航していた『魂』の注入をついに実現し、安定した精神構造持つ完全なホムンクルスを制作させることに成功した。
ともすればこの世界を大きく変えることになるであろう存在。
新たに生命を与えられる少女に、咲良は命名する。
――――破滅と狂気を司る『神』の名を。
「さあ、目覚めなさい! 我が子よ、我が人形よ、我が最高傑作よ! ――――アーテー!」
燃えるような赤い髪を持つ少女の瞼が開かれ、血のように赤黒い瞳を覗かせる。
アーテー、と呼ばれた少女は咲良を見つめて唇を動かす。
培養器の中でかき消されたはずなのに、確かに咲良の耳に少女の声が届いていた。
「…………『お母様』?」
※※※※
――――時間は少し戻り。
脳天と心臓を自らの血液に貫かれたカレン。
『凝血』によって槍と化した血を液状化させ、霧乃はカレンの元に近づく。
締まりのない笑顔を浮かべ、血走った目で舌舐りをしながらカレンの血をじっと見つめる。
「へへっ。えへへへへへへ。何でこんなにも憎いのに……。貴方の血を求めてしまうんでしょうねぇ…………」
とても憎いのにとても愛おしい。
とても苦いのにとても甘い。
サイケデリックに染まる視界。頭の奥がじんじんと痛み、耳鳴りが響き渡って旋律すら奏でられているかのように聞こえる。
身を焦がすほどの強い吸血衝動。これ以上この衝動に溺れたら間違いなく破滅する。自分が自分でいられなくなってしまう。それが分かっていながらも彼女は近付けるのをやめなかった。
――――霧乃の精神は既に崩壊寸前だった。
だから。
カレンの首元に歯を突き立てて。
「はーい、霧乃ちゃんそこまでー✩」
ぐじゅりと。
背後から、霧乃の心臓が咲良の手に掴まれた。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!???」
全身を総毛立たせ、霧乃は叫ぶ。
痛みによってではない。
恐怖によってだ。
「アンタさ、少し勝手すぎるよー。久々にこの咲良がキレちゃってるぐらいにはさ」
「ひっ、ごめんなさい、申し訳ございません、『お母様』!!」
「謝って済む問題かなー?」
笑顔を崩さないまま。
咲良は容赦なく霧乃の心臓を握り潰す。
「――――――――ぁ」
「ねえ、今どこ握ってると思う?」
くすくすと。
霧乃の耳元で咲良は囁く。
「正解はアンタの『魂』。文字通り、この咲良が命を握ってるってことだね✩」
「お、『お母様』……。やめ」
「安心しなよー。別に今殺すわけじゃないからさ」
背中を突き破るように咲良が手を離す。
がし、と霧乃の顎を掴み咲良の方へと向けさせる。
「アンタさ、血に飢えてるんだっけ?」
「そ、そうですが……。『お母様』、何を――――!?」
言いかけていた霧乃の口が止まる。
視線の先。
咲良の人差し指がいつの間にか切れていて、血がゆっくりと指先の方へ滴っていった。
「欲しいでしょう?」
「あ……あ、ああ…………」
咲良の血。
ただの『人形』であった自分に命を吹き込んでくれた『母』の血を頂くことなど、到底無礼な行為だ。
普段の霧乃なら、真っ先にそう考え咲良の誘いを断っていたはずだった。
だが、今の彼女は抑えきれない吸血衝動に支配され、咲良の血から目を離すことが出来なかった。
ほんのわずか逡巡の末。
ぱくりと。
彼女の人差し指に喰らいつく。
「やーん、霧乃ちゃんエローい✩」
その様子を見た咲良は嘲笑うかのような表情を浮かべる。
対して霧乃は味を確かめる暇もなく、咲良の傷跡から血を吸って飲んでいた。
たった一滴でも飲んでしまえばどうなるか。本能的に忌避していたはずの彼女の血を致命的にまで飲んでいって。
霧乃の体に変化が訪れた。
「――――えぁ?」
ふと、生じた違和感。
思わず口を離し、呆けた表情を浮かべて霧乃は首を傾げる。
その正体が明らかになる前に。
霧乃が、壊れた。
「あ、ぎゃあああああ!?」
突如、霧乃の全身の穴という穴から血が噴き出し、固体化していく。
その先端が鎌首のようにもたげられ、残りの数万本も同じように形作られていき。
その全てが、一斉に霧乃に襲いかかった。
「うわあ……グロ…………」
あまりの惨状に咲良も顔を引きつらせる。
咲良の血は霧乃にとって、あまりにも劇薬すぎた。
甘美で濃厚で美味で官能的な刺激。
その刺激に耐え切れず、霧乃の精神が破壊されていき、混乱し彼女の『権能』が暴走を引き起こした。
「おーい、霧乃ちゃーん。大丈夫ー?」
未だ自身の血に嬲られ続ける霧乃に咲良が問いかける。
大量に蠢く鎌の中で、かろうじて霧乃の顔を覗くことが出来た。
その表情を見た咲良は残念そうに、しかし愉快そうに呟く。
「……ま、聞こえてるはずもないか」
「あへへへへぇ」
こんな状況にも関わらず。
霧乃は笑っていた。
幼い顔立ちによく似合う無邪気な笑み。同時に子供が浮かべてはいけないような歪で狂気的な笑み。
「あーあ、やっぱ霧乃ちゃんは『失敗作』だったかぁ。まあ、アンタ他の不死者に比べて終始まともだったしねぇ。リコちゃんを嫌っていたのだって同族嫌悪みたいなものだったでしょう?」
「ひひっ、えへへへぇ、はひっ」
「うんうん、何言ってるか全然わかんない(笑)。うーん、せめてミーナちゃんみたいにイカれてたらなぁ。まともな精神持ってる奴って無理矢理『臨界点』突破させると今のアンタや凜華ちゃんみたいにぶっ壊れて廃人になっちゃうんだよねー」
「えはっ、うひひひ、はへぇっ?」
「従来の人間性を捨ててまで己の欲望に忠実になる。そういう狂人こそこの咲良の計画に向いてる人材でさー。つまり、アンタみたいな心が壊れて魂が死んじゃう前の最後の砦として狂気に浸った奴は使い物にならないわけ」
「あっ、あー、えひぃ」
「っていうわけでアンタはセラの餌になってもらいまーす。いい栄養になってね✩」
会話なんて成立していない。片や狂ったように笑い続けるだけ。片や一方的に話しかけているだけ。
相手なんて眼中にない。自己で完結した世界の元に彼女たちは感情を吐き出すだけだ。
だから、捨て駒だと宣言されても霧乃は。
「血ッ、血ィ。血が欲しイのォ、うへへっ、おかアさマぁー」
と壊れた笑みをやめることはなかった。
「……それで、いつまで狸寝入りを決め込んでいるのかな、カレンさん」
大量の血を流し、倒れていたカレンの方に振り返って咲良が尋ねる。
呼びかけられたカレンは顔を上げて、恨めしそうに彼女を睨み付けた。
「……いつから気付いていた」
「そりゃもう、最初から。こちとら公式チートだぞ、舐めんな」
「ちっ、狂人風情が」
舌打ちをして悪態をつくカレン。
ステップを踏みながら上機嫌に咲良は彼女の元に近付く。
「ふふん。すごいでしょ、不死身の力」
「ふざけるな、勝手にお前が私に細工したんだろうが」
「でも、おかげさまでアンタは生きてるじゃん? 人生生きてて得することばっかだよ」
「嘘だな」
カレンの言葉に。
ぴたりと咲良はその場で停止し、表情が消える。
「狂人の思考など理解できるはずもない。だが、お前はそもそも考えてすらいないだろ」
「…………」
「その笑顔だって、心から笑ってるわけじゃないだろう? 楽しそう振舞っているわけで楽しいわけではない。お前の態度、全体的に空っぽなんだよ。せいぜい本音が見えたのは怒りぐらい。まともに心に残っているのは負の感情ぐらいか?」
「…………へぇー」
カレンの言葉に。
咲良は空虚な笑みを作ってみせる。
「出会って2回目でこの咲良を見透かすとは。相思相愛、運命の相手って奴なのかなー?」
「そのクソムカつく言動も意味が感じられなくてな。何考えてるか分からないのではなく、本当に何も考えないで動くだなんて大した奴だよ、お前」
「やーん、この咲良が褒められちゃってるー」
「皮肉だクソったれ」
吐き捨てるようなカレンの言葉に鼻を鳴らす咲良。
彼女は、カレンの周りをぐるぐると手を広げて周りながら口を開く。
「でもこの咲良の本心を見抜いたのは流石だよ。アンタの言う通り、この咲良は
「…………」
「人間は無意味だ」
「?」
歩みを止め、ぽつりと呟いた咲良の言葉にカレンが戸惑う。
その言葉は、本心で言っているように聞こえた。
「無意味で、無価値で、無意義。それが、この世界の本質」
「何を言って……?」
「アンタらはよくこの咲良たちのことを狂ってるって言うけどさ。この咲良にとっては、理由付けして意味があるように振舞う人間の生き方がよっぽど狂ってると思うね」
そこまで言って。
再び咲良は空虚な笑みを作り、ひらひらと手を振る。
「ささ、帰った帰った。この咲良に用があるのは霧乃ちゃん。アンタの命を奪う気はないよ。この咲良の気が変わらないうちに撤退をおすすめするねー」
「……そうさせてもらう」
「ひゅー。大人は流石だねぇ。適切な判断ができて」
咲良の言葉を無視し、カレンが立ち上がってその場を去ろうとする。
咲良とすれ違う瞬間、カレンの耳元でそっと彼女は囁いた。
「この咲良に面白いものを見せてくれると期待してるよ、エレナちゃん?」
びくり、とカレンの体が震える。
最後に彼女は咲良の方を振り返り、睨み付けて立ち去っていた。
「……そう、人間なんて無意味」
未だ自らの血に殺され続ける霧乃など眼中になく。
咲良は清々しいまでの青空を見上げて、感傷に浸る。
「でもさ、あの思い出、あの時間は絶対に意味があったよね、咲良」
それから、わずかに震える手を強く握り締めて。
咲良は静かに呟いた。
「絶対に、咲良は無意味だったなんて言わせない。だから、ワタシがここで終わらせるんだ。この狂った世界を」
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