第23話 最悪なデート日和・前編
ソールの隣に『マーニ』という小さな町がある。この二つの間は大きな川で分断されており、間に巨大な架け橋を作ることによって両町を行き来することを可能にしていた。
その橋の中央辺り。カレンは身を乗り出すようにして水面をじっと見つめていた。
やがてぽつりとカレンは呟く。
「……何の用だ」
『あら。随分と敵対的な態度ですね』
言葉は水面から返ってきた。
水面に映った自分の顔はよく見慣れた茶髪のセミショートに隻眼の女性ではなく、白髪のショートボブに瞳を閉じた盲目の少女だった。
カレンは水面に映る
「ふざけるな。勝手に人の中に入り込んで奪おうとする奴に友好的にいられるか」
『……ええ、非常に不可解です。わたくしは確かに貴方の中に入り込みました。だと言うのに貴方の魂は消えず、見事にわたくしと融合している。前代未聞の出来事です』
あの時。
カレンがエレナに唇を奪われ、エレナの魂が中に入り込んだ時。カレンの強い精神が拮抗し魂の消失を免れた。だが、エレナも強い狂気を持ち彼女の魂も消えなかった。その結果、二人の魂はどういうことか融合を果たし共有するようになってしまったのだ。
言わば今のカレンには二つの人格が同時に入っていることになる。カレンが見ている光景はエレナにも見られているし、エレナが思考した言葉は全てカレンの耳に届く。
とはいえ、記憶の中のカレンは全てエレナに置き換わってしまっているし、鏡や水面に映るカレンもエレナに変わってしまっているので乗っ取られるのも時間の問題だろうが。
「……それで。わざわざ私の意識を奪おうとしやがって、何が目的だ」
『いえいえ、そんな物騒な真似は。ただ貴方に話がありまして』
「話だと? 誰がお前の話なんか――――」
『例えば、我々不死者の弱点だとか』
「……は?」
唐突なエレナの言葉にカレンが素っ頓狂な声を上げる。
セラたちの行動を監視するためにカレンの体を奪おうとしたのではないのか。何故、そんな有益な情報を伝えようとしているのか。
『あら。確かにセラのスパイになって咲良に報告をする。当初はそのつもりで貴方の体を奪いました』
「だったら、何で……」
『気が変わったのです』
にっこりと。
水面に映るエレナが微笑む。
『わたくしは別に咲良の目的に興味なんてありません。セラの不死者殺しの旅にも興味がありません。ただ、そちらの方が面白そうだと思っただけです』
「面白い、だと……?」
『ええ、そうです。わたくしが欲しいのは快楽。快楽さえ手に入るのならば手段も末路も関係ありません。わたくしが破滅するのも生き残るのもその先に快楽があるなら、喜んで享受しますとも』
「……イカれてる」
エレナの狂気的な言葉にカレンが吐き捨てるように言う。
狂人の戯言など信用ならないが、今はとにかく情報が欲しい。彼女から有益な情報を聞き出そうとカレンが口を開いた時だった。
「――――ごきげんよう」
「ッ!?」
『!? カレン、その方は――――!?』
背後から聞こえた幼い声に双方が驚き、カレンが振り返る。
直後、カレンの首元にひと振りの刀が据えられる。
刀を握っていたのは赤い着物を着た黒髪に赤い瞳の童女。
彼女は無表情にカレンを見つめて、柄を強く握る。
「セレスティア・ヴァレンタインはどこですか」
『カレン、気を付けなさい! その子は霧乃、不死者です!』
「!? こんな子供が……!」
「さっきから何をごたごた言ってるんですか! セレスティアはどこだと聞いているのです!!」
それまでの表情が崩れ、感情を顕に童女――――霧乃が怒鳴る。
刀を震わせカレンを強く睨み付け、必死の形相で彼女は叫ぶ。
「あいつがっ、セレスティアがっ、ミーナを殺したんです! あの子を殺したセレスティアが憎い! 憎いのに……彼女の血が欲しいんです!! あの、甘美で陶酔的な血が欲しくてたまらないんですよっ!!」
徐々に言葉がおかしくなり始める霧乃。
はあはあ、と荒い息を吐き血走った瞳はせわしなく、ぐるぐると回っている。鬼のような恐ろしい形相をしているのに笑顔が混じっていく。
加速していく狂気。その様子にカレンは戸惑いながらも腰の
『……「臨界点」』
頭の中でエレナの声が響く。
『まずいですわね、だいぶ「臨界点」に近付いてきています』
「何だ、そのリンカイテンとやらは?」
『詳しくは後で説明しますが、不死者の狂気の度合いみたいなものですよ。狂気が高まるほど「臨界点」に近付いていきます』
「つまり?」
『彼女の行動が予測不能になりますね』
「上等」
そう言ってカレンは
ふるふると震えていた霧乃の目に一瞬、動揺が広がり。
きゅう、と瞳を細めぎらつかせた。
「……血です、血。血が欲しい。さあ、わたくしに飲ませなさい!」
「く、誰が!」
霧乃が刀を構え、飛び上がる。
正面からの突撃。この程度なら躱して簡単に反撃することができる。
――――そう思っていた。
「!? 消えた!?」
右方向へのサイドステップ。そこに踏み込んだ瞬間、迫ってきているはずの霧乃が消えた。
「……ああ。カレン・ダッシュウッド。エルメラド国軍の中でもかなりの実力者と聞いていましたが、所詮わたくしの速さには及びもしませんね」
背後。
カレンの真後ろから霧乃の声がかかる。
かちゃり、という音と同時に刃がカレンの右頬に触れる。
「ちっ!」
即座に左方向へ転がろうとする。だが、わずかに霧乃の方が早かった。
頬に触れていた刃が一気に引かれる。幸いにもカレンが即座に動いたおかげで、出血をしたものの浅い切り傷で済んだ。
『何が幸いですか! 彼女の前で血を流すのは危険です! 今すぐ止めなさい!!』
頭の中でエレナが焦った声音で叫ぶ。
いきなりの大音量に頭痛すら覚え、カレンは頭を抑えながら悪態をつく。
「うるさいな! 止めるって何を!?」
『決まっているでしょう、彼女に血を舐められてはいけません!!』
「はぁ!?」
意味不明なエレナの言葉にカレンがさらに混乱する。
振り返ると霧乃はわずかに刀身に付着したカレンの血を凝視し、息を荒げていた。
「はぁはぁ……えへ。えへへ。血です、血…………」
「うわぁ……気持ち悪いな…………」
『流暢なこと言ってる場合ですか! 彼女に血を舐め取られたらまずいと言ってるんです!!』
「いや、そう言われてもあいつ動くの早いし」
霧乃は既に舌を伸ばしカレンの血を舐め取っていた。
口の中に含んだ途端に霧乃の目が大きく開く。
「あ、なた……! はは、なんです、この味。まるで、
「意味が分からない。とにかく、大人しく眠ってもらおうか!」
再び
だが、彼女の言葉が叶うことはなかった。
霧乃は壊れたような笑顔でカレンを見つめ、舌舐めずりをする。
「えへ、えへへへぇ。その言葉はわたくしの方ですぅ」
「何を――――」
『待ちなさ』
「凝血」
二人の言葉が言い終わる前に。
一言、霧乃が呟く。
直後に、カレンの口から赤い槍が飛び出した。
「えぅ、ごはぁっ……!?」
奇妙な声を上げながら吐血し、その血すら固まってカレンの腕を貫く。
貫かれた箇所から溢れ出た血がまた固まって別の箇所に貫き、赤黒い槍を形成していく。
ぴょん、と霧乃は軽快なステップを踏みながら体内の槍にもがき苦しむカレンの眼前にまで近付いた。
そして、その槍をひと舐めし、身悶えながら話しかける。
「あははぁ……何ですかぁ、あなたの血……。セレスティアとはまた違った美味しさです。セレスティアが極上の美酒ならば貴方のはまるで依存性の強い麻薬……。ふふ、はは、へへへぇ。もっとわたくしにくださいな?」
「ぁ……ぉ、まえ…………」
「それでは、おやすみなさい」
カレンが言いかけて。
体内の血液が凝結し、カレンの心臓と脳が同時に貫かれた。
※※※※
「『お母様』…………?」
目を見開き、声を震わせながらリコが呟く。
――――『お母様』?
一体、どういう意味なの? リコは、咲良と知り合いなの?
リコの口から出てきた衝撃的な言葉に戸惑ってしまう。
……今、恐らくわたしはリコの『秘密』に触れようとしている。でも知りたくない。咲良に関わるのだというのなら、なおさら。
リコの『秘密』を知ってしまったらわたしはリコをどう見ればいいのか。リコにどう見られてしまうのか。確信なんてないのに、そんな恐怖が勝ってしまう。
「おや、どうしたのリコちゃん?」
「……ひっ!?」
咲良が振り向きざまにリコに話しかける。
対して視線を向けられたリコは恐怖に顔を引きつらせ、びくりと体を大きく震わせる。
――――どうして、リコの名前を知っているの? 何でリコはそんなに怯えた顔をするの。
あれほど信頼していたはずのリコがどんどん分からなくなっていく。
でも、それでも。
リコは確かに、わたしを一番に考えてくれる『恋人』であることに間違っていなかった。
「……れて」
「うん? 何だって?」
「今すぐセラから離れてっ!!」
恐怖に震えながらも、リコはそう叫んだ。
店内にリコの叫び声がこだまする。
直後、騒がしかった周囲の声がぴたりと止んだ。
「……へぇー」
静寂な店内に響く咲良の声。
ようやくわたしも何が起きたのか気付く。
店の人々はリコの声に驚いて黙ったのではない。
…………みんな、一斉に止まっていた。
まるで時間が止まったかのように。周囲すべてが1枚の写真と化してしまったかのように。
直前の動きを実行したまま、誰もが止まってしまっていたのだ。
そして、わたしでさえも。
「――――!?」
体が動かせない。それはおろか、瞳を動かすことも出来ないし声を上げることも出来ない。
そしてリコも同様だった。
彼女も恐怖に顔を引きつらせたまま、その場から一切動けずにいる。
おもむろに咲良が立ち上がり、リコの方へ振り返った。
――――待って!!
今、ここで咲良がリコに触れたらどうなるのか。このまま、わたしは黙って見続けるしかないっていうのか……!
だが、わたしの声も虚しく咲良はリコの肩にぽん、と手を置いて。
「ああー、ごめんごめん。急用を思い出したわ。んじゃ、帰るね✩」
直後、店内が再び騒がしくなる。
わたしも、リコも同時に体の拘束から解放される。
「がはっ、はぁ……はぁ……、咲良!!」
いつの間にか止めてしまっていた呼吸を取り戻し、顔を上げて咲良を睨み付ける。
……だがいつの間にか、咲良は姿を消していた。
「セラ!」
リコが泣き出しそうな顔でわたしの元に駆け寄る。
本当は色々聞きたいことがあったが、ひとまずは安心させてやろうとわたしはリコに抱き着いた。
「リコ、大丈夫?」
「うん、すごく怖かった……。殺されるかと思った…………」
「…………ねえ、リコ」
何? と不安げに見つめるリコ。
言うべきかどうか、一瞬だけ迷ってしまったがわたしはリコに尋ねることにした。
「『お母様』って何?」
「……! そ、れは…………」
目を見開き、リコが口籠る。
やはり、これはリコの『秘密』に関わる問題だ。わたしたちが無意識に避けていた問題。今、その核心に触れようとしている。
でも、目尻に涙を浮かべて恐怖の表情を浮かべるリコにこの質問は酷かもしれない。リコの過去、その全貌を知らなくても彼女が強いトラウマを植えつけられていることは充分に理解している。
「ごめん、嫌ならやっぱり――――」
「ちゃんと言うから! だから、まず帰ろう?」
ぎゅっと、わたしの袖を握りリコが言う。
リコがそう言ってくれるのは嬉しい。けれど。
彼女の過去を知りたいと思うと同時に、知りたくないと思う自分がいる。
――――ああ、わたしって本当に最低だな。
「…………うん」
だから、わたしはそう曖昧に返事するしかなかった。
わたしもリコも、先程までの幸せな気持ちは嘘のように消え去り暗雲が立ち込めるように不安だけが残ってしまった。
こうして、リコとの幸せなデートは最悪な形で終わることになる。
――――でも、終わりを告げられるのは今じゃなかった。
思えば、咲良がわたしの元に現れた時点で警戒すべきだったのだ。
彼女なら、この程度で『仕掛け』が終わるはずなどないと充分に留意しておくべきだったのだ。
だから、わたしは彼女の『悪意』を身を持って知る事になる。
狂気と悪意に満ちた地獄に、既にわたしたちは落ちていたのだ。
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